通奏低音
東響監督12年、外国人最長ノットが最後の「9」 通奏低音
             東京交響楽団を指揮するジョナサン・ノット。コンサートマスターは小林壱成。
                       撮影=増田雄介、写真提供=東京・春・音楽祭

第27回

東響監督12年、外国人最長ノットが最後の「9」

2014年4月に東京交響楽団(東響)第3代音楽監督に就任した英国人指揮者、ジョナサン・ノット(1962年生まれ)が2026年3月末で退任する。当初は「1期3年」の契約だったが、2012年、最初の記者会見中に「それでは短過ぎます。とりあえず10年にしましょう」と切り出して周囲を慌てさせた。結局、再度の延長を経て在任期間は12シーズンに達する。ノット本人はもちろん、東響も気づいていないと思われるのは、12年は日本のオーケストラの外国人シェフとして、現時点で最長の在任期間に当たる事実だ。

これまでの最長は、第二次世界大戦前後にわたってNHK交響楽団(と前身の新交響楽団→日本交響楽団)の常任指揮者を2度務めたポーランド生まれのユダヤ人、ヨーゼフ・ローゼンシュトック(1895~1985)の合計11年。2003〜13年に新日本フィルハーモニー交響楽団の第3代音楽監督を担った1971年ウィーン生まれの新進、クリスティアン・アルミンク(現在は広島交響楽団音楽監督)は東日本大震災直後に楽員との関係がきしみ、「あと数か月」のところでローゼンシュトックの記録を更新できなかった。ノットは「年8週間に8種類のプログラム」を淡々と守り、静かに新記録を達成した。

一瞬、影がさしたのは2020年に突発した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界拡大で、国内外の往来が規制され、数度にわたって演奏会の中止や延期を要請された時期だった。「来日後2週間のホテル待機は最初とても退屈でした。窓の下に見えるJRの車両を見ながら『さすがにキレイ好きの日本人も、屋根までは掃除しないのだな』などと余計なことも考えたのですが、やがて授かった時間の貴重さに気づき、楽譜を読みながら、より多層的な音楽づくりの準備に充てました」。2020年7月には来日を断念、ノットが録画した指揮の映像を見ながら、東響が演奏する前代未聞の試みに打って出た。「指揮者はスクリーン越しでもエネルギーを送れる、と知った瞬間でした。自分が東響と作り上げてきた音楽が、そこにはあったのです。うれしい瞬間でしたが、2度と経験したくはないですね(笑)」

東京・春・音楽祭2025でノット指揮の東響が担当したJ・シュトラウス《こうもり》。
演奏会形式だが、簡単な演技がついた。撮影=平舘平、写真提供=東京・春・音楽祭

2022年は11月末にいったん帰国、年末の《第九》(ベートーヴェン「交響曲第9番《合唱付》」)に合わせて再来日する予定だったが、「もし入国できなかったら困る」と思って東京にとどまり、散歩中に立ち寄った東京カテドラル聖マリア大聖堂で「任期中最後のシーズンにJ・S・バッハの《マタイ受難曲》とブリテンの《戦争レクイエム》を演奏しよう、とのアイデアを授かったのです。最初のシーズンにミューザ川崎シンフォニーホール開館10周年記念コンサートでマーラーの『交響曲第8番』を指揮した際、東響コーラスの存在を知りました。アマチュア中心ですが、厳しいオーディションを経て高い水準を保っています。もちろん、《マタイ》もブリテンもご一緒します」。

実は、筆者とノットの関係は長期にわたる。1988〜92年に(旧西)ドイツのフランクフルト・アム・マイン市で働いていた時、市立劇場の歌劇部門「オーパー・フランクフルト」に現れた「将来、カペルマイスター(楽長)として有望な若い稽古ピアニスト」が20代のノットだった。英国人でありながら稽古ピアニストからコレペティートル、副指揮者、常任指揮者、音楽監督、音楽総監督……と、ドイツ伝統のカペルマイスターの階段を着実に上り、2000〜16年にはバイエルン州の名門バンベルク交響楽団の音楽監督を務め、マーラー国際指揮者コンクールを創設した。最初にインタビューしたのもバンベルク響との来日時だったし、N響を指揮した現代音楽の演奏会も取材したが、まさか東響の音楽監督を引き受け、12シーズンも見守ることになるとは思わなかった。

ノットは最後の「シーズン12」をブルックナー「交響曲第8番」(ノーヴァク版第1稿は、彼にとって初めて指揮するエディションだった=4月5&6日)で始めた。4月18日と20日には「東京・春・音楽祭2025」のフィナーレに招かれ、東京文化会館大ホールで今年が生誕200年に当たるヨハン・シュトラウス2世の「オペレッタ《こうもり》」全曲の演奏会形式上演に臨んだ。2人の作曲家は1歳違い(ブルックナーが年長)の同時代人。ノットと東響の強い一体感と推進力からは、両者のモダンな側面が鮮やかに浮かび上がった。

ミューザ川崎に記者・評論家を招き、
闊達に語り続けるノット。
撮影=池田卓夫

ブルックナーとシュトラウスの谷間に当たる17日には、東響の本拠地(フランチャイズ)、ミューザ川崎の市民交流室にノットが親しい記者&評論家を招いて、自身で調達したシャンパン(《こうもり》の重要な小道具!)を振る舞い、立ったままで90分以上、次々と質問に答えながらテーブルを巡回する形の懇親会を開いた。

様々な形で過去11シーズンの成果が語られるなか、筆者は「逆に東響からノットさんが授かったものは何ですか?」と尋ねた。「確かに『与える』と『与えられる』の両方がないと、共同作業の環(サークル)は完結しませんね。Googleで東京交響楽団を検索すると、ラッヒェンマンやアダムスらのすごく難しい作品を日本初演した実績が出てきます。私も今回ラッヒェンマンをとり上げましたが、東響のメンバーは難曲であっても入念な準備を怠らず、最初のリハーサルの段階で各人がジグソーパズルのピースの位置付けと全体像を把握しているのです。これによって全員がインヴォルヴ(関与)、音楽を消費するのではなく、ともに造形する(mitgestalten=ミットゲシュタルテンというドイツ語を使った)態勢を究め続けられたのは、最高にうれしい収穫でした」

音楽監督として最後の定期演奏会は、2025年11月の武満徹《セレモニアル》(笙=宮田まゆみ)とマーラー「交響曲第9番」で、2014年4月の監督就任披露と全く同じ。さらに12月恒例の《第九》を振り、「9」に因む「最後の交響曲」2つで締めくくる。■