覚えておこう

勝利ではなく

終息だということを

(方方『武漢日記』2020年3月10日、飯塚容・渡辺新一訳)

Aphorists

非日常下の日常が武器になる。読み直してそう思った。新型コロナ"発祥"の地の武漢で、最初の感染爆発が起きた2020年春、1000万人都市がロックダウン(封城)で閉じ込められた60日間を、地元の女性作家、方方ファンファンが綴ったブログのことだ。英訳、邦訳があるが、中国内では公刊が許されない。忌憚のない政府批判が、検閲の虎の尾を踏んだからだ。

政府系の環球時報や極左のネット野次馬から、海外に中国の恥をさらす「文化漢奸」「階級敵人」と罵倒されたが、検閲官が消しても消してもネットでコピーされ、耐えるほかない湖北人のみならず、中国全土で毎夜、数千万人に読まれたという。60歳過ぎて老犬と一人住まい、糖尿を患いながら、淡々と日常を記した気骨ある生活日記が人々を励ました。

武漢が鎮静化し封鎖を解除したのは76日後。習近平政権は当初「ヒト・ヒト感染」を否定した判断ミスに口を拭って「勝利」と自賛し、以来2年余、ゼロコロナを堅持している。今も上海や北京で「我々はいかなる代価も惜しまず」コロナを制圧すると豪語するが、方方は切り返す。「我々」とはお偉いさんのことで、「代価」を支払わされるのは市民だ、と。

「勝利ではなく」も、感染の火消しに感謝を要求する党・政府に対し、単なる「終息」(それもつかの間の)にすぎない、という寸鉄の言なのだ。彼女のしたたかさは、為政者の空理空論を覆す日常の強さから来る。「わずかな時代の塵でも個人の頭に積もれば山となる」と信じる方方は、忖度そんたく官僚が跋扈したままでは「国が亡びる」という思いで検閲と戦った。

日本はオミクロン変異種が猖獗しょうけつを極めた第6波の終息を待たず、なし崩しで「規制なし連休」を過ごしたが、ツケは野となれ山となれで、その謝礼に7月の参院選を勝たせてほしいという岸田政権の勝手である。コロナ下の政権はすでに3代目。わが国に「方方」はいたのだろうか。ワクチン接種で克服した気になって、口先だけ「ウィズコロナ」だが、政治も行政も機能不全のまま。ウイルスは変異すれど、人は変わらずである。

「人命は鴻毛よりも軽し」は中国か、日本か、はたまたロシアか。(A)■

覚えておこう、勝利ではなく終息だということを
                  作・湊 久仁子