通奏低音
ロシアとウクライナの演奏家、日本でみせた友情 通奏低音
      ググニン(ピアノ)とセメネンコ(ヴァイオリン)のデュオ(2023年2月10日、東京オペラシティコンサートホール)  撮影=林喜代種

第14回

ロシアとウクライナの演奏家、日本でみせた友情

2023年2月14日の寒い夜、私は地元品川区の施設である五反田文化センター音楽ホールに、かなり複雑な気持ちで足を運んだ。ロシアのピアニスト、アンドレイ・ググニン(1987年モスクワ生まれ)とウクライナのヴァイオリニスト、アレクセイ・セメネンコ(1988年オデーサ生まれ)の「デュオ・リサイタル」。ロシアのプーチン大統領による突然のウクライナ侵攻から間もなく1年のタイミング、まだ戦闘状態にあるなか「第三国」の日本での開催とはいえ、何のわだかまりもなく音楽に浸ることができるのか?

弾く側はもちろん、聴く側にとっても重たい問いかけである実態は、先立つ2月10日の東京オペラシティコンサートホールでの公演の模様や両者へのインタヴューを交え、NHK総合テレビが当日朝のニュース番組「おはよう日本」で大きく報道したにもかかわらず、定員250人の五反田のホールに空席が目立ったことからでも察しがつく。

シドニー、ジーナ・ハッカウアーなど多くの著名国際ピアノ・コンクールに優勝したググニン。難関エリザベート王妃国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で2位を得た後、エッセンのフォルクヴァング芸術大学からドイツ最年少の専科教授に迎えられたセメネンコ。2人は侵攻前から面識があり、日本での共演はググニンからの提案だった。セメネンコの周囲には反対の声も上がったが「音楽は政治にも言語にも支配されない自由な芸術であり、侵略に反対する意思も共有するので共演します」といい、申し出を受け入れた。

2022年2月24日、ググニンはモスクワの自宅から空港へ向かう車中で侵攻のニュースを聞き、すぐさま「隣国に侵攻して人命を奪うことはできない」とSNSで発信した。「もうロシアに暮らすことはできないだろう」とも考え、そのまま公演先のクロアチアにとどまって以降一度も帰国していない。セメネンコは侵攻時点でキーウに滞在、そのままウクライナ支援の演奏会を開き続け、文字通り「命からがら」ドイツに戻った。

五反田の演奏会の前半はググニンのソロでノルウェーのグリーグ「組曲《ホルベアの時代から》」、ロシアのストラヴィンスキー《ペトルーシュカ》から3つの楽章。後半はデュオで、ロシア人だがウクライナのドネツク州(当時は帝政ロシア領)に生まれたプロコフィエフの「ヴァイオリン・ソナタ第1番」に続き、ベルリンに避難したウクライナの現役作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフ(1937〜)の《ポスト・スクリプトゥム》を演奏した。「後書き」を意味する同曲は脈々と受け継がれてきた音楽史の「後にくるもの」を表したとされ、セメネンコによれば「とりわけ第3楽章はアポカリプス(世界の終末、大災害)後の情景と思え、唐突な弱音がかつての正常な世界の記憶のように響きます」

強靭なフォルテのぶつかり合いからピアニシモの繊細な交感に至るまで2人の息はぴたりと合い、あらゆる障壁を超え「音楽をやる意思」の勁さに打たれた。演奏を終えた瞬間に固く握手し抱擁する姿を見ながら、「早く普通の共演に戻れるように」と願った。

アンナ・フェドロヴァ(ピアノ)写真提供=すみだトリフォニーホール

5月6日にはウクライナの女性ピアニスト、アンナ・フェドロヴァ(1990年キーウ生まれ)が4年ぶりに来日、ロシアのムソルグスキーとラフマニノフを東京の「すみだトリフォニーホール」で演奏する。アムステルダム在住だが、侵攻後いち早く祖国支援の活動を立ち上げた。オンラインで話を聞くと「戦争は国と国の間のものであり、芸術も人間も関係ありません」と明言、ググニンやセメネンコと同じく音楽本位の姿勢を貫く。■