第27回
家族の絆で在来種の蕎麦と酒肴の二刀流
蕎麦割烹 ながの
店主永野清二
東京都墨田区東向島2-20-6
https://soba-kappou-nagano.com
03-6675-0167
「蕎麦割烹」、あるいは「蕎麦懐石」の看板を掲げる店はいくらでもある。しかしながら、蕎麦と料理の両方でゲストを満足させるのは容易ではない。香り高い蕎麦を打つにも、手の込んだ蕎麦前を仕込むにも、技術はもちろんのこと時間と労力が必要だ。どちらも追い求めるがゆえに二兎を追うものは……となってしまっては元も子もない。
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蕎麦も料理も高いクオリティで提供して人気を博している東京・曳舟の「蕎麦割烹ながの」の店主・永野清二氏にそんな話を向けると、「そうなんですよね。うちの店も蕎麦にくわえて酒肴、刺身、焼きもの、天ぷらとメニューの幅を広げてしまったので仕込みが多くて。自分で自分の首を絞めているようなものですよ」と笑ってくれた。もともと和食の料理人なので、料理に特化すればいくらか楽ができたかもしれないが、蕎麦が好きでこの店をはじめてしまったものは仕方ない。夫人の美代さんと2人で日々奮闘しているのだ。
ながのは下町の住人に愛される気取らない店だから、アラカルトのメニューから好きな料理を頼んで酒を飲むことも、蕎麦だけを楽しむこともできるが、ここではこの店の魅力が詰まっている夜の「智コース」(要予約)の献立を紹介していこう。
まずは、名刺代わりに蕎麦がきが出てくる。「お酒を召し上がる方が多いので、締めの蕎麦の印象が薄れてしまうこともあります。ですから、最初に蕎麦の味と香りを楽しんでいただくようにしているのです」
定期的に仕入れている千葉県の成田にある農家の蕎麦を使うことが多いそうだ。とろっとした繊細な食感の蕎麦がきからは、湯気とともにうっとりするような蕎麦の香りが立ちのぼる。幕開けからいきなりクライマックスを迎えるようだ。
続いて前菜8点盛り(じっさいは9点盛り)だ。定番は海老と味噌の濃厚な味わいが合体した才巻海老味噌焼き、蕎麦前と言えばのニシン煮、ざくっとした食感、こうばしい風味の桜海老の磯部揚げ。そこに季節の品がくわわる。今回は生シラス、アジのなめろう、カモの煮凍り、キノコと蕎麦の実のおひたし、青海苔の常用寄せ、サツマイモのクレープだ。
料理の字面を眺めるだけで酒が飲めそうではないか。むろん永野氏も酒好きで、界隈の2軒の酒屋から仕入れている。きれいめの銘柄が好みとのことで、「十水」や「伯楽星」といった食中酒に最適な銘柄を中心にそろえる。酒飲みであれば、この前菜をあてに杯を重ねたくなるところだが、先が長いので急ごう。
お造りで使う魚はおもに千住の足立市場で仕入れている。「東京の下町ですから、マグロは欠かせませんね。寿司店で使うような上物を入れていますよ」と永野氏は胸を張る。そこから温かい料理が2品。10月初旬に訪れた際はイクラの茶わん蒸しと旬の天ぷらだった。
「奇をてらった創作料理ではなく、炭火を使った焼きものや天ぷらといった割烹らしい旬の食材を使ったシンプルな料理を出すように心がけています」。このへんは蕎麦店で修業する前に働いた和食店での経験が生きているという。
さて、お凌ぎをはさんで、いよいよ主役の蕎麦が登場する。蕎麦は殻(外皮)を取り除いた丸抜きを挽いた十割の「せいろ」と殻つきの玄蕎麦を使う「田舎そば」の2種類を味わえる。取材時は前者が福井県永平寺町産、後者が長野県南相木村産。
「今日の蕎麦がきに使っている成田産は香り豊かな初夏蕎麦。永平寺は1年熟成し、甘みが引き出されています。他方、南相木村はナッツのような香りが特色です。産地の異なる蕎麦の特色を楽しんでほしいので、個性が出やすい在来種を中心に使っています」。ほかにも大陸の原種に近いという個性的な長崎県の対馬産を打つこともあると聞いては、これも試したくなってしまう。
こうした在来種にスポットがあたるようになったのは、ここ5年くらいだろうか。最近ではGI(地理的表示)保護制度によって認定されている産地もある。「『手刈り会』という集まりに参加しています。蕎麦屋仲間と産地を訪れて、その名のとおり蕎麦を手刈りするわけです。在来種の再評価をふくめて業界の先頭を走ってこられた先輩たちと一緒に農家さんを訪れるのは、蕎麦職人としてとても刺激的ですね」
毎日自分で挽いた粉を使い、丹精込めて打った蕎麦に合わせるつゆは、個性が強いそばに負けないような仕立てだ。本枯れ節と血合い入りを併用してだしを引き、そこに上品な甘さのかえしを合わせて奥深い味わいに仕上げている。細打ちながらもこしがあって野趣あふれる田舎蕎麦。なめらかなのど越しで香り豊かなせいろ。いずれも酒を飲んだあとでも強烈な印象を残し、蕎麦湯を楽しみながら手づくりの甘味を味わうと起伏に富んだコースは終幕にいたる。
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蕎麦に対してひとかたならぬ情熱を傾ける永野氏ではあるが、店は高級蕎麦店にありがちな凛とした佇まいとはちがってアットホームな雰囲気だ。取材中には近所に住む常連客が差し入れを持ってやってきた。「あの方は開業してすぐから週に何回も来てくれて。もう家族みたいなものです」。それも夫婦2人で切り盛りする小体な店だからだろう。いや、よく聞けば2人だけではない。近所の小学校に通う兄弟も活躍している。
前菜8点盛りの中央奥の青い器は陶芸体験に行ったときに長男がつくったもの。店の前の立て看板は次男の作という。「人手が足りないから、もう家族総出ですよ」。こんな話を聞いたら、地元の人たちも応援するに決まっている。■

永野清二(ながの・せいじ)氏
1977年埼玉県生まれ。実家は寿司店。日本料理を勉強するために調理師学校に通い、「銀座 らん月」をはじめとする数店の和食店で20年の経験を積む。2018年に子供のころから食べるのが好きだった蕎麦を学ぶために「東白庵 かりべ」(現在は千歳烏山)の門をたたき、のちに料理長を務める。24年4月に夫人の実家に近い東京の曳舟で独立開業。