第5回
『フィデリオ』を読み替えた深作健太
イタリア・フィレンツェのコルシ伯爵邸に詩人や音楽家、画家らが集まり史上初のオペラを創作したのと、出雲の阿国が歌舞伎の原形を生み出したのは、ほぼ同時期で16世紀末のことだ。音楽劇としての根っこと発展プロセスを共有することから「オペラと歌舞伎は双子」と呼ばれるが、一つだけ決定的な違いがある。
歌舞伎の舞台が基本的に同一の視覚を保ち「先代」や「当代」の役者の違いを楽しむのに対して、オペラ、とりわけドイツ語圏の歌劇場では歌手の変遷もさることながら、演出を一定のサイクルで更新、絶えず最先端の総合芸術を目指す。100~200年前につくられたオペラと現代社会を向き合わせ、普遍的メッセージや教訓をいかに引き出せるかが、ムジークテアーター(音楽劇場)の演出家の腕の見せどころだ。ところが日本では歌舞伎の影響か、看板役者=スター歌手への関心が強い分、古典の舞台を近現代に移した〝読み替え〟演出への拒絶反応が強い。
『仁義なき戦い』『バトル・ロワイアル』の傑作を遺した映画監督、深作欣二と同業の息子で、演劇の演出も手がける深作健太は、ドイツのバイロイト音楽祭でワーグナーの総合芸術に深い感銘を受け、ドイツ歌劇に傾倒した。2015年の『ダナエの愛』(R・シュトラウス)で東京二期会のオペラ演出に進出、18年の『ローエングリン』(ワーグナー)を経て20年9月、新国立劇場で第三作、ベートーヴェン生誕250周年の『フィデリオ』に挑んだ。
新型コロナ感染症対策でソロ、合唱団、オーケストラ(大植英次指揮東京フィルハーモニー交響楽団)それぞれにソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の設定)が求められるなか、深作は前二作で封印していた映像を大胆に使った読み替え演出へ打って出た。
深作はヒトラー率いるドイツのナチス政権が第二次大戦中にユダヤ人大量殺戮(ホロコースト)の拠点、アウシュヴィッツ強制収容所に掲げた悪名高い標語「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」に「?」をつけたセット(死の壁)に始まり、戦後の東西冷戦を象徴した「ベルリンの壁」、イスラエルによるパレスチナ西岸の「分離壁」、トランプ米大統領がメキシコ国境に築いた壁に至る「四つの壁」を『フィデリオ』の四つの部分に割り振った。装置は原寸大。飛沫対策を兼ねてフィナーレ以外おろし続けた紗幕には、それぞれの時代のドキュメンタリー映像を映し、説明の字幕を加えた。最後の最後に姿を現した合唱団は一斉にマスクを外し、舞台の左右いっぱいに距離を保って直立、手前にソロが整然と並び「解放の勝利」を歌い上げる大詰めで遂に紗幕が上がる瞬間に、新型コロナとの共存を確立した人類近未来の希望を重ね合わせた。
どこまでも理想を貫くベートーヴェンの音楽、未来への思いを託しつつ過去をたどる深作の映像との時空を超えたコラボレーション。作曲家の生誕250周年、戦後75周年の交差点をコロナ禍で迎えた日本人にも深く、強い感動を刻んだ。(敬称略)■