EDITOR BLOG

最後からの二番目の真実

ゴードン・トーマス氏に感謝します

本誌4月号(3月20日刊)に「『北朝鮮の核密輸』をモサド暴露」を寄稿してくれた英国のジャーナリスト、ゴードン・トーマス氏に改めて感謝申し上げたい。

4月24日にホワイトハウスが米議会の非公開説明会で報告、その後にシリア奥地に建設中だった原子炉施設の映像まで公開したものだから、モサドに強いトーマス氏が本誌で特報してくれたこの施設へのイスラエルの空爆作戦の詳細は、世界の耳目を集めるにふさわしいスクープだったことが裏づけられたと思う。

この貴重な記事はフリーコンテンツ(無料公開)にしていなかったので、FACTAの定期購読者にしか読めなかったが、その意義を考えて公開するとともに、ポータルサイトのYahoo!とgooにも配信することにした。初めて読まれる読者は、トーマス氏の奮闘に拍手を送ってくれるだろう。

彼がこの記事をFACTAにexcluiveで寄稿してくれたのは、何よりも北朝鮮の核の脅威に日本がさらされていることをよく理解していたからだろう。さらには、オルメルト訪日を控えて日本の世論を喚起し、米国の宥和派にブレーキをかけようとするイスラエル、そしてモサドの意思も裏側にはあったろう。

トーマス氏のインテリジェンスに疑義を呈していたサイトにも心から感謝したい。おかげでトーマス氏の名は日本でも一段と知られるようになった。これからも思い切り薀蓄を傾けて論評してくれることを願う。きっと弊誌にとってもも何がしかのいい影響があるだろう。多謝!

ジェラルド・カーティス「政治と秋刀魚――日本と暮らして45年」のススメ

アメリカから日本の政治を研究しにやってきた青年が、1967年の衆院選挙で大分二区に立候補した佐藤文生氏(中曽根派)の事務所に飛び込み、舞台裏を活写した『代議士の誕生――日本保守党の選挙運動』(1971年)以来、ジェラルド・カーティスの名はいわば「密着取材」の先駆者の代名詞だった。

この処女作のことはよく覚えている。まだ私は新聞記者ではなかったが、やられたという悔しさより、その密着手法がえらく新鮮に思えた。ライシャワーはじめアメリカの日本通はどこか雲の上の存在であり、日本の政治のような下々の泥臭い世界には下りてこないものと決めてかかっていたが、カーティス氏の手法は大所高所ではなかった。ブルックリンのリアリズムを体現したかのような「あたって砕けろ」式の現場主義は、自分にもできるのではないか、と私には思えた。

氏が日本の市井で暮らし始めたのは1964年というから、もう44年である。来し方を振り返って書いたこの『政治と秋刀魚――日本と暮らして45年』(日経BP社、1600円+税)は、単なる政治学者の回顧録とは違う。混迷の度を深めるばかりの日本の政治に、カーティス氏なりの助言を試みたものだ。

その助言は温かい。日本の死角をさらりと指摘してくれる。米欧から輸入した概念が必ずしも日本の現実にはそぐわないことを教えてくれるのだ。たとえば「小さな政府」というが、日本の公務員の数は欧米に比べて格段に少ないという。



「問題は人数ではなく、官僚の権限である。規制緩和など政府の権限を縮小することと公務員数を削減することとは別の問題である。マナーからルールへと社会構造が変わっていくことによって、逆に公務員の数を増やさなければならない分野はたくさんある」



また、政策新人類といわれる若手政治家にもやんわりと苦言を呈している。



「日本では『地元への利益誘導』は響きが良くない。だが、代議士が自分の選挙区である地元の利益を考えなければ、選挙民は何のためにその人を国会に送るのだろうか。……今の小選挙区制だと、親の強い地盤を受け継いでいる二世議員は、自分は『政策通』だと自慢してテクノクラートのような態度を取る。まさに政治家の官僚化現象である。今、必要なのは、政策通よりも『政治通』である」



