風味花伝
ありし日の「四川料理」時空超え探求 風味花伝
              「棒棒鶏」食べ比べ     撮影/天方晴子

第19回

ありし日の「四川料理」時空超え探求

四川料理 巴蜀

オーナー調理師荻野亮平氏

 

東京都台東区浅草6-5-3 テラ21ビルディング1F

https://hashoku.9syoku.com

090-6975-2371

福岡で15年以上営業していた「四川料理 巴蜀はしょく」が、東京の浅草に移転したので先日訪問した。同行した先輩の編集者から「相当おもしろいよ」と聞かされていたから期待していたが、聞きしにまさるエキサイティングな体験だった。日本国内ではもちろん、現代の中国でもなかなか味わえないような伝統的な仕立ての料理の数々をオーナー調理師である荻野亮平氏の解説付きで楽しめるのだから、中国料理好き、四川料理好きは興奮必至である。

「中国4000年の歴史と言われますが、いまに伝わる料理に関しては1900年前後に体系化されたと考えられます。ただ、その系譜は1966年からの文化大革命によって資料や本が廃棄されたことで一度途絶え、復調するのは80年代まで待たなければなりませんでした。四川料理に関しては、そこから西部大開発によって老舗料理店が軒並み閉店した2000年代初頭までが“黄金期”だとぼくはとらえています」

このように話す荻野氏は、現地で入手した多数の文献をもとに過去における四川料理の再現を一貫して試みている。象徴的なメニューが、すべてのコースに組み込まれている写真の「棒棒鶏バンバンジー」食べ比べである。棒棒鶏は大衆的な中華料理店や居酒屋などのメニューにも載っているから、日本人にはおなじみだろう。ところが、そのルーツは1930年の楽山にさかのぼるといい、一味唐辛子の辛みがダイレクトに感じられるそれは私たちの知っているものとはまるでちがう(写真上左)。続いて60年に合州(現重慶市合川区)で食べられていた胡麻ダレの細切り棒棒鶏で(同上右)、これが日本に持ち込まれて広まった。さらに時代が下って80年に重慶で生まれた棒棒鶏の派生形である口水雞は(同下左)、日本では「よだれ鶏」と呼ばれる。最後が1993年に創業した成都の専門店「廖記棒棒鶏」の味を模した塩味の棒棒鶏だ(同下右)。

だいぶ掻いつまんで記したが、それでも棒棒鶏一品だけで、これだけの情報量なのだから、コースを食べ終わるとお腹だけでなく、頭もいっぱい。お客さんの多くが、料理人や研究者というのもうなずける。ただし、あくまで情報は補助で、料理自体が純粋においしいのである。「ぼくの料理はほかの調理師とはちがうみたい」と荻野氏が話すとおり、うま味の要素を重ね、調味料を駆使し、きれいに盛りつけられた現代の料理とはあきらかに異なる。おなじみの麻婆豆腐も、昔のレシピでは牛肉を用いて塩味をしっかり効かせたシンプルな仕立てだ。

「中国人は毎日中国料理を食べているわけですから、食べ飽きない素朴な味わいが本来のかたちなのです。なかでも四川料理は、宮廷料理がベースになっている広東や上海とはちがって、いわば家庭の味。そこが惹かれる理由でもあります」

ここで紹介した以外では、重慶の技法を用いた「エビの米炒め」や修業先で学んだ台湾スタイルのカツオだしを効かせた「フカヒレの煮込み」などを提供してもらった。コースをアップグレードすれば、調理法を変えたフカヒレやアワビの食べ比べといったこれまた興味をそそられるメニューも組み込める。料理のレパートリーは無数にあるので、2度、3度と訪れればそのつど違った料理が楽しめるだろう。四川料理=麻辣味と思っている人は、その奥深さに驚くはずだ。

さて、冒頭で福岡から移転したと紹介したが、その理由は荻野氏が信州大学の大学院に通うためである。現在、店は金曜~日曜の週末だけ開けて、平日は長野県伊那のキャンパスで学業に励んでいる。研究テーマは「トウガラシ発酵食品『泡辣椒パオラージャオ』に発酵過程による呈味成分変化および品種間差の解明」。中国原産3種と信州原産2種(信州では古くから唐辛子が栽培されていたという)をふくめた6種の唐辛子を栽培し、9月末に収穫したのちにはそれらを塩水に漬け込んで1週間ごとに辛みやうま味の成分分析をする。これによって、四川料理に欠かせない泡辣椒がどのような条件で最適化されるのかがあきらかになる。先行研究はないらしい。

研究を終えたあとの25年シーズンには、長野県産の発酵唐辛子を使った料理がお目見えするはずだ。豆板醬をつくったり、いまも自家製発酵唐辛子を使ってつくる風味豊かな魚料理「東坡魚トンポーユイ」にも用いるという。「勉強するのが好きなんですよ。いまのぼくは、調理師と研究者の中間の立ち位置だと思っています」と荻野氏は言う。巴蜀を訪れ、だれよりも勉強熱心な調理師と一緒に時空を超えた四川料理探求の旅に出かけてはいかがだろうか。■

荻野亮平(おぎの・りょうへい)氏略歴

1978年大阪府生まれ。辻調理師専門学校卒業後、1999年から東京・千駄木の四川料理店「天外天」で修業。四川大学への留学を経て、2003年から北九州市小倉の「欣葉」で台湾料理を学ぶ。2007年に福岡・博多の東月隈で独立開業し、16年に美野島に移転。23年11月に東京・浅草に再移転し、24年4月に信州大学総合理工学研究科(修士課程)に入学。店を営業するかたわら、発酵唐辛子の研究に励む。共著書に『伝統×現代 深化する中国料理』(旭屋出版)。