Nay further, we are what we all are abhorne, anthropophagi, and cannibals.
(それどころか、我らは誰もが忌み嫌うもの、食人種、共喰い族なのだ)
Sir Thomas Browne, Religio Medeci 37
枕もとに常日ごろ、プラトンの『ファイドン』とトーマス・ブラウンの書物が置いてあったというハーマン・メルヴィルの顰に倣って、毎夜、寝酒代わりの枕頭の書に『医師の宗教』Religio Mediciを少しだけ読むことにしている。博覧強記のこの英国人医師、「韜晦の祖」と言われただけに、さすがに難解ですぐ眠れる。
しかし夢のなかで毒がじわじわまわってくる。引用した一文は、同時代人ホッブズの「人は人に狼」homo homoni lupusと同じく、パドゥアで解剖を学んだブラウンが、眼前の死体を前に永遠の神を思索していたことを窺わせる。でなければ「私たちは自分自身を貪り食らってきたのだ」という痛烈な言葉は吐けない。
清教徒革命と王政復古の乱世の時代だった。ロンドンを死の都にしたペストや大火もあった。衒学を隠れ蓑にしたブラウンの韜晦は、尻尾をつかまれないための工夫でもあったろう。だが、その剣呑さは現代にも通じる。FacebookやTwitter、LINEなどが、どんどんスパム化していくのも、その本質が自分を貪り食う「カニバるメディア」だからではないか。
ワクチン接種は誰かの陰謀だとか、コロナなんか怖くないと強がり続け、とうとう感染して入院、重症化してICUにかつぎこまれ、九死に一生を得たのに、まだ懲りない人がいる。人種、ジェンダー、イデオロギーとヘイトスピーチの鬱憤晴らしがごっちゃになり、我ひとり目覚めていると信じ込む。オランダやドイツでも反ロックダウンの暴動が発生、不合理が炎上するカーニバルとなった。
貧しさと不合理が表裏一体なのだ。30年間の停滞で貧しくなった日本人も、いつのまにか覇気を失い、海外でも「シャチョー!」などともてはやされることがなくなった。ふがいない我が身の背中に投げつける支離滅裂な妄言で、ひとり自傷するしかない。さて、次はブラウンの『妄言疫癘』pseudodoxia epidemicaでも、枕頭の書とするか。(A)■