今は全てに恐れるな

痛みを知る

ただ一人であれ

(映画『シン・ウルトラマン』主題歌、米津玄師「M87」)

 

Aphorists

たぶん『シン・ウルトラマン』は、全編ノスタルジーで見るべき映画なのだろう。円谷プロのウルトラマン・シリーズがテレビに登場したのは1966年。かつての怪獣が「禍威獣」、科学特捜隊が「禍特対」に替わっても、ことさらコロナ禍と「コロ対」(内閣官房新型コロナウイルス等感染症対策推進室)にかこつけるのは滑稽でしかない。

手を替え品を替え「セブン」や「タロウ」が派生したシリーズに胸を躍らせた世代は、あの銀色の巨体に金縛りにあったように陶然となるに違いない。すべてが錯覚の世界であり、ガラガラの玩具めいた禍威獣や模型の街並みがどれだけチャチでも、自在に巨人化し、空を翔け、手を十字に組んでスペシウム光線を発するあの幼児感覚は、何ものにも代えがたい。

米津も歌う。強くなりたかった、何もかもに憧れていた、と。明るくなった映画館で、誰もが満ち足りた顔をしていた。ここにはひとつも成長しない、ひたすら退行する快感がある。企画・脚本の庵野秀明は『新世紀エヴァンゲリオン』でも『シン・ゴジラ』でも、次作の『シン・仮面ライダー』でも、どんどん退行してヲタクの喪失感を漂わせるがゆえに、海外で上映したらこの郷愁はとても共有されまい。

ベクトルがすべて後ろ向きの鬱屈した国でしか、こういうカタルシスは生まれないのか。そういえば、NHK土曜ドラマ『17才の帝国』も、日の沈む国ジャパンの起死回生プロジェクト、地方都市を17歳の高校生総理とAIコンピュータに委ねるという設定だった。そのエンディングの歌も「声よ、響いて」であり、アニメ『鬼滅の刃』遊郭編のオープニング「残響散歌」も、サビは「声よ、轟け」である。

何を奏でて?誰に届けたくて?不確かなままでいいどんなに暗い感情もどんなに長い葛藤も歌と散れ残響

(歌・Aimer作詞・aimerrhythm作曲・飛内将大)

声が届かないから、そんな痛ましい歌詞になる。「聞く耳」がウリの岸田政権も7月参院選に勝てば、残響だけになって、そんなふりなど忘れてしまうだろう。(A)

痛みを知る ただ一人であれ
                  作・湊 久仁子