第12回
金管は1日にして鳴らず、13歳で大臣賞
2022年10月10日、大阪府高槻市の高槻現代劇場で第23回大阪国際音楽コンクールの「グランドファイナル=ガラコンサート」が開かれた。ピアノのソロや連弾、弦管楽器、声楽(ミュージカル含む)……と広範なジャンル、小学生から大学卒業の一般まで年代別に分かれた審査部門それぞれの第1位を一堂に集めた演奏会。最も優秀なコンテスタント(参加者)に「グランプリ」を与えるための審査を兼ね、筆者も長年、内外の演奏家や名教師とともに審査員を務めてきた。今年は総じて水準が高く「審査員の過半数の得票」が条件のグランプリこそ出なかったが、これに次ぐ「文部科学大臣賞」を管楽器部門「Age-G」第1位のトランペット奏者、児玉隼人が受賞した。
「G」は「卒業生(graduates)」を意味する一般部門。しかし、ベーメの「トランペット協奏曲」第1楽章を唖然とするテクニック、輝かしい音色、聴き手の心を惹きつける音楽性で吹く児玉の姿はまだ幼く、とても社会人には見えない。公平を期し、審査終了後に渡されるプログラムで確かめたところ、「北海道釧路市立鳥取西中学校1年」とある。なんと13歳だ!同時に「アッ」と小声で驚き、記憶の回路がつながった。
*
今から20年ほど前、東京の新聞社を若くして退職、鹿児島県川辺町(現在の南九州市)で農業を継いだ友人――筆者の新人時代、ライバル紙で同じ業種の取材を担当していた――から、「近所の家の息子さんが東京音楽大学に進みチューバを専攻、コンクールでも優秀な成績を収めているらしいので一度、取材してほしい」と頼まれた。ほどなくして現れた児玉隆也は、九州交響楽団との共演でヴォーン=ウィリアムズの「チューバ協奏曲」を吹くなど、すでに実績ある奏者だった。後にニューヨークへ留学、帰国後もフリーランスで活動したが、2007年に釧路へ移住し、奥様とカフェを営みながら、吹奏楽の指導を続けてきた。
その最も優秀な〝教え子〟が2009年生まれの隼人だ。隆也の父で写真家&デザイナーの龍郎からも「ぜひ一度、孫のトランペットを聴いてください」と言われ、なかなか対応できなかった懸案を大阪の高槻、コンクールの場で偶然にも実現できた。
*
隼人は5歳でトランペットに似た金管楽器のコルネットを始め、釧路でフランスの名手アンドレ・アンリを聴いた時、「世界一のトランペット奏者になる」夢を確信した。早くも小学6年生(12歳)で、トランペットのデビューソロリサイタルを釧路と東京で開く。東京の会場、銀座のヤマハホールでは史上最年少リサイタリストの記録をつくった。10歳以降受けたコンクールはすべて1位。2021年から始めたSNSへの動画投稿は600本を超え、世界中からアクセスがくる。
父の隆也もヤマハミュージックジャパンに就職、一家で間もなく東京へ本拠を移し、隼人は早期の海外留学を視野に入れ、さらなる特訓に励む。いつも飄々としていて、高いハードルが苦にならない様子だから、まだまだ伸びるだろう。
金管(ブラス)では親子2代、アート全般ととらえれば3代にわたって受け継がれてきた資質は今、はっきりと世界に狙いを定めた。「ブラスは1日にして鳴らず」、絵に描いたようなファミリー・ヒストリーではないか。■