二大政党制を美化し、アメリカの大統領制を真似ようとすることのむなしさ。安倍政権が熱心だった政治任用制度についても、イラク侵攻で失敗したブッシュ政権を例に挙げ、「トップにある政治リーダーを下部にいる専門家のアドバイスから遮断する」システムと批判したドビンズ元国務次官補の発言を紹介する。



「現在のイラクにおける混乱を招いた責任は、政治任用された新保守主義者にかなりの部分がある。政治任用された人が問題を起こすことは新しい現象ではないし、政治的に『右』の人間だから起きた問題でもない、ディビッド・ハルバースタムが『ベスト&ブライテスト』で描いたように、ベトナム戦争の愚行は政治任用されたリベラルの人たちによって引き起こされたものだ」



カーティス氏は自らを知日派第三世代と定義している。彼が45年前に見た日本の政治は「機能している」(The system works)ものだった。その機能の秘密を知ろうと彼は現場に飛び込んだのだ。その彼とて1990年代には日本の政治が「後れている」ことを認めざるをえなくなった。欧米に対する後進性という意味ではない。内外の環境変化に対応できていないという意味で「後れている」というのだ。

このいわば常識、語の本来的な意味でいうコモンセンスがカーティス氏の持ち味だろう。それがどう形成されたかは、この本の前半に詳しい。東京の山の手、西荻の下宿で、銭湯に通い、秋刀魚に舌鼓を打つといったディテールは、ほとんど「三丁目の夕日」を思わせるほど懐かしい。それは奇跡のように日本に適応した「ガイジン」さんの苦労話というより、庶民の暮らしに密着した人のみがもつぬくもり、ほのぼのとしたコモンセンスの所在が感じられるのだ。こういう「常識」をわれわれはいつから失ったのだろう。

文章も驚くほど平明だし、音楽的である。カーティス氏ははじめジャズピアニストを志してニューヨーク州立大学に進んだというから、きっと耳がいいに違いない。日本語がけっして上手でなかったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)があれだけ溶け込めたのも、その耳のよさのおかげだと思う。

八雲の耳にはヤマバトの鳴く声が「テテ ポッポー カカ ポッポー」と聞こえた。カーティス氏の耳に永田町スズメはどう聞こえているのだろうか。

畔蒜泰助「『今のロシア』がわかる本」のススメ

ロシアの魂とは何かについて、私には何もわからない……

佐藤優との対談を新書にした「ロシア闇と魂の国家」で亀山郁夫が何度もそう呟いている。私にもこの北のラビリンスはさっぱり分からない。ツルゲーネフ、トルストイ、ドストエフスキー、チェホフ、ブルガーコフ……と人並みに訳書は読んでみたが、ロシア語を学んだこともない身では謎だらけの国である。

が、世の中には日々研鑽を積んでいる人々がいて、そのサイトのひとつ「週刊オブイェクト」で弊誌のロシアの兵器に関する記事が批判されているらしい。このサイト、兵器愛好家の筆になるものらしく、どこにでも目利きは存在するのだと感心した。FACTAとしては、誤報というご指摘は歓迎する。

編集長が全知全能ではないように、弊誌もまた全能ではない。どこかに誤報がまじる可能性は常に意識している。メディアは情報の非対称性に派生する。それゆえ誤報は正確な情報のシーズになる。だから、誤報とのご指摘には、根拠とその情報源をご教示いただくようお願い申し上げます。

すでにこのサイトの筆者にお会いする機会を与えていただくよう申し入れているところです。もし、ご快諾いただけるようなら、このサイトでインタビューを収録したいと思います。

さて、ロシアが分からないといっても、関心の外にあるわけではない。畔蒜君が書いた「『今のロシア』がわかる本――日本人が知っておきたいロシア経済とその世界戦略」(三笠書房知的生きかた文庫、533円+税)は、私にとっては貴重な本である。

