第30回
被爆80周年、広島で「ピアノの女王」の十八番
最初は世界を股にかけた演奏活動の「停車駅」の一つだった日本が次第に特別の存在となり、深い交流の絆を長期にわたって築くアーティストは少なくない。現存ピアニストの頂点に立つマルタ・アルゲリッチ(1941年ブエノスアイレス生まれ)も1970年、大阪の日本万国博覧会に合わせて初来日した時はまだ、「1965年のショパン国際コンクールに優勝した新進気鋭のピアニスト」でしかなかった。1980年代後半からソロのリサイタルを控え、室内楽やオーケストラとの協奏曲など「ステージ上の孤独を伴わない」ジャンルに集中する過程で、日本の音楽仲間も増えたのは確かだ。
1998年に大分県で「別府アルゲリッチ音楽祭」を立ち上げて以降はほぼ毎年来日、「キャンセル魔」の汚名も返上した。2005年に高松宮殿下記念世界文化賞と旭日小綬章、2016年に旭日中綬章を授かり、今では日本の音楽シーンに欠かせない存在となっている。中でも広島交響楽団(広響=1963年発足)との結びつきは、特別なものだ。
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きっかけは偶然の産物だった。2015年。広島市への人類史上初の原子爆弾投下から70周年の節目にアルゲリッチと同郷で1歳年下のユダヤ系ピアニストで指揮者、ダニエル・バレンボイムがパレスチナ系文学者のエドワード・サイードと組織したウエスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラ(WEDO)が広島での演奏を強く希望した。やがてアルゼンチン出身の第266代ローマ教皇フランシスコの要請でWEDOのブエノスアイレス行きが決まり、広島公演は幻に。広島市が広響に被爆周年記念事業の立案を初めて正式に依頼したのと前後して、「アルゲリッチが広響との共演に関心を持っている」との情報が入ってきた。
アルゲリッチの日本公演を長く支えてきたkajimoto(旧梶本音楽事務所)のマネージャー、佐藤正治さんは広島で被爆死したロサンゼルス生まれの日本人、河本明子さんが愛用したアップライトピアノ(明子さんのピアノ)の修復保存運動に関わり、アルゲリッチにも試奏を持ちかけていた。いきなりの大物登場に困惑する関係者が多いなか、当時の広響音楽監督だった秋山和慶(現永久桂冠名誉指揮者)が実現を強く推し、アルゲリッチも「ベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第1番』でいいですか?」と打診してきた。この曲は8歳の時に公開の場で初めて演奏した協奏曲であり、日本でも小澤征爾指揮水戸室内管弦楽団をはじめとする演奏団体と繰り返し共演してきた十八番に当たる。
2015年8月5日。アルゲリッチは広響の定期演奏会場、広島文化学園HBGホールに現れ、秋山指揮広響とベートーヴェンの1番を演奏。翌週(11日)の東京・サントリーホール公演には明仁天皇(現上皇)と美智子皇后(現上皇后)が公務として臨席され、広響初の「天覧」演奏会が実現した。東京公演はNHKが全国に放映し、メジャー・オーケストラとしての揺るぎない実力を備えるに至った広響の現状を広く知らしめた。
アルゲリッチはこの時から「広響平和音楽大使」を名乗ることになった。「ピアニストの私は、Music Against Crime (犯罪に反対する音楽)の力を信じています。初めて広響と共演した時、オーケストラの活気と優しさに満ちた演奏に心を奪われました。Music for Peace(平和のための音楽)というスローガン、その背後にある理念も私の持っている信念と全く相通じ、気に入りました」との一文を寄せての就任だった。
以後、コロナ禍前後の中断はあったが、2016年の別府アルゲリッチ音楽祭、2019年のポーランド公演、2024年の特別定期演奏会(HBGホール)と、アルゲリッチは広響との共演を重ねてきた。
被爆80周年の2025年。アルゲリッチは10月16日にHBGホール、18日に山口県のシンフォニア岩国コンサートホールで広響特別公演に出演、再びベートーヴェンの第1番を弾いた。指揮は現在の音楽監督でオーストリア人のクリスティアン・アルミンク。
前半にはYouTube上で「Cateen(かてぃん)」の名称とともに人気がブレイク、クラシックのピアニストとしても世界規模で活躍する角野隼斗がアルゲリッチの得意曲、プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第3番」を弾き、さらに長く信頼関係にある酒井茜とアルゲリッチが2台のピアノで同じ作曲家の「古典交響曲」をユーモアたっぷりに演奏した。
(写真提供=広島交響楽団)
プロコフィエフの第3番は2024年にアルゲリッチがアルミンク指揮広響と共演したばかりの曲であり、角野へのバトンタッチには、世代間の継承という意味もこめられていた。東京大学大学院で情報理工学系研究科創造情報学を専攻、フランス音響音楽研究所(IRCAM)でも音楽情報処理を学んだ角野のアプローチはクール。個人的にはロックバンド、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」を思わせる感触があった。
(写真提供=広島交響楽団)
〝大トリ〟のベートーヴェン。アルゲリッチは東京や別府で見る以上にリラックスした雰囲気で脱力が行き届き、若々しい広響メンバーとの音楽の「会話」を心ゆくまで楽しんでいた。もちろん80代に入っても強靭な左手の支えと、右手から紡ぎ出される煌めく高音の輝きは万全だ。鋭い斬り込みにも心の余裕があり、ベートーヴェンの音楽の味わいが自然現象のように溢れ出る。これほど多幸感に満ちたアルゲリッチの演奏はなかなか聴けないものであり、改めて、平和音楽大使の使命への強い思いを感じた。
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振り返れば、筆者がアルゲリッチの実演を初めて聴いたのは1984年秋の広島市。シューマンの「クライスレリアーナ」の強烈な孤独感を今も鮮明に覚えている。86年には広響の演奏会批評を書いて音楽雑誌にデビュー、小澤のアシスタントだったアルミンクとの付き合いも27年になる。
(写真提供=広島交響楽団)
その全員が今、広島市に集い、ベートーヴェンを通じて平和と原爆の惨禍に思いをはせる。音楽が持つ不思議な磁力を強く感じた一夜だった。■