I keep hearing something.
(嫌な音が聞こえるの)
(映画『TAR/ター』の台詞、トッド・フィールド監督脚本)
四代目市川猿之助が逮捕された。亡母、喜熨斗延子の自殺幇助容疑である。同時に向精神薬を服用して死んだ父段四郎についても幇助の疑いがある。歌舞伎座の檜舞台で、目をかっと剝き、舌を出す大見得の所作を、再び見ることはほとんど絶望的となった。
明治座で休演前の最後の「奮闘公演」を観た。昼夜とも出ずっぱり、きらびやかな宙乗りが満場の拍手を浴びた。親子3人で輪廻転生を期したというが、鬼女から狐忠信、海賊コミックまで演じ分けた多彩な芸が、外連の極みにどこへ向かおうとしていたのか。
ケイト・ブランシェットがベルリン・フィルの首席指揮者を演じた映画を見た。絶頂の芸術家が転落する筋立ては同工異曲である。孤高、傲慢、恐怖、そしてSNSによる中傷。流れるマーラーの交響曲5番と、ゲーム「モンスター・ハンター」の旋律。聖俗の境に訪れる狂気が、死に急いだ猿之助を思わせる。彼もまた役者兼座長としての絶頂を捨てた。
ターの日常もノイズに悩まされている。彼が伯父の猿翁(三代目猿之助)を越えようとしたように、彼女も憧れのバーンスタインを乗り越え、マーラー交響曲の全曲録音を完結させようとした。それが最後は「5」の名札を見ただけで嘔吐するのだ。
猿之助も宙乗りは“昇天”であり転生だった。が、毎日繰り返せば聖性は薄れる。所詮は花道から3階の天井まで吊られるにすぎない。ここ数年の彼の芝居は、歌舞伎以外も含め、どこか他界性を帯び、生き急いでいた。彼の耳にもノイズが聞こえていたのか。
ターはマーラー5番の指揮を下ろされ、代役を殴り倒す暴挙に出る。だが、あの結末は?猿之助にも、ああいう場末が待っているのか。(A)