第19回
N響、高齢指揮者の若手代役にひと騒動
それぞれの楽器を手にした100人の楽員を前にただ1人音を出さず、演奏をまとめる指揮者には年季が必要とされる。世界的にも「指揮者は60歳以降が勝負」と言われ、「長幼の序」を重んじる日本ではとりわけ、高齢マエストロ(巨匠)崇拝が根強い。
日本のトップオーケストラ、NHK交響楽団(N響)は「皆様のNHK」の看板を背負った放送オーケストラとして、視聴者から良く知られた指揮者を起用するプレッシャーにもさらされてきた。2023年10月には桂冠名誉指揮者で96歳のヘルベルト・ブロムシュテット(スウエーデン系米国人)、11月には92歳のヴラディーミル・フェドセーエフ(ロシア人)が体調不良で来日を見合わせ、N響事務局は代役の手配に追われた。
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オーケストラの最も基本に位置する本番はほぼ毎月の定期演奏会であり、N響や東京都交響楽団(都響)など複数のシリーズを設けている楽団も多い。N響にはABCの3定期(各2公演)があり、10月は全部をブロムシュテット、11月はAをフェドセーエフが指揮する予定だった。
10月のAは直前にキャンセルが決まったために休演、BはN響正指揮者で大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明、Cは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団と仙台フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を兼ねる高関健と60〜70代のマエストロ2人に代役を委ねることができた。11月はさらに繁忙期の上、フェドセーエフの組んだ曲目がロシア音楽、しかも前半は〝巨匠芸〟を味わうためのレアな小品集、後半はチャイコフスキーの有名なバレエ音楽《眠れる森の美女》の組曲でも通常のストーリー順5曲ではなく、12曲に拡大して順番も入れ替えた「フェドセーエフ版」と、年季を積んだ指揮者でも簡単には引き受けられない難物だった。
N響が11月15日に発表した決定は理に適っていた。2021年に前首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィのアシスタントに採用され、2022年1月から指揮研究員の肩書きで公演に関わってきた30代前半の若手2人、平石章人が前半、湯川紘恵が後半を振り分けることにしたのだ。湯川は12月2&3日、東京文化会館の牧阿佐美バレヱ団公演で《眠りの森の美女》全幕を指揮する予定があったため、この順番に落ち着いたと思われる。
ある意味で当然ながら高齢マエストロ最晩年の輝きに期待していた聴衆、とりわけシーズン券ではなく1回券を購入したロシア音楽のマニア層は強く反発、SNSにカスタマーハラスメント(「消費者は王様」的な発想からの理不尽なクレーム)と見紛うばかりの投稿をする人まで現れた。
少し慌てた?N響は20日に再度プレスリリースを発信、「2023年3月にフェドセーエフ氏指揮で行った近畿・中国を巡るN響の公演で、2人は同氏から多くの教えを受けました。また両名は今回の11月定期公演Aプログラムの準備段階において、フェドセーエフ氏が編んだ《バレエ組曲「眠りの森の美女」》の楽譜作成に携わるなど、同氏ならではのロシア特集プログラムを音楽面で最も深く理解していることから、代役にふさわしいと判断いたしました」と補足した。フェドセーエフも「いつも私のリハーサルに立ち会ってくれた若い指揮者たちの可能性と才能を信じています」と、応援のメッセージを送ってきた。
筆者は11月25日のA定期初日のゲネプロ(ゲネラールプローべ=本番前の総練習)に招かれたスポンサー向けのイヤホンガイドの語り手を、湯川の代役として務めた(代役の代役?)。2人とも緊張の極にあり、特にスヴィリドフ《小三部作》、プロコフィエフ「歌劇《戦争と平和》のワルツ」、A・ルビンシテイン「歌劇《悪魔》のバレエ音楽」、グリンカ「歌劇《イワン・スサーニン》のクラコヴィアク」、リムスキー=コルサコフ「歌劇《雪娘》組曲」とレア物の連続に挑んだ平石は、薄氷を踏む思いだっただろう。
だが、すでにアマチュアへの客演を重ね、プロの本番も増えつつある段階の指揮者だけに、平石のダイナミックな振り方は堂に入っていたし、それぞれの曲想の違いも適確に押さえていた。湯川も慎重な運びながらスコア(総譜)を手中に収め、フェドセーエフが目指した世界をお客様のため、丁寧に再現しようと努める姿勢で際立っていた。特筆すべきはN響楽員たち(コンサートマスターは伊藤亮太郎)の献身的な協力態勢で、何が何でも代役劇を成功に導こうとの強い意思が、輝かしい音の端々から伝わってきた。
尾高は「古くは岩城宏之さん、外山雄三さん、最近の熊倉優さんに至るまでN響は指揮研究員が振る機会を設けてきました」といい、本番前の平石と湯川に「何でもいいから、遠慮だけはするな」と激励メールを送った。NHKの予算削減に伴いN響への補助金も削減される中、「今シーズンは約1億円の赤字を抱えて走っている」(今村啓一理事長)状態。公演中止がもたらす損失は痛手であり、2か月続けて穴を開けるわけにはいかなかった。
「お客様も後年、『あの2人のデビューに立ち会えた』と振り返れるような長い眼差し、大きな心で接してほしいですね」と、尾高は釘を刺した。公演後、N響事務局に寄せられた反響にも「楽員や聴衆があたたかく見守る中、2人は見事大役を務めたと思う。この経験を活かして頑張ってほしい」「フェドセーエフさんの思いが詰まったプログラムをそのまま聴くことが出来て本当に良かった」など、好意的なものが多かった。
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1943年11月14日。67歳のマエストロ、ブルーノ・ワルターの急病を受け、25歳で無名のレナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックの代役に抜擢された。バーンスタインは一度も振ったことがないプログラムを鮮やかに指揮して大成功、一夜にして名声を手に入れた。80年前とは世界楽壇を取り巻く状況が一変したとはいえ、超高齢指揮者の代役を悲壮な覚悟で引き受けた若手に対し、全員がもっと寛容な視点から声援を送ることはできなかったものかと、深く考えさせられる〝事件〟だった。■