仮初めまみれの日常だけど…

この真実だけでもう 胃がもたれていく

(SPY×FAMILY オープニング主題歌「ミックスナッツ」Official髭男dism)

Aphorists

アニメのオープニングやエンディングの主題歌は、いつから「エチカ」(倫理)になったのか。顔もみせずボーカロイドでたちまち数千万、数億のPVを稼ぐ歌い手を果敢に起用しているうちに、彼らの発する声なき声の内的独白が、勝手にrécits(物語)を形成し始めた。典型はテレビ東京でアニメ化された『スパイファミリー』(原作は 遠藤達哉の漫画)だろう。

断っておくが、褒め殺しではない。低PBR(株価純資産倍率)のテレ東でこのヒットを飛ばしたのが、親会社日経の天下りたちの功績でないことは明らかだ。架空の国オスタニアに潜入した凄腕スパイと、市役所職員を装う女殺し屋と、人の心が読めるエスパーの幼女が、疑似家族を組む筋立ては、ブラピとアンジーの映画『Mr.&Mrs.スミス』のパロディーで、そこに名門学園の根性ドラマを組み合わせた荒唐無稽のスノッブ・コメディーである。

冷戦復活のノスタルジーだけでないのは、劇中で仮面をかぶるこの家族ばかりか、アニメ自体がドタバタを偽装していることでも分かる。その正体は主題歌が明かす。「隠し事だらけ、継ぎ接ぎだらけのHome, you know?/嚙み砕いてもなくならない、本音が歯に挟まったまま/不安だらけ、成り行き任せのLife, and I know」。これは鏡に映ったあなたのunrestだ。この主題歌「ミックスナッツ」の批評性の棘には、余資を持て余すテレ東経営陣まで虚仮にする猛毒が潜む。

真実は胃にもたれる。笑うしかない。それが今のエチカなのだ。「所詮ひとかけの日常だから/腹の中にでも流して寝よう」。紛れもなく大人たちの似姿だ。気がつけば、どのアニメも「生き様」の歌ばかり。バトルシーンがグロい『チェンソーマン』のKICK BACKも、世に瀰漫びまんする「努力、未来、a beatiful star」の甘い幻想を、重いビートと目まぐるしい転調で“蹴り返す”。十年一日の歌謡曲、下手な芥川賞作品より胸に刺さる。この絶対絶命のエチカは一言に尽きる。さあ、クズども、アニメで目を覚ませ。(A)

 

SPY×FAMILY
                  作・湊 久仁子