第15回
「東京春祭」オーケストラで魅せるオペラ
2023年の「東京・春・音楽祭」が4月16日に閉幕した。コロナ禍をはさみ、3年ぶりのフルスケール開催となった今回は、3月18日から1か月近い会期中にヴェルディ《仮面舞踏会》、ワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》、プッチーニ《トスカ》と名作オペラ3作の演奏会形式上演(会場はいずれも東京文化会館大ホール)が並んだ。
演技や装置を伴わないとはいえ、外国から大物指揮者とゲスト歌手を迎え、日本人の共演歌手、合唱団(東京オペラシンガーズ)、オーケストラと一体のリハーサルを重ね、それぞれ2回の本番をつつがなく実現するのは簡単な仕事ではない。すべてに完璧とはいかないのが、あらゆる音楽ジャンルの中で最も労働集約型の芸術であるオペラの常だが、今年は管弦楽の見事さで「魅せる」路線が成功した。
オペラが「声の饗宴」というのは動かせない肝だとしても、優れた作曲家であればあるほど管弦楽にも深い味わい、様々な仕掛けを施している実態が浮き彫りとなったのは収穫だった。
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《仮面舞踏会》は音楽祭の実質オーナー&スポンサーである鈴木幸一実行委員長(株式会社インターネットイニシアティブ代表取締役会長CEO)と巨匠指揮者リッカルド・ムーティが意気投合し、若い世代の音楽家にオペラの真髄を伝える「イタリア・オペラ・アカデミー in 東京」の成果発表を兼ねた公演だった。アゼルバイジャン、レバノン、ルーマニア、ロシア、イタリアの新進歌手と日本、オーストリア、オーストラリア、ドイツの若い指揮者を「東京春祭オーケストラ」とともに2週間、みっちりと鍛えた。
同オケは臨時編成ながら、世界の楽団で活躍する40代までの日本人奏者をそろえ、恐ろしく緻密で燃焼度の高い音楽を奏でる。第1ヴァイオリンのトップ3人を長原幸太(読売日本交響楽団)。郷古廉(NHK交響楽団)、小林壱成(東京交響楽団)と在京オーケストラのコンサートマスターが務め、フルートではフィンランド放送交響楽団首席の小山裕幾、チェロでは東京藝術大学准教授(元フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団首席奏者)の中木健二らが素晴らしいソロを奏でる。
ムーティが「世界最高のオーケストラ」と絶賛するだけあり、ソリストたちのいささか頼りない歌よりも雄弁にヴェルディのドラマトゥルギー(作劇術)を解き明かし、劇場ピットに〝沈んで〟いる時には聴き取ることができない書法の妙――イタリア音楽劇(メッロドラーマ)の枠組みの中へ、いかにしてフランスのグランドオペラ様式を融合させるかの挑戦――を存分に味わえた。
ムーティより2歳年長、84歳のマレク・ヤノフスキが「史上最速」の弾丸テンポで一気に指揮した《マイスタージンガー》の管弦楽はNHK交響楽団。コンサートマスターはウィーン国立歌劇場&ウィーン・フィルの元コンサートマスターでオペラの演奏経験豊富、N響への客演歴も長いライナー・キュッヒルが務めた。ただ1人、暗譜で動き回ったベックメッサー役のオーストリア人バリトン、アドリアン・エレートを除いて幾分の物足りなさを残したキャストに対し、オーケストラの雄弁さが遥か上をいく。紛れもなく、日本のオーケストラ史上最高水準のワーグナー演奏だった。第3幕のオーボエを担ったマーラー室内管弦楽団首席、吉井瑞穂の妙技にも賞賛が集まっていた。
ウェールズ出身のバス・バリトン歌手ブリン・ターフェルが見事な「悪の華」を咲かせた《トスカ》は題名役のブルガリア人のヴェテラン(1962年生まれ)ソプラノ、クラッシミラ・ストヤノヴァの格調高く情感に富んだ歌と演技も含め、声楽面の満足度が最も高かった。
フランスの職人的オペラ指揮者フレデリック・シャスランはムーティ、ヤノフスキより2世代若い(1963年生まれ)が、長原がコンサートマスターに座った読響の潜在能力を極限まで引き出した。プッチーニが紛れもなくR・シュトラウスやドビュッシー、ラヴェルの同時代人で、精妙かつ色彩感に富むスコアを書いていた力量を克明に立証していたのが印象に残る。東京オペラシンガーズの合唱もそれぞれの作品の様式を適確に押さえつつ、イタリア語でもドイツ語でも高水準の歌唱で一貫した。
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鈴木実行委員長は「読響とはプッチーニの歌劇を連続上演していく」計画だが、「《蝶々夫人》だけはやりたくありません」という。理由はチョウチョウサンの侍女の役名スズキにあり「ヒロインがスズキ、スズキ!と呼ぶたび、嫌な気分になるのです」。こんな〝わがまま〟が通るのも民間主導、オーナーシップの音楽祭の面白いところだろう。■