第2回
中華で無二の「非日常」を
料理界には暗黙の序列がある。いちばん上がフランス料理、あるいは日本料理で、その下にイタリア料理。中国料理はさらにその下だ。べつにだれが言ったわけでもないが、そうした空気がたしかに存在する。
中華の料理人である田村亮介氏は、それが悔しかったし、変えたかった。名店「麻布長江」を師匠の長坂松夫氏から譲り受け、オーナーシェフとして10年間腕をふるったが、物件の契約満了によって閉店。新たな店名で開業したのが「慈華」だ。
この店は正真正銘の「レストラン」である。どういうことか。
中華の高級店は少なくないが、田村氏の見立てでは、それは「中国料理店」であって、「レストラン」ではない。洗練された内装、ゲストに寄り添ったサービス。そういった要素が揃い、非日常体験を提供できてはじめて「レストラン」としての要件を満たすが、中国料理店の多くは料理以外に無頓着であるからだ。この辺が「下」に見られる理由の一つでもある。
田村氏はサービスに力を入れるために、親交があった「サロン・デ・サリュー」(現在閉店)のオーナー・伊藤寿彦氏をオブザーバーとして招聘した。いまならきめ細やかな、それでいて押し付けがましくない、流れるような伊藤氏のサービスを体験することができる。
「日本の中国料理界は料理のスタイルでも、たとえばフランス料理に比べて30年は遅れている」と田村氏は指摘する。フランス料理の場合は現地できびしい修業を積んだ料理人が日本に戻ってきて現地流の店を開いた。それが30年以上前のことで、現在はその下の世代が先人たちの功績を糧に、自分流のフランス料理をつくる段階に入って久しい。かたや中国料理は、オリジナルの料理で勝負する気鋭の料理人が現れはじめたばかりだ。
田村氏もその一人だが、背景には10年近く前の苦い経験がある。政府関係の仕事で台湾を訪れて現地流の料理を披露したところ、同行した和食の料理人には取材が殺到するのに自分には誰も来ない。このときに本場スタイルを追いかけることの限界を感じ、日本人ならではの中国料理を追求すべきと悟った。
四川料理に傾注していた麻布長江時代とはちがって、慈華の料理はじつに多彩だ。台湾での経験もあるし、日中の料理書にはくまなく目を通す勉強家だ。引き出しはいくらでもある。写真の魚料理は、ハガツオの皮目を炙って半生に火入れ。青ネギベースの花椒ソースを合わせた。国産素材の魅力を最大限生かし、洗練された中国料理に仕立てた慈華を象徴する一皿である。
開業した途端にコロナ禍に見舞われた。それでも唯一無二のスタイルを貫けば、きっと難局を乗り切れる。「慈華」というレストランの存在が、中国料理に対するイメージを大きく変えることになるだろう。■
田村亮介(たむら・りょうすけ)氏略歴
1977年東京都生まれ。実家は中華料理店。横浜の中華街や都内の中国料理店で修業したのち、2000年に「麻布長江」(東京・西麻布)に入店。台湾の四川料理や精進料理の店でも経験を積み、06年に麻布長江の料理長、09年から店を引き継ぎ、19年4月に閉店。12月に「慈華」を開店した。