保険会社を辞めて自費でモスクワに留学し、政治学を学んだ彼のロシア観の根幹には、ジオポリティクスがある。本書もそれは貫かれていて、凡百のロシア本とは質を異にする。

ユコス解体から、独ロのバルト海パイプライン、ウクライナのオレンジ革命、米ロの核燃料合弁会社構想を結ぶ赤い糸を手繰る鳥瞰図は、ロシアの地政学的戦略をよく捕らえていて圧巻と言えよう。

私の机の上には、彼に教えてもらったWSJ(ウォールストリート・ジャーナル)05年2月23日の1面記事のコピーがまだある。ドレスナー銀行ロシア現地法人の社長で、独ロ間に建設する北海パイプライン会社の社長(会長はシュレーダー前首相)に就任したマティアス・ヴァーニッヒの記事だ。

かつて彼は東ドイツの諜報機関シュタージの一員で、当時東独にKGB部員として赴任していたプーチンと親しくなったことが暴露されていた。それはシュレーダー、メルケル両政権が追求した「東方政策」が、いかなる人脈によって担われてきたかを示す。それをWSJに暴露した米保守派の歯ぎしりまで伝わってくる。この記事の所在を教えてくれて、わが蒙をひらいたのも畔蒜君である。

瑣事に見えても、一瞬にして全豹が見えるツボがある。本書はそういう本だ(兵器オタクより戦略オタク向きかも)。陰謀史観に堕すこともなく、ありきたりの冷戦思考でもない。外務省に使い古された袴田茂樹教授とはひと味も二味も違うロシア専門家の登場は心強い。

それにしては、シリーズものとはいえ、この本のタイトル、いささか単刀直入すぎないか。もったいない。ケニアの副環境相マータイさん(ノーベル平和賞)ではないが、ちょっとそう言いたくなる。

5月号の編集後記

FACTA最新号(5月号、4月20日発行)の編集後記を掲載します。フリー・コンテンツの公開は28日からです。



ものみな、ういういしい春。わがFACTAも今号から3年目。終始温かい支援を惜しまなかった愛読者の方々や、鋭い切り口の記事を数々寄稿してくれた記者の方々、そしてこの雑誌の刊行を有形無形に支えていただいた関係者に、心からお礼申し上げます。思えば恵まれていました。調査報道を旗印にクオリティーマガジンをめざすといっても、時代を切り開く幾多のスクープを連打できなかったら、世の読者にこれほど認知してもらえなかったろう。

▼幸い、発行部数も着実に伸び、今号から念願の輪転機印刷になった。これで印刷工程を短縮し、デッドラインを繰り下げられる。月刊誌編集者にとって、最大の恐怖は下版から読者のお手元に届くまでのタイムラグ。この空白に何が起きても、変更できない誌面は後の祭りとなる。1日で潮の流れが一変する政局や市場の記事は、よく外れて週刊誌や日刊紙も泣かされる。月刊誌でも彼らに競り勝ちたい意地っ張りのFACTAは、何度歯軋りさせられたことか。

▼その不利を輪転機印刷で多少埋められれば、記事の射程は中距離砲から短距離砲に変わる。読者にとっては、よりアップデートな情報を入手できることになる。もっともこの時間の不利あればこそ、わが誌は何とか「三歩先を読む」勘を磨いて、待ち伏せを仕掛けてきた。その猟人本能を失っては元も子もない。雑誌は狙撃手。物陰に身を潜め、息を殺して獲物を仕留めよう。

▼短期連載の「凍河越境千里行」は今号で完。脱北者にここまで密着したライターの労を多としたい。また新たに「ポリシーの極意」と「インダストリーの極意」の1ページコラム連載を始めた。これまた、余人の知らぬ奥深い秘境である。3年目のFACTAは、これまでにも増して斬新な企画やスクープに挑み、世を震撼せしめたい。今後もどうか変わらぬご愛顧を。

日銀新総裁・白川方明氏の新著を真剣に書評する

タイミングが良すぎたというか、してやったりとういうか――空席だった日銀総裁に、先に副総裁に就任していた白川方明氏がきょう(4月9日)昇格するが、4月6日付の熊本日日新聞で、白川氏が先月出版した大著の書評を掲載したので、ここに再録する。

