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河野太郎は「内部告発者保護」法改正にハッパかけよ
「公益通報者保護法」が改正される公算がようやく高まっているそうだ。
労働者保護と消費者保護の両面を持つこの法律は「内部告発者保護法」とも呼ばれ、2006年4月の施行から5年後に見直されるはずだった。しかし経済界から「改正するなら、その前提となる基礎情報を収集すべし」との声が出たことから、法改正は店ざらしにされている。
「内部告発」を密告と断じるムラ社会の論理がまだ罷り通っているからだが、大手町の経団連会館でかしずかれている“小物会長”榊原定征氏ら会社人間財界人たちのアナクロニズムだろう。
現実には大企業の粉飾決算が内部告発で次々と暴かれ、群馬大学医学部付属病院で腹腔鏡手術を受けた患者が相次いで死亡した事故も、医療現場では「内部告発で明らかになった」(国立大学医学部教授)とみられている。内部告発は経済事件だけでなく、医療や福祉・介護の分野でも事故や不正をあぶり出す有効なツールとして定着しつつあるのだ。
ところが現行法では①まず社内で通報し、②改善がみられなければ監督官庁に通報、③それでだめならマスコミ――という順序が定められており、これを満たさなければ告発者は保護されない。
ハードルが高過ぎるため、内部告発者が最初から匿名でマスコミに通報するケースが多いし、弁護士からも「最初からマスコミに外部通報した方がいいと思うケースが少なくない」との本音が漏れる。
不正のあった会社が自らそれを公表するよりも、メディアが不正を暴く方が、企業にとっては袋叩きになりやすい。しかし現行法は建て付けの悪さが災いし、炎上しやすい外部通報を告発者に促すような格好になっている。
経団連をはじめとする経済団体に役員や役員OBを送り出してきた名門企業、東芝で粉飾決算が発覚したことがその象徴だ。現行法は「日本が密告社会になってしまう」として、経団連自身が骨抜きにしてしまった経緯がある。その経団連に何度も財界総理を送り出してきた東芝が、内部告発で轟沈させられようとしているのだ。皮肉としか言いようがない。
その薬が効き過ぎたのか、経済界ではいまだに内部告発に対する警戒感が強いようだ。同法を所管する消費者庁は法改正に向けて検討会を開催し、今年度中に結果を取りまとめる方針だ。
ところが最近では腰が引けてしまい、「(経済界を含めた)コンセンサスが大事」と言い始め、抜本的な法改正は難しそうな気配だという。各中央官庁の消費者保護関連の担当をつまみ上げるようにして作られた消費者庁は所詮ニッチな存在なのか、「あちこちの顔色を窺いながらの準備作業」(弁護士)になってしまっている。
国家公安委員長と行革担当相を兼任する河野太郎内閣特命大臣が、消費者庁担当なのだから、もっと大胆に切り込んだらどうか。大臣就任以来、彼のホームページの「太郎の主義・政策」はメンテナンス中になってしまったが、腰が引けたままだと、今度は有権者から「ごまめの歯ぎしり」が聞こえてくることになりますよ。
法改正がもたついている間に、現実は法律の先を行っている。現行法の枠組みを超えて内部告発を活用すべしという傾向は、すでに表れているのだ。
免振偽装問題で揺れる東洋ゴム工業では、第三者委員会が調査報告書で従業員に対する内部通報の義務化を提言。同時に公益通報者保護法が保護の対象としているのを現役の従業員に限定しているのに対し、調査報告書では退職者や社外の者などからの通報も促し、積極的にこれを活用するよう求めている。
いっそのこと、現状を踏まえて、使い勝手の良い公益通報者保護法に改めた方が、企業側も我々調査報道メディアの餌食になるリスクが小さくて済むと思うがどうだろう?近く第二、第三の東芝が現れるとして、その実名が囁かれているのだから。
長田美穂さんを悼む
ご家族の方から会社に電話があり、遅ればせながら彼女の訃報を聞いた。
48歳、末期ガンで余命数年と聞いていたが、10月19日に亡くなられたことを知った。かつては日本経済新聞の同僚女性記者であり、退社してフリーランスになった時期も同じころ(私は98年、彼女は99年)だったから、紛れもない戦友である。
5年前にシアトルに留学して大学に通いながら、心に傷を負った女性を取材して本にしようとしていた。取材の都合上、記者の名刺が必要なので、頼まれてFACTAの名義上の特派員となっていただいた。当時からガンを自覚していて少し寂しそうな笑顔だったが、決然とした表情を浮かべていて、新しい取材の冒険に挑む彼女がまぶしかった。
