風味花伝
イタリア料理「修復士」と全20州巡礼 風味花伝
       Brodo di razza con broccolo romanesco(エイとブロッコロ・ロマネスコのブロード)   撮影/宮本信義

第11回

イタリア料理「修復士」と全20州巡礼

Osteria dello Scudo

(オステリア デッロ スクード)

 

オーナーシェフ小池教之氏

東京都新宿区若葉1-1-19Shuwa House1F

https://www.osteriadelloscudo.net

03-6380-1922

東京・四谷にある「オステリア デッロ スクード」の店主・小池教之シェフは、みずからを「修復士」に見立てる。イタリア郷土料理の綻びを直し、精度を高めて提供するのが自分に課せられた使命であると。

中学生のときに家事を手伝ったことがきっかけで料理に興味を持ち、のちに世界史を勉強するようになってからはローマ帝国のスケールの大きさ、さらにはイタリアの伝統文化に魅了された。「大袈裟かもしれませんが、イタリアンの料理人になることが“天命”だったんですよ」。大学在学中に働きはじめた「ラ コメータ」での修業時代には、地方料理のレシピを収めた大著『LE RICETTE REGIONALI ITALIANE』を枕代わりに寝るほど、研究に没頭した。

2003年には念願かなってイタリアに渡り、各地の料理店や精肉店で働きながら全土を旅する。「日本で学んだことを現地で確認したくて。高級店から街場の食堂まで、ときには一般家庭にもお邪魔して料理を振る舞ってもらいました。いま取り組んでいるローマでいえば、昔ながらの食堂で食べた量も味も衝撃的なカチョ・エ・ペペだったり、庶民的なテスタッチョ市場にある内臓専門店であったり。なにもかもが鮮明に記憶に残っています」

06年に帰国したあとは広尾の「インカント」のシェフに就任して10年以上務めたのち、18年にデッロ スクードを開業した。営業スタイルはかなり変わっていて、イタリア全20州の料理を4ヵ月のスパンで順番に提供している。イタリア愛が強すぎるゆえ、一つの地方には絞れないのだ。「こんなわけのわからないことをやっているのは、日本で自分だけ。いや、世界で自分だけだな」と小池氏は笑う。「もうイタリア料理が憑依しちゃってるんです。イタコみたいにね」

23年3月現在は首都ローマがあるラツィオ州の料理をおまかせのコースで提供している。突き出しからはじまって、前菜2品、パスタ3品、メイン、デザートと続く構成。料理は各地で味わった郷土料理をそのままのかたちで――仮にレシピに不備があったら最低限の“修復”を施して――提供する。「自分ならではの料理」を作るのではなく、現地の食文化を伝える役割に徹するという姿勢だ。

写真はエイの骨で取ったブロード(だし)のスープ仕立て。小池氏が「2000年前シリーズ」と紹介するように、はるか昔から庶民に親しまれてきた。見た目に違わず、素朴で滋味深い味わいである。ほかには、プンタレッラ、アーティチョーク、バッカラ(塩蔵タラ)というこの地の名物食材を盛り合わせたサラダ、形状が独特なローマ式のニョッキなど。およそほかの店ではお目にかかれないような料理が並ぶ。当然、ワインもその地方の銘柄をそろえる。

「料理はその本質を見極めないといけない。ブラッシュアップすることはあっても、そこを変えてはダメ。たとえしょっぱい料理であっても、それがその料理の特性なのであれば、現地のレシピでそのまま出すということです」。こう聞くと、とっつきにくい料理が出てくるのかと心配になるかもしれない。じっさいに派手さはないし、見知った料理も食べられないだろう。それでも、肉の火入れや味わいや香りのバランスといった基礎的な部分は、技術や経験に十分裏打ちされているから、どの料理もしっかりおいしいと請け負えるので安心してほしい。

1州につき4ヵ月をかけて20州をまわると、計算上6年と8ヵ月必要だが、シチリアは「西シチリア」と「東シチリア」に分けたり、コロナの影響が重なったりして余計に時間がかかった。それでも全土を巡る旅は終盤に差し掛かっている。残るはトスカーナやサルデーニャなどわずかだ。「1周終えたらどうしますか?」と聞いたら、「まったくの白紙。もう1周する可能性もあるけど、力尽きて引退するかもね」と小池氏。イタリアの郷土をまわる素敵な旅に参加したいなら、店に急いだほうがいい。■

小池教之(こいけ・のりゆき)氏略歴

1972年埼玉県生まれ。大学在学中から東京・麻布十番の「ラ コメータ」で働き、5年程度修業。都内にある数店のイタリア料理店を経て、2003年に渡伊。全土をまわりながら、プーリア、シチリア、カンパーニャ、ピエモンテなどの料理店や精肉店で研鑽を積む。06年に帰国し、翌年に広尾の「インカント」をシェフとして立ち上げ、18年に独立して「オステリア デッロ スクード」を開業。イタリア伝統料理の継承と発展を目的とした「Federcuochi club Giappone(フェデルクオーキ・クラブ・ジャポーネ)」副会長。