風味花伝
羊の丸焼きに草原の「モンゴル魂」 風味花伝
        スペアリブ焼き(小300g)      撮影/天方晴子

第15回

羊の丸焼きに草原の「モンゴル魂」

草原の料理 スヨリト

オーナースヨリト氏

東京都新宿区矢来町82

https://www.instagram.com/suyaolitu

03-5579-8812

「20人くらい集められる?羊の丸焼きを食べられる店を紹介したいんだけど」。友達の編集者から声をかけられたのが、ちょうど1年くらい前だ。「丸焼き」の誘惑に駆られて知り合いに片っ端から声をかけ、矢来町にある当時は看板もない古ぼけた建物に集合した。そのときに味わった羊の丸焼きの感動は、いまだに忘れることができない。

特注の炭火オーブンで焼き上げた20㎏はあろうという肉の塊。そこから発せられる野趣あふれる香りが客席に充満する。本能の赴くままにナイフでこそげ取って頬張る肉の官能的なおいしさといったら!もも肉は中心までしっとり火が入り、背肉はうまみがたっぷり、あばら骨の間からは脂が滴り落ち、香ばしく焼かれたすね肉は骨ごとしゃぶりつく。参加者全員がわれを忘れて貪り食ったのはいうまでもない。

この日、青いスカーフをゲストの首にかけるモンゴル式の儀礼をもって迎えてくれたのが、「草原の料理 スヨリト」のオーナーであるスヨリト氏だ。彼は中国の内モンゴル自治区ウランホトで生まれた。料理人であり、羊飼いでもある父親に手ほどきを受けてはじめて羊を捌いたのが14歳のときだという。現地の調理師学校を卒業したあとは数店のレストランで働き、2016年に来日。東京・御徒町の「羊香味坊」を経て、22年の暮れに念願だった自分の店を神楽坂近くにオープンした。

放牧民であるモンゴルの人々にとって、羊は特別な存在だ。「衣食住のすべてが羊の恩恵に支えられている」という彼らは、羊に対して畏怖の念を抱いている。食材としての羊に対する知見も、ほかの民族は到底かなわないと思わせる。たとえば、日本では一般的に羊肉を「ラム」と「マトン」に区別するが、モンゴルでは1歳までの「ホルクッ」、2歳までの「シトゥルン」、3歳までの「ヘチャルン」、4歳以上の「ユッフェン」の4区分があり、それぞれに適した調理法で食す。残念ながらモンゴル産の羊は輸入できないので、店ではアイスランドやチリ、ニュージーランド産をおもに使うが、「モンゴルで食べる捌きたての羊はミルクの香りがするんだ」と、スヨリト氏は恍惚とした表情を浮かべる。

冒頭で紹介した丸焼きの仕込みも独特で、手が込んでいる。ニンジン、セロリ、タマネギといった香味野菜やスパイスで焼成前に48時間マリネする。その際に欠かせないのがスイカの皮とホエイ(乳清)だ。これによって肉質がやわらかくなるそうで、スイカの皮は冷凍して常時ストックしている。

通常メニューである串焼きも、最近増えている中国東北系の店などとは仕立てが違う。言葉の壁があって委細をくみ取れなかったが、クミンをはじめとするスパイスに頼るのではなく、羊の味わいそのものを楽しむのがモンゴル流だとスヨリト氏はいう。おそらく捌きたての新鮮な羊を使うから、過分な調味は必要ないということだろう。

「お通し」として提供される「ショルダー」の串焼きは、タマネギや全卵、塩に漬け込み、薫香を肉に移すためにタマリスクの枝に刺して炭火で香ばしく焼き上げる。ほかにも異なる仕込みをほどこした肩ロース肉やバラ肉、腎臓などの内臓、陰茎や睾丸といった変わり種もラインアップする。丸焼きを頼むには最低でも12人程度は必要だが、4人も集めればもも肉やスペアリブ(写真)の塊肉をシェアできる。胃袋で包んだ肉団子、骨で取ったコラーゲンスープ、滋味深いもつ煮込みも現地では定番の食べ方だから、ぜひとも注文してほしい。

要するに大切な羊は一頭を余すところなくいただくというのが、彼らの掟というわけだ。スヨリト氏自身、来日したいまでも羊肉と強い酒ばかりを好み、炭水化物や野菜をほとんど摂らない。その代わり、羊肉は一度に2~3㎏を平気でたいらげる。体調が心配になるが、それが彼らの伝統的な食生活なのだ。

そんなモンゴル民族のリアルを体験してもらいたいという狙いから、店名には「草原の料理」と冠した。現地にならって羊以外の料理はほぼ置いていないので、注意されたい。その代わり羊好きが、スヨリト以上に興奮を覚える店もまずないだろう。それほどまでに、羊飼いが暮らす牧歌的な風景を想像しながら味わう本場の羊料理は格別である。

スヨリト氏略歴

1987年中国・内モンゴル自治区生まれ。料理人で羊飼いでもあった父親から羊の扱いを学ぶ。調理師学校やレストランを経て、2013年に省都フフホト市に羊料理専門店を開業。16年に来日し、東京・御徒町の「羊香味坊」に勤務。22年12月、神楽坂に「草原の料理 スヨリト」をオープンした。