通奏低音
適切にもほどがある、オペラと落語と地震 通奏低音
           メノッティのオペラ「助けて、助けて!エイリアンだ!!」 左端が「音楽の先生」の仲谷響子、中央が「校長先生」の龍進一郎
                   (写真提供=公益財団法人・石川県音楽文化振興事業団)

第21回

適切にもほどがある、オペラと落語と地震

北陸新幹線が敦賀まで延伸された翌日の2024年3月17日、石川県金沢市を訪れた。元日に起きた能登半島地震後の経済復興を支援する「北陸応援割」の効果か、観光客でごった返すJR金沢駅構内を早々に抜け出し、向かった先は兼六園口駅前広場に面して建つ石川県立音楽堂。昭和〜平成の大指揮者、岩城宏之(1932~2006)が1988年に創設したオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の本拠地で、今回は「石川県立音楽堂スペシャル・ステージ『新作落語×オペラ』」という主催企画の取材が目的だった。

音楽堂は2001年開場の少し前、ちょっとした騒動に巻き込まれた。前田利家を藩祖とする「加賀百万石」の城下町、金沢には能楽の加賀宝生、歌の入らない金沢素囃子(ともに無形文化財)などの伝統芸能が根づき、邦楽関係者は今日も行政の文化政策に対し、強い発言力を持っている。音楽堂新設が決まり着工する寸前、「西洋クラシック音楽のためだけに建てるのは邦楽の街・金沢の玄関口にふさわしくない」とのクレームが入り、土壇場で邦楽ホール併設の設計に変更された。結果として、コンサートホールの一角に邦楽ホールの外構が食い込む形となり、座席数削減はもちろん、「オーケストラの見えない席」が生じたため、生前の岩城は怒りまくっていた。

日ごろクラシック音楽の取材をメインにする者として、邦楽ホールに足を踏み入れるのは初めてだった。しかも新作落語とオペラの風変わりな組み合わせ子ども向け企画の触れ込みは「一体、何が起きるのだろう?」という期待と不安を抱くのに十分だった。背後からは「お前、裏切ったな」と苦笑する岩城の声が聞こえてくるような気がした。

前半は林家彦いちが自身の新作落語「熱血!ミステリーサークル」で高座に上がった。廃校を舞台に熱血体育教師が実際は幽霊や妖怪の生徒たちを叱咤激励、爆笑の後にヒヤリとさせる怪奇ミステリー。ちょうど放映中だった宮藤官九郎脚本のテレビドラマ「不適切にもほどがある!」(TBS系)で阿部サダヲが主演した昭和の強烈な体育教師の姿と重なる部分も多く、観客は自然に語りの世界に入っていく。客席のほとんどは親子連れ。子どもは最初、慣れない落語の世界に戸惑っていたが、親たちが声を上げて笑うのを見て、「ホールの中でも笑っていいのだ」という〝刷り込み〟が出来たのは幸いだった。

自身の新作落語「熱血!ミステリーサークル」を語る林家彦いち師匠
(写真提供=公益財団法人・石川県音楽文化振興事業団)

後半の「助けて、助けて! エイリアンだ!!」はイタリア系アメリカ人の作曲家ジャン=カルロ・メノッティ(1911~2007)が1968年に作曲した1幕4場の宇宙人SFオペラ「Help, Help, the Globolinks!」の日本語版。東京文化会館が児童参加型の「オペラBOX」事業の一環として2017年に岩田達宗の演出で制作、2023年に再演した(ともに東京文化会館小ホール)。金沢でも岩田の演出、柴田真郁の指揮は東京と同じだったがキャストは運転手トニー役の岡昭彦(バリトン=藤原歌劇団)以外北陸圏の歌手に一新され、新たに校長役を演じた龍進一郎(同)が全体のコーディネート役を兼ねた。スクールの子どもたちは地元の児童合唱団「エンジェル・コーラス」、東京公演に出かけて留守のOEKに代わって器楽合奏を担った7人も地元ベースの若手奏者で、岩田と龍は実質、金沢で新しい舞台を一から作り上げたことになるが、能登半島地震はここにも暗い影を落としていた。

震災直後、石川県立音楽堂は閉鎖され、OEKも公演中止に追い込まれた。オペラでも実質主役(プリマドンナ)のメゾソプラノ、仲谷響子が輪島市在住だった。市内の小学校で音楽を教えているが、震災で自宅が倒壊。被災直後は消息不明となり関係者に動揺が走った。3日後に避難所で生存が確認され、南砺市の親類宅に2次避難しながら金沢の稽古場へ通った。「音楽によって、生きる力を取り戻しました」といい、全身に感動を漲らせた演唱は圧巻だった。金沢在住のソプラノ歌手、田島茂代は「仲谷さんの振り切れた表現が困難に立ち向かいながら音楽を渇望した御自身の心のうちと重なり、演奏家としての私の心にも響くうねりとなって訴えるものがありました」と、感動を語った。

特筆すべきは舞台上と客席、それぞれの子どもたちの輝きだった。エンジェル・コーラスが〝お仕着せ〟に飽き足らず、中には演出の岩田に直接質問する積極性をみせた背景に、「芸事」にまつわる加賀百万石の蓄積の重みを感じないわけにはいかなかった。客席の子どもたちも落語ですっかり硬さが取れ、指揮の柴田も上手に煽るので自然に笑い、掛け声を入れ、手拍子を打つ。トニー役の岡が「幸せなら手をたたこう」を歌い出すと客席の唱和が始まり、会場全体に広がっていったのも、東京にはない光景だった。

天災は一瞬で生活を一変させるが、被災した人々にも明日はある。未来を担う子どもたちに地域文化の伝統が脈々と受け継がれ、情感豊かに生きる姿を目の当たりに出来たこともまた、素晴らしい光明だと思えた。(敬称略)■