かたりあひて尽くしゝ人は先だちぬ

今より後の世をいかにせむ

(岡義武『山県有朋明治日本の象徴』より、明治41年詠)

 

Aphorists

岡義武の『山県有朋』が一躍、本屋で引っ張りダコだそうな。「国葬儀」で菅義偉前首相が読んだ弔辞に出てきて評判となった。実は5月に亡くなったJR東海の葛西敬之名誉会長の葬儀でも引用された。その時の弔辞は安倍晋三元首相自身が読み、本はこの歌にマーカーを印して読みさしになっていた。使いまわしの奇遇である。

それにしても解せない。本は決して有朋を肯定的に書いていない。権力に憑かれた自己目的化に岡は辟易している。この歌も暗殺された伊藤博文を素直に悼んでいるかにみえるが、政友会総裁だった博文を枢密院議長に棚上げし、政治生命を絶って韓国統監に追いやった張本人は有朋なのだ。酷薄な政治的人間らしい「ワニの目に涙」である。

西南戦争では陸軍卿として西郷隆盛を城山で敗死させながら、「山はさけ海はあせむとみし空のなごりやいづら秋の夜の月」と詠んでいる。年来の盟友をころした悲痛な心境を詠ったようにみせ、平然と源実朝の本歌取りで済まして裏で舌を出したかもしれない。知らぬが仏。遺影の元首相も、祭壇に礼する前首相も、ウケそうな部分をつまみ食いしただけか。

それが安直な感動を呼ぶのが悲しい。優れた本は最後まで読むべし。大正11年に逝った有朋の国葬は不人気で、会場の日比谷公園は閑散としていた。先に亡くなった大隈重信の国民葬は、同じ会場だったが30 万人の「雑踏、盛大をきわめた」という。岡を読むなら、ついでに双璧の『近衛文麿』も読むべきだろう。こちらは自決した昭和のポピュリストの悲劇が、合わせ鏡のように目に浮かぶ。もって瞑すべし、とはこれを言う。(A)

かたりあひて尽くしゝ人は
                  作・湊 久仁子