書評にもあるように、彼とは年齢も近く、日銀取材を通じて知己となった。個人的には「大変な重責ですが、おめでとう」とお祝い申し上げたい。しかし知己であるがゆえに、書評で変にじゃれたくはない。

同じ6日付の日本経済新聞で、ロンドン特派員の女性記者が「独立性揺るがぬ英中銀」と題してコラムを書いていたが、その不勉強にちょっとあきれた。97年にブレア政権発足後すぐ、ブラウン蔵相(現首相)が行なったイングランド銀行改革をとり違えている。あれは独立性をイングランド銀行に与えたのではない。剥奪したのだ。当時、私はロンドンに駐在していたが、銀行監督部門を切り離してFSAを創設することによって、中央銀行の権限を限定し、金融政策専従にしたのだ。

表向き金融政策運営に独立性を与えるという見かけをとっているが、イングランド銀行は金融街シティに君臨する法王の座から蹴落とされたのだ。ブラウンの剛腕をかいまみた。当時の総裁、エディ・ジョージの複雑な表情が忘れられない。

「スレッドニードル街の老女」とあだ名されたイングランド銀行が、かつて秘密めいた支配力を握って放さなかったことは、大蔵省出身の経済学者ケインズと、ドイツ賠償問題や金本位復帰などで対立した伝説のノーマン総裁を見ればよくわかる。ケインズが「野に叫ぶ預言者」だった不遇の時代、誰が沈黙して英国の金融を牛耳っていたのか。ブラウンは過たず独立性の牙城を骨抜きにし、英国経済を思うままに好調軌道に乗せ、ブレア長期政権を担保したのである。

そういう隠微な歴史をろくに知らない記者が中央銀行論を書く時代だ。9日の場況記事では白川氏の新著――「現代の金融政策―理論と実際」(日本経済新聞出版社 6000円+税)に触れたくだりが出てくるが、時間軸効果だけとは寂しい。タカだのハトだのでなく、もっと本質を論じるべきだろう。

それにしても、白川氏本人も金融政策の理論家として本書を執筆したときは、まさか総裁として日銀に舞い戻ろうとは考えていなかったろう。論が慎重すぎるのでは、と素直にジャーナリストの視点から苦言を呈する書評になったが、ときにないものねだりだったかもしれない。白川総裁には寛恕を願うばかりだ。



熊本日日新聞書評
現代の金融政策―理論と実際」 白川方明著
論戦の自律こそ「日銀の独立」



主なき日銀という異常事態のなかで、総裁代行から総裁に昇格した“渦中の人”白川方明氏の新著が、まるで見計らったかのようにほぼ同時に出版された。もちろん偶然だろうが、四百二十ページもあるこの力作の学術書のどこかに、「趣味は金融政策」という彼の本音がうかがえないかと、読者は目を凝らすに違いない。

実を言うと、評者は1990年代前半の信用機構局時代から白川氏を知っている。国際決済銀行(BIS)の委員会出席のため欧州出張した彼が、ロンドン駐在中の評者を訪ねてきて、金融危機論に花を咲かせたこともある。それゆえ、この「金融政策大全」は、真剣勝負で(つまり容赦なく)書評したい。

本書はポレミーク(論戦)の書ではない。前書きにあるように、特定の政策に対する批判や弁明と受けとめられるのを避けている。金融政策の運営で「直面する問題を過不足な説明」し、セントラルバンカーの「悩みを率直に説明」しようとしたのだ。

記述の誠実は疑えないが、総裁空席に直面した日銀の「独立性」とは何かが問われているさなかだ。総裁副総裁人事が政争に左右されること自体が「独立性の不全の証明」とも言えるが、白川氏自身も執筆時点でまさか自分が巻き込まれるとは想定していなかったろう。

が、独立性を論じるために割いた一章「誰が金融政策を決定するか」は、中川秀直・元自民党幹事長ら「上げ潮派」との論戦に深く踏み込まず、各国制度の比較にとどめている。インフレ・ターゲット論者の伊藤隆敏・東大教授が参院不同意で副総裁の座を棒に振ったことを思えば、白川氏のこの沈黙は正直物足りない。

