第6回
「指揮者コンクール」の一期一会
ピアノやヴァイオリンなどの器楽、声楽と違い、自分から音を出さない唯一の演奏家である指揮者の優劣を即座に判定できるわけがない――。新聞社で音楽担当の編集委員をしていたころ、「指揮者コンクール」の存在自体に否定的だった。皮肉なことにフリーランスの音楽ジャーナリストに転じて最初に依頼された仕事が、2018年10月の第18回東京国際音楽コンクール〈指揮〉(民主音楽協会主催)の本選密着取材だった。4人のファイナリストの音楽性、指揮テクニック、オーケストラから引き出す音色のすべてが大きく異なり、過去の自分の不明を恥じる以上に興奮を覚えた。1967年の発足以来で初めての女性(沖澤のどか)が優勝、上位3人全員が日本人という珍しい結果だった。
審査委員長は斎藤秀雄、朝比奈隆、外山雄三と受け継がれ、2021年の第19回で尾高忠明に代わった。尾高自身が1970年の第2回で第2位を得た翌年にプロデビュー、コンクール出身の審査委員長第1号となった。
「新型コロナウイルス感染症の世界拡大で実現が危ぶまれ、一時は日本人の参加者と審査員だけの開催や2022年への1年延期も視野に入れ、オーケストラの仮予約もしました。関係者の多大な努力で予定通り開けただけでなく、過去最多の49か国・地域から331人の応募があり、本当に素晴らしい、充実した審査が出来たのは大きな喜びです」と、尾高は本選終了後に語った。
書類・映像審査で331人から14人を選び、コロナ禍の影響で2人棄権、12人が第1次予選に臨んだ。国外からの参加者、審査員は来日後14日間の隔離待機を求められたが、若者たちは「初めて日本に来られた喜び、ゆっくりと楽譜を読み込んで審査に備える時間を与えられ、苦になりませんでした」と意に介さない様子だった。さらに8人に絞られた第2次予選までは東京フィルハーモニー交響楽団が担当し、交響曲だけでなく協奏的作品(横坂源のチェロでチャイコフスキー「チェロと管弦楽のための《ロココ風の主題による変奏曲》」)、オペラの伴奏(佐藤亜希子のソプラノでモーツァルト「歌劇《ドン・ジョヴァンニ》」から)、日本の20世紀作品(三善晃《交響三章》)まで幅広いジャンルの課題曲で可能性をチェックした。
本選は新日本フィルハーモニー交響楽団に替わり、10月3日に東京オペラシティコンサートホールの有観客公演として行われた。前半は4人のファイナリスト全員がロッシーニの「歌劇《どろぼうかささぎ》序曲」を振り、後半は各人の自由曲を競った。結果はストラヴィンスキー「バレエ音楽《ペトルーシュカ》」のジョゼ・ソアーレス(ブラジル=23歳)が1位、サン=サーンス「交響曲第3番《オルガン付き》」のサミー・ラシッド(フランス=28歳)が2位、R・シュトラウス「交響詩《死と変容》」のバーティー・ベイジェント(英国=26歳)が3位。チャイコフスキー「幻想的序曲《ロメオとジュリエット》」を指揮した唯一の日本人、米田覚士(25歳)は4位(入選)だった。
それぞれ持ち味や経験に差があり、審査の物差しを変えれば異なる結果も想像できたが、まれにみる高水準であり、何より普通のコンサートとして、客席を熱狂させたのが素晴らしい。東京フィル、新日本フィルの全力投球には参加者だけでなく、審査員も賞賛を惜しまなかった。コロナ禍で世界の音楽シーンが良い方向に変わったとしたら、それは一期一会を大切に全身全霊で音楽を奏で、聴く姿勢の回復にあるのかもしれない。■