第1回
ブルックナーの聖地でアマオケ献奏
「アマオケ」とはアマチュア・オーケストラの略だ。職業音楽家ではないからといって侮るなかれ。子どものころから楽器を習って、たまたまプロにならなかっただけの腕利きも多く、演奏水準は驚くほど高い。世代を超えて集まり、年に1、2回の演奏会のために同じ曲を何カ月もかけて練習する。
名古屋の愛知祝祭管弦楽団が2016年から4年がかりでワーグナー楽劇の最高峰「ニーベルングの指環(リング)」全4部作の演奏会形式上演を、本場バイロイト音楽祭で学んだ三澤洋史の指揮で8月に完奏した。これに続き同月末、指揮者の長野力哉が海外公演のため組織した日本ブルックナー交響楽団が、作曲家ゆかりのオーストリアのザンクトフローリアン修道院大聖堂でブルックナーの大作「交響曲第8番」全曲と「第7番」第2楽章(アダージョ)を献奏する快挙を成し遂げた。
ブルックナーはリンツ近郊の小村で生まれ、12歳で父親を亡くした後に寄宿制のザンクトフローリアン修道院聖歌隊学校に入った。後にその教師、さらに大聖堂のオルガニストを務め、ウィーンに出てからは音楽アカデミーの教授に上り詰めている。本人の遺志で遺体はザンクトフローリアンに還って大聖堂のオルガン下に眠っているので、ここでの演奏は「聖地巡礼」の意味を持つ。
長野は日本国内でブルックナーの交響曲全曲を演奏するためのアマオケ「リキ・フィルハーモニッシェス・オーケストラ」を15年に立ち上げた。前後して海外公演の話が持ち上がり、コンサートミストレスの天野克子、旅行代理店とともにツアー専門の日本ブルックナー交響楽団を組織。二つのオーケストラのメンバーは当然、かなり重なっている。みな本業があるので遠征の時期は「ニッパチ(2月か8月)」となる。中にはどうしても仕事と重なって、ザンクトフローリアンだけのために日本からオーストリアに1泊で駆けつけたメンバーもいた。
公演前にピアノやベッドなどブルックナーの遺品、柩などに触れ、現在の教会オルガニストの生演奏も聴くうち、長野はもちろん、メンバー全員が「聖地でのブルックナー演奏」に気持ちが一つになった。インド人ながらウィーンで音楽家の基礎を固めた巨匠指揮者、ズービン・メータは「ザンクトフローリアンに行けば、ブルックナーがオーケストラでオルガン音楽を作曲した実態を理解できる」と話していた。確かに大聖堂はオルガンと一体になった「楽器」であり、長野と日本ブルックナー響はそこに全身全霊を投じ、天上の音を鳴り響かせた。
オーストリアの聴衆も日本に負けず劣らず高齢化しているが、ブルックナーへの愛着や遠来の客人に対する礼節には格別のものがあり、深い理解とともに日本人チームへの絶賛を惜しまなかった。打ち上げでのビール、ワインの味わいは格別だったはずだ。■