見知らぬ地、アメリカ西海岸の留学日記は『43歳から始める女一人、アメリカ留学』に詳しい。淡々とした日常に、彼女らしい細やかな観察がつづられていて、今読んでもこころが躍る。地元マリナーズを去ったイチロー選手が、なぜシアトルで愛されなくなったかを書いた記事は、日本のスポーツ記者の凡百のイチロー礼賛記事と比べても、彼女らしい鋭いアングルだったと思う。
あとはひたすら、彼女の本分である、苦しむ女性たちのルポルタージュの完成を祈っていた。しかし2年10カ月前から健康が許さなくなったのか、故郷の奈良に帰って実家で闘病の日々を送ることになったらしい。郷里のおいしい柿を送っていただいたのが忘れられない。1年前、ケリー・ターナー『がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと』の翻訳(プレジデント社)を出したのが遺作となった。さすがに自身の切実な問題にテーマを絞ったのだろうが、今年はじめに別の本の翻訳を頼まれて、「今年1年は闘病に専念しなければならないから」と断ったそうだから、やはり覚悟をしていたのだろう。
いい記者だった。我々のような事件記者と違い、相手の心に寄り添い、静かな文体で辛い人生を書くことができた。許されるなら、もう少し書かせてあげたかった。FACTA特派員の肩書は、来世でも堂々と使ってください。
山口百恵を世に売りだした黒衣役のルポ『ガサコ伝説』も今はKindleで読めるそうだが、彼女のいちばんいい作品は『問題少女』だろう。10年近く前の2006年3月24日、このブログで新著だった『問題少女』を取り上げている。ちょうどFACTAの創刊直前で、アラーキーの花の写真を表紙に使おうと、新宿3丁目のバーに寄ったエピソードのあと、彼女のことを書いたので、それを手向けの花の代わりに、ここに再録しよう。
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日本経済新聞の女性記者だったが、私と同じころ退社してフリーランスになった長田美穂さんから新著が送られてきた。これまで「ヒット力」(のち改題して「売れる理由」)など、主にビジネスライターとしてあちこちに寄稿してきたが、まるで趣の違う本だった。題して「問題少女」。副題が「生と死のボーダーラインで揺れた」とある。摂食障害に苦しみ、薬物とセックスに依存し、自殺未遂を繰り返した末に縊死を遂げる「境界性人格障害」の少女のドキュメントである。
「ハッピードラッグ」と呼ばれた抗欝剤プロザックの取材で出会ったらしいが、他人の無意識を異常なほど感知する鋭すぎる頭脳とそのどうしようもない心の弱さゆえに、少女はついに立ち直れず破滅していく。長田さんは取材者の閾を越えてその死の立会人となった。読み進むにつれていたたまれなくなる。ありきたりの記者はここまで肉薄できない。自分が壊れてしまうからだ。防衛本能が働いて、途中で安全無事な会社の日常へ引き返す。
だが、長田さんはそうしなかった。ジャーナリストというより、同伴者としてともに危険な淵に近づいた。故高橋和己の妻だった高橋たか子の小説に、大島の三原山噴火口で投身自殺する人に同伴する不気味な物語があったが、ああいう感じである。
暮れに久しぶりで彼女に会ったとき、すっかり面がわりしているのに気づいたが、それが何かを踏み越えたせいなのだと得心がいった。変哲もない家庭に育ちながら、ゆえ知れぬ不安に苛まれるこの少女の日常に接することで、まぎれもない地獄を見ることができたのだ。この地獄に鬼はいない。下北沢のお好み焼き屋、新宿の紀伊国屋前の雑踏、そして薄汚れた歌舞伎町の風俗店があるだけなのだ。寥々として誰もいない。耳元で囁くのは自分に潜むメフィストフェレスの裏声なのだ。
少女はカッターナイフで何度もざくざくと手首に切りつける。理由は?本人も分からない。フィンランドの歌手ビョークが主演した悲惨な映画「ダンサー・インザ・ダーク」のように、自分も死にたいと訴えるだけだ。
もしかすると、取材者もその誘惑に駆られたのではないか。無意識のうちにこの頭のいい少女は取材者に憑依している。この本自体、少女が書かせた遺書なのかもしれない。少女の自殺後、筆者は原因を求めて取材をつづけるが、医師もカウンセラーもそれぞれの分析を語るにすぎない。どこにも救いはなかったのだ。
本は思ったほど売れていない、と長田さんは言う。リストカッター(手首切り)の少女たちを描いた類書があるからだろうか。落胆することはない。妙にうすら明るく、空疎な今をこの本はよく描いたと思う。とってつけたような救いも、借り物の解釈もない分、がらんどうの魔が切々と迫ってくる。
新宿の雨の宵に、少女の後姿を思い浮かべた。かつて彼女はここを通りすぎた。どこにも逃げ場はない。