写真提供=山形交響楽団
第32回
それでも日本人は「蝶々夫人」が大好き
日本が鎖国をやめ世界に門戸を開いて間もない明治初年。長崎に駐留したアメリカ軍人ピンカートンは周旋屋ゴローの仲介で没落武士の遺児、15歳の少女チョウチョウサンを〝妻〟に迎える。キリスト教に改宗するなど、女性が真正な嫁入りと考えたのに対し、〝夫〟には赴任先の一時の慰み程度の認識しかなかった。総領事シャープレスや女中スズキの懸念は的中。ピンカートンが本国の正妻ケイトとともに3年ぶりに長崎を訪れ、チョウチョウサンとの間に生まれた男の子を引き取ると決めた時、すべてを悟った彼女は日本人の誇りとともに自刃する。
Con onor muore chi non puo serbar vita con onore
(名誉を守ることができないのなら、名誉のために死ぬ)
武家の娘として生を授かった者の凛とした死生観が、日本ではことさらに胸を打つ。
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米国人弁護士ジョン・ルーサー・ロング(1861―1927)が宣教師の夫とともに日本へ渡った姉の話をもとに書いた短編小説「マダム・バタフライ」は劇作家デーヴィッド・ベラスコ(1853―1931)によって戯曲化された。そのロンドンでの舞台上演に感銘を受けたイタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858―1924)がジュゼッペ・ジャコーザ(1847―1906)とルイージ・イッリカ(1857―1919)共同執筆のイタリア語台本に作曲し、1904年にミラノ・スカラ座で初演したのがオペラ「蝶々夫人」である。
1900年のパリ万国博覧会に合わせヨーロッパを巡業した日本の女優、川上貞奴(マダム貞奴=1871―1946)の舞台をパリで観た後、ミラノでの再会を実現するなど、プッチーニのジャポニズム(日本趣味)、とりわけ日本女性への関心は人並外れて高かった。オペラに引用された「君が代」「お江戸日本橋」「さくらさくら」「越後獅子」「宮さん宮さん」など日本の旋律も当時のイタリア特命全権公使だった大山綱介の妻、久子のところへ頻繁に足を運び、背景や節回しへの理解を深めたとされる。プッチーニは作品を「トラジェディア・ジャポネーゼ(日本の悲劇)」と定義、「日本人女性を愛したことがあれば理解できる」とまで豪語したと伝えられる。
1985年にミラノ・スカラ座で「蝶々夫人」の演出を任された浅利慶太(1933―2018)は96年、筆者とのインタヴューで次のように語った。
「風俗の描き方こそおかしいものの、明治維新以降、東洋のしっかりとした伝統の中へ西洋文明が入ってきたことに伴う〝軋み〟を見つめるプッチーニの感覚は確かです。チョウチョウサンとの『999年』の契約も、英国の香港領有条件(99年)を暗示しています。自身の信仰を捨てるのに悩む姿は、欧化を受け入れる際の明治のインテリと二重移し。アジア側の抵抗も描いた作品の初演が1904年と、日露戦争開戦と同年に当たるのも興味深いですね」
「蝶々夫人」は美しい旋律と悲劇美の一体化を通じて最も成功したイタリア・オペラの一つに数えられ、三浦環(1884―1946)から中村恵里(1978―)に至るまでの日本人ソプラノ歌手が世界の舞台へ進出する突破口にもなってきた。ところが、近年は「人種差別的視点」「安易なオリエンタリズム」「女性蔑視」への批判が出て、「娘を持つ母親としては観たくない作品」「日本人を馬鹿にしている」といった声を聞く機会も多い。プッチーニは日本全国で大小あわせ年間1000回前後上演されるオペラの10%以上を占め、「蝶々夫人」も「トスカ」「ラ・ボエーム」「トゥーランドット」と並んで切れ目なく舞台にかかる。和服の美しさや日本の旋律の親しみやすさが入門者への敷居を下げているのも確かで、東京よりも地方での意欲的な上演が目立つ傾向にある。
2026年に入っても1月18日に山形交響楽団が常任指揮者の阪哲朗とともにセミステージ形式の上演をやまぎん県民ホールで開き、愛知県の東海市芸術劇場が開館10周年を記念して1月30日と2月1日の2回、クリスティアン・アルミンク指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団をオーケストラピットに招いての舞台上演を行った。ともに高水準の演奏、大入りの客席で地方都市におけるオペラ上演の充実を物語る光景といえた。
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面白いのは前者が太田麻衣子、後者が佐藤美晴と、ともにドイツ語圏で研鑽を積んだ女性演出家を起用した点である。男性の演出家、特に日本人の場合はヒロインをひたすら「かわいい女性」と描きたがるのだが、山形のチョウチョウサン森谷真理は強固な意思、東海市の田崎尚美は「トリスタンとイゾルデ」(ワーグナー)のイゾルデ並みの巨大な存在感を前面に出し、ピンカートンを完全に圧倒した。シャープレスも好人物の先入観を削ぎ、ちょいワルおやじ(山形の大西宇宙)、その場しのぎの無責任(東海市の上江隼人)といった新しい視点を打ち出した。山形のゴロー(高梨英次郎)はタキシード姿で女衒のステレオタイプを避け、西洋人に日本人を売ってでも明治の荒波を生き抜こうとするタフな男性に描かれた。
太田は舞台下手(客席から見て左側)に星条旗、上手に衣紋掛に広がった打掛を置いて東西の文明対立を象徴、佐藤はピンカートン夫妻に「インバウンドの原点」よろしくカメラやガイドブックを持たせ、「西洋人から見た日本=ジャポニズム」の設定を明確に視覚化した。日本人女性を敵に回さない演出の妙、これは東京でもなかなか見られない素晴らしい収穫だった。■