風味花伝
酒がうまい「下町和食」の輪郭 風味花伝
             焼物八寸       撮影/天方晴子

第13回

酒がうまい「下町和食」の輪郭

をことて

主人飯島裕治

東京都文京区根津2-35-1

https://wokotote-nezu.studio.site

03-5834-2144

ちょっと気張って日本料理を食べたくなったときに、気軽に足を運べる店が家の近くにあればいいのにと思っていたら、そんな店が家の近くに開業した。下町情緒が残る東京・根津の日本料理店「をことて」である。たとえ当日電話をしても、席さえ空いていれば温かく迎えてくれる。都心の高級店では、こうはいかない。ありがたいかぎりだ。

主力の「旬のおまかせコース」は、8品で9350円。軽く済ませたければ、3品4200円、5品6300円のショートコースも選べる。コロッケ、春巻き、なめろうといった単品も頼めるから、ショートコースと組み合わせたり、酒と一品料理で居酒屋使いをしたりと、使い勝手は抜群。これもありがたい。

店主の飯島裕治氏は、台東区入谷の出身。実家は文房具店だ。調理師学校卒業後に有名日本料理店「青柳」で5年間修業した。ここでの経験が献立や料理の基礎になっている。その後は、「ラ・ボンバンス」や「乃木坂しん」で経験を積み、41歳になる2022年にをことてを開いた。「独立するなら、東京の下町でと思っていました。地元のお客さんに来てもらって、のんびり営業できればいいなと思って」

控えめで物腰のやわらかい飯島氏だが、その料理は一品一品主張が強い。塩の振り具合をはじめとしてしっかり調味しているからだろう。「日本料理では、『お椀は飲み切ったときにおいしく感じるくらいの味加減で』と言われますが、私の場合は『ひと口目からおいしく感じられるように』と」。上品ぶらないところが、下町らしいと言えるかもしれない。

こうした方向性の背景には、味の輪郭がきわ立った料理を肴に、思う存分酒を飲んでほしいという思いもある。日本酒好きの飯島氏は「酒ディプロマ」の資格を持ち、店では冷酒を30銘柄、常温(燗酒用)で40銘柄程度の日本酒を常時ストックする。これらの酒は単品で提供するだけでなく、おまかせの献立に合わせた日本酒のペアリングコースも用意している。もっともコースといっても堅苦しいものではなく、料理に合わせて、あるいは客の好みを聞きながら、冷酒を軸に燗酒も織り交ぜて臨機応変に酒を注いでくれるので心地よく酔える。

「すっきりした料理にはすっきりした酒というように、料理と酒の調子を合わせるのがペアリングの基本ですが、あえて逆のニュアンスの酒を選んでみたりして、単調にならないように工夫しています」と飯島氏は話す。現在はおまかせコースの客のうち、7割程度がペアリングもあわせて注文するという。

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月替わりの献立は、先付、前菜、お凌ぎ、お造り、お椀、八寸(焼物を盛り込み)、肉料理、食事という流れが基本だ。「(焼物)八寸」を後半に持ってきているのは青柳のスタイルを踏襲したからで、6月は炭火で焼いた鮎と、タコと夏野菜のジュレがけ、ツルムラサキのおひたし、イチジクの胡麻和えなどを盛り合わせた。焼き魚と日本酒の相性のよさは言わずもがなだし、ジュレもしっかり塩が利いていて、献立の後半で酒の勢いがさらに加速することになる。

元編集者で、接客も快活にこなす奥さんが内装のデザインを手掛けたそうで、店内はシックにまとまっている。店先には店でも使用する器を展示する小さなギャラリースペースを設けた。「まだまだやりたいことがたくさんあって」と言う飯島氏は、創作系の日本料理店でも経験を積んでおり、今後は型にはまらない彼らしい料理の登場が期待できるだろう。根津という庶民の町で、地元住民に末永く愛される店になりそうだ。

飯島裕治(いいじま・ゆうじ)氏略歴

1981年東京都生まれ。アルバイトがきっかけで料理人をめざすようになる。調理師学校を卒業後、日本料理店「青柳」で5年間修業。「熊魚菴 たん熊北店」や「ラ・ボンバンス」、「乃木坂しん」で経験を積み、2022年に地元である入谷に近い文京区根津で独立開業。「酒ディプロマ」の資格を保有。