通奏低音
97 歳のタクト、奇跡のブロムシュテット 通奏低音
         オネゲルの交響曲第3番《典礼風》を指揮するブロムシュテット(写真提供=NHK交響楽団)

第24回

97 歳のタクト、奇跡のブロムシュテット

1927年7月11日生まれの97歳。ヘルベルト・ブロムシュテットが2年ぶりに日本を訪れ、桂冠名誉指揮者のポストを持つNHK交響楽団(N響)の定期演奏会3シリーズ6公演を見事に振りおおせた。ロシア指揮法の大家イリヤ・ムーシン(1903―1999)が1998年に最初で最後の来日を実現、京都市交響楽団と共演した際は弟子の西本智実と1つの演奏会を折半した。ブロムシュテットは2023年夏に骨折して秋の来日を中止、「もはや、これまでか」と思われたが復活を遂げた。2年ぶりのN響客演は日本のプロ・オーケストラの定期演奏会史上最高齢の指揮者の記録を塗り替えたばかりか、数年前よりも音楽の生気を増しているという奇跡の現場でもあった。

生まれは米国マサチューセッツ州スプリングフィールド。父アドルフは14歳で孤児としてスウェーデンから米国に渡ってセブンズデー・アドヴェンティスト派自由教会の牧師となり、同じくスウェーデン移民の娘でピアニストのアリーダ・アルミンタ・トールソンと結婚した。米国とスウェーデン、二重国籍のヘルベルトが2歳の時に一家は北欧へ戻り、ストックホルムで最初の本格的な音楽教育を受けた。ニューヨークのジュリアード音楽院などでも学んで1954年にロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビュー、2024年はその70周年の節目でもあった。

宗教上の理由でリハーサルを含む土曜日の仕事は一切引き受けず、ヴェジタリアン(菜食主義者)の厳格な日常生活に徹してきた。旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)のシュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン州立歌劇場管弦楽団)首席指揮者だった時期(1975〜85年)、レコーディングを通じて日本でも知られるようになり、1981年にN響への客演が実現した。初顔合わせにもかかわらず、急死した楽員の葬儀に夫妻で駆けつけるといった人柄も手伝って〝相思相愛〟の関係が深まり、1986年に名誉指揮者、2016年に桂冠名誉指揮者の称号を贈られた。2018年春の叙勲では旭日中綬章。2013年以降は2020、23年を除き、年1度のペースでN響に戻ってきた。

ブロムシュテットの指揮でニルセンの協奏曲を独奏したN響首席クラリネット奏者、伊藤圭
(写真提供=NHK交響楽団)

素直に告白すれば、私はブロムシュテットの指揮が長く苦手だった。音楽学者の経歴もあって最新の校訂楽譜の隅々まで読み込み、洗練されたスタイルで端正かつ新鮮に再現される音像にはいつも感心する半面、ヴェジタリアンへの偏見かもしれないが、分厚いステーキをガツンと食べた時のような満腹感が得られないことに物足りなさを覚えていた。脳内のブロムシュテット像が明らかな変貌を遂げ、聴く度に深い感銘を受けるようになった契機は今から10年前、2014年9月のN響定期で前半にモーツァルト、後半にチャイコフスキーそれぞれの「最後の3つの交響曲」を組み合わせた3シリーズ一体のプログラムだった。帝政末期のロシアにあって、モーツァルトを範に「西側」志向の音楽を目指すチャイコフスキーの葛藤が驚くほど克明に追跡され、両者一体の表現世界へと結晶するプロセスを通じ、ただただ自分の不明を恥じた。

今回は次の3プログラムを指揮した。

オネゲル「交響曲第3番《典礼風》」、ブラームス「交響曲第4番」(10月19&20※日、NHKホール)

 

シベリウス「交響詩《トゥオネラの白鳥》」、ニルセン「クラリネット協奏曲」(独奏・伊藤圭=N響首席奏者)、ベルワルド「交響曲第4番《ナイーヴ》」(10月10※&11日、サントリーホール)

 

シューベルト「交響曲第7番《未完成》」「同第8番《ザ・グレート》」(10月25※&26日、NHKホール)

※は筆者鑑賞日

最晩年(といっても80代前半)のヘルベルト・フォン・カラヤンが肉体の衰えから正味1時間あまりの短い曲目に絞ったり、ムーシンが1つの公演を弟子と振り分けたりしたのとは違い、フルサイズのメニューだ。骨折以後は舞台袖から指揮台までの移動にコンサートマスターの肩を借り、指揮台に用意されたピアノ椅子に腰かけるようになったが腕の動きは機敏で句読点を正確に打ち、リズムもはっきりと際立たせる。

シューベルトにはブラームスらによる校訂(改ざん)を排した最新のスコアを使い、シューマンが「天国的な長さ」と評した《ザ・グレート》の膨大な繰り返しを全部実行した。「この音楽の豊かさを明らかにし、すべてを有機的に結合させることが、解釈者にとって大きな課題です。聴衆が退屈して『ああ、またか』とならないように、祝福の音でなければなりません」と、かつて自身が語った通り、最終楽章では繰り返しのたびに音楽がエネルギーを増し、最後はマッチョで巨大な音響の塊へと昇華した。

シベリウス《トゥオネラの白鳥》では池田昭子のコールアングレ(イングリッシュホルン)独奏が冴え渡る玲瓏な音世界のなか、ブロムシュテットは明らかに彼岸と対話していた。あと1曲を挙げれば、オネゲルの《典礼風》。第二次世界大戦に対する怒りと平和への祈りをこめ、1946年に初演されたスイス系フランス人の交響曲をブロムシュテットはたった今、作曲されたばかりのような生々しさで再現した。終戦時点18歳だった青年が80年近く一貫して持ち続けてきた平和への強い思い、目下の世界情勢への危惧などが大きな感情の渦となり、楽員と聴衆の双方に深い感銘を与えた。


シューベルトの《ザ・グレート》を振り終え、楽員が退出した後もステージに呼び戻され、
コンサートマスター川崎洋介と歓呼に応えるブロムシュテット(写真提供=NHK交響楽団)
 

N響はすでに2025年10月、98歳での来日を予告している。■