賛否は明示せずとも、福井日銀が受け入れなかったターゲット論自体には微妙な口調になる。「独立性を議論する際には、目的(ゴール)、具体的目標(ターゲット)、手段(インストゥルメント)に明確に分けることが必要である」

誰しも異論がないだろう。だが、その裏には「物価安定」という広義の目的は受け入れても、「政府に具体的な物価目標を決められ、自由度を奪われるのはご免」という日銀の思いがにじみ出ている。

本書の白眉は、第Ⅵ部の「近年の金融政策運営をめぐる論点」だろう。ゼロ金利、量的緩和の当事者による評価は読者も読みたいし、筆者も悩みつつ苦心したところだろう。「サブプライム禍」に直面した米連邦準備理事会(FRB)が、実質ゼロ金利に踏み切り、市場に大量資金供給を行うばかりか、全米第5位の証券ベアー・スターンズ救済に“特別融資”に踏み切った今、先にバブル崩壊の崖っぷちに立って日銀が得た教訓を誰もが知りたい。

が、ゼロ金利をいったん解除して再導入、量的緩和に踏み切るまでの逡巡、そのジグザグの分析は、腫れ物に触るように扱っている。金利の“神器”を失ったトラウマから、福井日銀がめざして志半ばで終わった「金利の正常化」を、新総裁を迎える日銀は継承するのか否か。

量的緩和が奏功して「デフレ・スパイラルは生じなかった」という結論は是としても、では、デフレから日本は脱却できていたのか、という本質的かつ喫緊の問いに本書は解を与えていない。上方バイアスなど「デフレの糊代」を否定し、物価上昇率0~2%の下限を目標としたかに見える福井日銀のレールを、白川氏も踏襲するのだろうか。

答えは本文でなく、巻末の引用文献にある。伊藤教授ら日本のターゲット論者の主要論文はほとんど挙げられていない。海外の文献はバーナンキFRB議長やウッドフォードらターゲット論者のものまで満遍なく網羅されているが、辛らつに日銀を批判したプリンストン大学のラース・スヴェンソン教授の「フールプルーフ(阿呆でも分かる)論文」(正式題名は「金融政策と日本の流動性の罠」)がなぜかない。

不在の影によって輪郭が浮かびあがるようでは、本書は「日銀のための日銀による日銀の教科書」と思われてしまう。「通貨の番人」の城砦に籠らず、ポレミークの野戦に打って出る自律性あればこそ、真に独立した中央銀行ではないか。

高橋洋一「さらば財務省!」のススメ

この本が出来上がったばかりの3月下旬、彼をゲストに呼ぶBSデジタル放送の番組で司会をつとめた。彼がこの本を持参したので、番組の中で紹介し、ブログで紹介することを約した。その約束をここで果たそう。

佐藤優「国家の罠」を連想させるタイトルだが、これは講談社の編集者がつけたもので、売らんかなの思惑が見え隠れするのは、高橋氏の本意でも希望でもない。

霞が関官僚で彼を毛嫌いする人は多い。彼の名誉のために言っておくが、恨み節や暴露本を書こうとしたのではない。彼の前著「財投改革の経済学」をやさしく噛み砕き、彼自分が左遷されるなどの個人的な体験もまじえた読み物に仕立てた本である。前著と共通しているのは、霞が関の通念と化した不条理を切り捨てて、合理性を回復させようとする情熱であって、それ以上でも以下でもない。

前著が週刊東洋経済の年間経済・経営書ベストワンに選ばれたのは、与謝野馨・元官房長官と中川秀直・元自民党幹事長の論戦になった財務省の「埋蔵金」問題で、埋蔵金ありとする根拠が本の中に明示されていたからだ。財務省のからくりを知るインサイダーが「ある」と主張したのだから、論戦は勝負あった。財務省も渋々埋蔵金の一部を差し出して消費税増税論を引っ込めたのである。

