風味花伝
「芝の浜」で江戸の味を追体験 風味花伝
          芝海老しんじょ/江戸盛り          撮影/伊藤高明  

第7回

「芝の浜」で江戸の味を追体験

江戸前 芝浜

主人海原 大

東京都港区芝2-22-23

http://www.taika-shiba.com

03-3453-6888

江戸時代の庶民は、案外豊かな食生活を送っていたのかもしれない。「為御菜(おさいのために)」という資料には、当時の人々が好んで食した料理が、相撲の番付表を模して200品近くも載っている。「まぐろさしみ」「いわし塩焼き」「きんぴらごぼう」「ひじき白和え」といった今でも定番のおかずが掲載されている一方で、「かぼちゃごま汁」「まぐろから汁」「こはだ大根」「こあじに三つ葉」など、現代ではなかなかお目にかかれない料理や酒肴もランクインしている。

後期には庶民のあいだで外食が娯楽になり、「料理茶屋番付」まで出版された。“ミシュラン江戸版”といったところか。料理茶屋のほかにも高級料亭や鳥鍋、獣鍋といった各種専門店など、さまざまなジャンルの店が続々と開業して互いに張り合った。しかしながら、こうした料理屋は地震や戦争の災禍もあって、時代が下るにつれてその多くが姿を消し、江戸の料理屋文化は戦後の東京には十分に継承されずに廃れてしまった。少なくとも東京の日本料理界におけるメインストリームにはならず、代わって台頭した関西の流れを組む日本料理店にその座を奪われた。

「江戸前 芝浜」の主人、海原大氏は東京の品川生まれ。江戸料理の魅力を現代に伝える数少ない料理人のうちの一人だ。イタリア料理店でアルバイトをしたのがきっかけで料理に興味を持ち、割烹で修業した。「東京の日本料理店で働き、レシピは伝わっていなくても、言葉遣いや包丁の形とか、江戸時代から脈々と受け継がれてきた文化が残っていることに気づきました」。修業を続けるうちに出身地である東京=江戸の料理文化に興味を覚えた海原氏は、古い文献を読み漁って当時の料理を研究した。

2016年には当時の江戸湾(東京湾)で獲れ、江戸の庶民に好まれた芝海老や穴子に特化した料理店「芝 太華」を開業。21年6月にはほど近い場所に移転し、店名も改めた。「前の店は単品でも料理を出すような気軽なスタイルでしたが、徐々につくりたい料理が増えてきて。それで献立をコースだけに絞り、自分のつくりたい料理を高品質な食材を使って出せる店に新装したんです」

「芝浜」といえば落語の演目として有名だ。噺にも出てくるように、当時芝の浜には河岸があり、芝海老をはじめとする新鮮な魚があがっていた。河岸で働く人たち向けに簡易な料理屋が軒を連ね、新鮮な食材を贅沢に使った素朴ながら力強い料理が提供されていたはずだ。その庶民に愛された品々こそが江戸料理の本質である――。店名からはそんな店主の思いも感じ取れる。移転に際して店内には古典酒場のようにくつろげるカウンターを配し、土間を思わせる温かみがある雰囲気に空間をまとめた。日本酒に精通した「女将」も新たに迎え入れた。

献立は1万2000円と1万5000円の2コースを用意する。突き出し、椀もの、刺身、「江戸盛り」、主菜2品、食事、甘味と続くのが基本で、看板料理の「芝海老しんじょ」(写真右)は椀ものの定番だ。上品な旨みが凝縮したふわふわで風味豊かなしんじょに、江戸では出まわることが少なかった昆布を使わず、カツオ節だけで引いたキレのあるだしを合わせた品はストイックなおいしさ。写真左の江戸盛りは、庶民に愛された総菜を盛り合わせた。切り干し大根に穴子の炙りと、伝統的な「酒だし」という手法で仕込んだ卵焼き。大量の酒に芝海老を加えて7分の1量に煮詰めてだしとし、香り豊かに仕上げた自慢の一品である。

主菜は、初夏であれば脂がのった旬のイサキを豪快に焼き上げ、今では廃れてしまった米麹をたっぷり使う「江戸味噌」で調味した鴨鍋が続く。秋から冬にかけては江戸の庶民に大人気だった「ねぎま鍋」が定番だ。時期によっては「ぼたん鍋」も登場する。「文献によると江戸後期には、牛肉も豚肉も食べられていたみたい。江戸料理といっても、献立の幅は意外と広いんです」

調味は醤油と江戸味噌がおもで、江戸時代には貴重だった砂糖は使わない。そのため全体的に無骨で引き締まった味わいに仕上がるから、酒がすすむ、すすむ。水道水で仕込む23区内唯一の酒「江戸開城」(東京港醸造)をはじめ、都内多摩地区の蔵元の酒を常備するほか、女将が全国から見繕った力強い料理に見合う銘柄がそろう。江戸の雰囲気を追体験するなら、燗か冷や(常温)で飲むのがいいだろう。

「江戸料理の魅力を伝えていきたいという思いはありますが、それほど難しく考えているわけでもなくて。料理を肴にゆっくりと飲んでいただければいいかなと。池波正太郎の世界?そう、将来的にめざすのは、そんなところですね」と海原氏は笑う。高層ビルだらけになった東京だが、この店では情緒あふれる江戸の町に思いを馳せながら料理と酒を味わえる。なんとも乙ではないか。■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海原 大(かいばら・ひろし)氏略歴

1979年東京都生まれ。イタリア料理店でアルバイトをしたことがきっかけで料理の道に。「日影茶屋」「心米」「銀座 鳴門」上野松坂屋店などを経て、2016年1月に「芝 太華」を開業。21年6月にほど近い場所に移転し、「江戸前 芝浜」としてリニューアル。東京・大塚にあった江戸料理の名店「なべ家」の主人、福田浩氏らとともに、今も江戸時代の文献を読み込み、献立の研究を続ける。