風味花伝
厨房で究める「フランス料理のコード」 風味花伝
      リードヴォーのブリオシュ包み アレックス風   撮影/天方晴子

第14回

厨房で究める「フランス料理のコード」

日本橋フランス料理研究室

AMPHYCLÈS(アンフィクレス)

室長Jean-Pierre KAWAÏ(ジャンピエール カワイ)氏

 

東京都中央区日本橋蛎殻町1-19-1 1F

https://www.amphycles.com

070-4118-4393

東京・日本橋のはずれにいっぷう変わったフランス料理店がオープンした。「日本橋フランス料理研究室 アンフィクレス」。オーナーシェフ、もとい室長は、河井健司改めジャンピエール・カワイ氏だ。パリの「リュカ・カルトン」で鬼才アラン・サンドラス氏に師事し、その後「サンドラス」では副料理長に就任。帰国後は「オー・シザーブル」料理長を経て、田園調布で「アンドセジュール」を営んでいたが、2021年に店名と自身の名前も新たに再出発を果たした。

カワイ氏は近代フランス料理のバイブルと称されるオーギュスト・エスコフィエ著≪LE GUIDE CULINAIRE≫の新訳(電子版)に携わり、フランス料理を題材として月刊誌上で健筆を振るっている。店名にしても「研究室」と冠されると身構えてしまうが、その実、このレストランはカワイ氏の料理ともてなしを独り占めできるプライベートルームである。値段も良心的で、けっして堅苦しい店ではない。

「レストランには店ごとに役割があります。私がパリで働いていたとき、『マキシム・ド・パリ』の前をよく通っていたのですが、そこでは着飾った男女が夜な夜なドンチャン騒ぎをしていました。一方で19世紀の後半にそのスタイルが確立した『オテル・リッツ』に代表される洗練されたレストランは、女性をエスコートするための場所です。現代の日本でも華やかな大箱レストランが存在するし、当店のようなフランス料理好きのためのごく私的な店もある。そういった棲み分けが維持されていることが大事だと思います」

フランス料理の歴史に精通するカワイ氏は、本人が言うようにけっして懐古主義者ではない。それが証拠に、料理はオリジナリティに富んでいて、ほかでは目にかからないものばかりだ。とはいえ、昨今ありがちな声高に自己主張する料理ではない。そこからは氏が言うところの「フランス料理のコード(=不文律)」に敬意を払う姿勢が見て取れる。

「初めて来店されたお客さまには、1皿目に『ブイィ』をお出ししています。これはフランスの庶民が昔から家庭で食べていたおかゆのような料理です。フランスでは汁物に硬くなったパンを浸して食べる習慣があり、そのパンのことを『スープ』と呼んでいました。穀物と汁物の組み合わせという意味ではブイィも同様で、そういった長い間受け継がれてきた食文化が私にとっては重要であり、フランス料理をフランス料理たらしめるコードだと考えています」

写真の「リードヴォーのブリオッシュ包み アレックス風」は、19世紀初頭に活躍したパティシエ兼料理人であるアントナン・カレームの料理が原形だ。フォアグラとリードヴォー(仔牛の胸腺肉)を鶏肉のムースとともにブリオッシュ生地で包んで焼き上げている。パティシエの語源が「パスティ」(詰めもの)であることからもわかるように、昔のパティシエは包み焼きも担当していた。カワイ氏の料理は、そういった仕事を現代に伝えてくれる。ちなみに「アレックス」は、リュカ・カルトン時代の同僚であるソムリエで、彼の好きな料理に名を冠して友情を表したとのこと。これもフランス料理における粋な流儀の一つだ。

「もともとパイ包みは練り込み生地でつくっていました。現代では織り込みのパイ包みが主流になり、それを古典料理とか伝統料理と言う方がいらっしゃいます。間違えとは言い切れないし、表現方法としてのレシピは時代とともに変わるものです。でも、古典や伝統とあえて言うのであれば、『コード』を尊重すべきだと私は思うのです」と釘を刺すことも忘れない。

アンフィクレスは、客席よりも厨房のほうが広い。訪れることができるのは、1日1~2組程度だ。料理は13000円のコースだけで、最初の一皿、前菜、魚料理、肉料理、チーズ、デザートと続く。「『選択する自由』もレストランの醍醐味ですから」と肉料理を3品から選べるのがうれしい。ワインはグラス、ボトル各種のほか、5000円のおまかせで泡、白、赤、チーズに合わせたお酒の4種を楽しめる。

一人で料理をつくって、ワインの栓を抜いてと営業中のカワイ氏は大忙しだが、その合間には料理の背景から料理界の裏話なんかもエスプリを効かせて語ってくれる。フランスの料理や文化に興味があるなら、ひっそり佇む研究室の扉を叩いてみるといいだろう。■

ジャンピエール・カワイ氏略歴

1973年東京都生まれ。調理師学校卒業後、東京・田園調布のフランス料理店「サ・マーシュ」に入店。2002年で渡仏し、パリの三ツ星レストラン「リュカ・カルトン」でアラン・サンドランス氏に師事。各部門長を経て会員制レストラン「ル・セルクル」の料理長に就任し、二ツ星レストラン「サンドランス」では副料理長として勤務。07年に帰国後は東京・六本木の「オー・シザーブル」の料理長を経て、10年に同・田園調布「アンドセジュール」を開業。21年に「日本橋フランス料理研究所 アンフィクレス」をオープンした。現代フランス料理のバイブルであるオーギュスト・エスコフィエ著≪LE GUIDE CULINAIRE≫の新訳プロジェクトに参加し、現在は会員制月刊誌『選択』でコラム「テイレシアスの食卓」を連載中。