通奏低音
「山響」創立指揮者が89歳のタクト 通奏低音
 創立50周年、第300回定期演奏会では創立名誉指揮者の村川千秋(中央左)が前半、常任指揮者の阪哲朗(同右)が後半のタクトを振り分けた

第10回

「山響」創立指揮者が89歳のタクト

東北地方で最初のプロ・オーケストラ、山形交響楽団が2022年に創立50周年を迎えた。4月16&17日、山形テルサホールの定期演奏会は第300回の節目にも当たり、創立名誉指揮者の村川千秋が前半、現在の常任指揮者の阪哲朗が後半を振り分けた。

89歳の村川は山形県村山市出身。東京藝術大学大学院からインディアナ大学大学院で作曲、音楽理論を学び、ニューヨークで「オーケストラの魔術師」、レオポルド・ストコフスキーに指揮を師事した。1966年に帰国後は東京交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団など、東京のメジャー・オーケストラで華々しい活躍を続けた。1972年の「日本フィル事件」(フジテレビ・文化放送が専属契約を切り、財団法人を解散。組合派の日本フィル、非組合派の新日本フィルハーモニー交響楽団に分裂した争議)を機に山形へ本拠を移し、「故郷の子どもたちに本物の音楽を届けたい」との一心から山響を設立した。楽器やメンバーを乗せたマイクロバスやトラックを自ら運転して学校を回り、今や60歳以下の山形県民の全員が「一度は山響を聴いた」状態まできた。

山響の西濱秀樹専務理事によれば、「多くのオーケストラが創立者と一時距離を置いたり、袂を分かったりする中、村川さんは正指揮者、常任指揮者、名誉指揮者と肩書きこそ変われども、一貫して山響と苦楽をともにしてきた稀有の例」という。村川が山形テルサの舞台袖から姿を現した瞬間、満員の客席はもちろん、楽員全員が熱狂的な拍手で迎え、なかなか鳴り止まない。最も傾倒する作曲家、シベリウスの「交響詩《フィンランディア》」が始まると、長い時間をかけて磨き上げた北欧風の透明な響きの中から、温かく巨大な音楽が立ち上る。指揮者とオーケストラ、聴衆が一つの家族のような一体感で結ばれる。「あのシベリウスには、勝てません」と、阪も感動の面持ちで語った。

ドイツ語圏の歌劇場でカペルマイスター(楽長)の経験を積んだ阪は後半、R・シュトラウスの「歌劇《ばらの騎士》」抜粋を指揮。タクトを持たず、全身を駆使して描く流麗な音楽には村川とはまた違う味わいがあり、山響の新時代を確実に印象付けた。京都市生まれだが、両親は山形県出身。自身も2000年以来20年以上にわたって山響と共演し、2019年に常任指揮者となった。

「さくらんぼコンサート2022」東京公演(東京オペラシティコンサートホール)
の阪哲朗指揮、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」は大胆に音を鳴らした

山響は毎年6月、県特産の果物の季節に東京と大阪で「さくらんぼコンサート」を開く。2022年6月22日の東京オペラシティコンサートホール、阪指揮の同コンサートでも、即売コーナーに多勢の人が集まった。

山形名物、さくらんぼの特売コーナーも

メインの曲目、「管弦楽のための協奏曲」は第二次世界大戦中、ナチスから逃れて米国へ亡命したバルトークが白血病と闘いながら、1945年に完成した「白鳥の歌」。阪は小編成とは思えないほど大胆にオーケストラを鳴らして楽曲に生命を吹き込み、楽員たちのソロの魅力も際立たせ、東京のどのオーケストラとも異なる山響サウンドの個性をはっきりと伝えていた。さくらんぼの銘品「佐藤錦」にも通じる、丹精こめてつくり込んだ音の味わい。「こんなに凄いオーケストラに育ったのか」「久しぶりに聴く阪の指揮、圧倒的だね」といった声に包まれ、ホールを後にするのが気持ち良かった。■