そうしたエピソードがテンコ盛りで、安倍前総理の辞任の引き金の一つになったと書かれた昨年9月の彼の人事も、当事者としてリアルに書いてある。小泉・安倍内閣の舞台裏で政策を立案した彼の考えを集大成した学術論文集である前著よりも、素人にはずっと面白い。前著にはちょっと歯が立たない人でも、エリート中のエリートと言われた財務官僚が実は世間の常識に疎い阿呆だとここまでとっちめられると、溜飲が下がる思いをするだろう。

前にこのブログでも書いたが、高橋氏は東大数学科の出身。同じ東大でも法学部出身の財務省主流は、彼の数式と論理に対抗できない。ドンブリ勘定の財政投融資を合理化しようと、彼が理財局時代に孤軍奮闘してつくりあげた財政のALM(資産・負債総合管理)も――私はそのころ取材していたが、なかなか理解されず、その後は宝の持ち腐れになったという。既得権擁護に汲々とする霞が関の世界に、こういう存在がまじれば、泥田の鶴となるのは明らか。彼は傍流を歩き続けることになる。

3年間在籍したプリンストン大学ではバーナンキ教授(現FRB理事長)と親しくなったのに、そのコネを財務省が上手に使った形跡はない。国土交通省出向から関東財務局へと転々とする彼を、もったいないなあと思っていたら、かつて研究所で一緒だった竹中平蔵氏が入閣時にピックアップした。当然ながら、竹中氏とのエピソードはこの商売上手のエコノミストに高い評点を与えている。

それからの活躍は本書に詳述してある。郵政改革や道路公団改革、政府系金融機関の再編など、ほとんどを手がけたが、それは彼の一貫した論理の延長線上にある。財投ALMの先に郵貯の預託廃止と財投債発行があり、「郵貯の自主運用が転がり込んできた」とヌカ喜びした郵政が、返す刀で民営化に追い込まれるというプロセスは、小泉改革の底流にあった経済合理性と必然性をかいま見せてくれるのだ。この論理を突破できない郵政改革反対論は、結局は不条理の温もりにすがる情緒でしかなく、到底経済政策論としては聞くに値しないのだ。

彼が霞が関の外に飛び出した(4月1日から東洋大学教授)おかげで、財務省主流はこれから枕を高くして眠れるのか。どうもそうはいかないらしい。財務省が50兆円も発行した変動利付国債の危うさ、そして金融機関が抱える含み損が5兆円に達していることなど、まだまだ彼が突きつける匕首に霞が関は震え上がるだろう。まさにトラは野に放たれた――。

トラの咆哮はこの本からたっぷり聞こえてくる。彼とは証券局、理財局時代からの付き合いだからもう15年以上になろうか。その私でも楽しめたのだから、初めての読者にはきっと面白いだろう。偉そうな政府中枢の要人が、意外やドタバタ劇の主人公となり、抱腹絶倒の場面もある。その根幹には合理性という軸がでんと座っていて、数学者の卵だった高橋氏が健全な精神の持ち主であることを物語っている。

無断のパクリ、朝日新聞のお粗末

3月30日付の朝日新聞朝刊2面に「『北朝鮮支援の核施設』 シリア空爆でイスラエル首相」という見出しの記事が掲載された。本文をここに引用する。



2月に来日したイスラエルのオルメルト首相が福田首相と会談した際、昨年9月にイスラエル軍が空爆したシリア国内の施設が、北朝鮮の技術支援を受けた建設中の核関連施設であるとの見方を伝えていたことがわかった。イスラエル政府は空爆の事実だけ認めているが、標的とした施設の種類については明らかにしていない。同政府首脳が外国政府に「核施設」との見方を示したことが明るみに出たのは初めてだ。





政府内には「事実は確認できないが、首脳会談という公式の場で伝えられた意味は大きく、信憑(しんぴょう)性は高い」(外務省幹部)と受け止める一方、「イスラエル側が都合のいい部分だけを伝えた可能性もある」(別の幹部)との見方もある。



初めて? ちょっとあきれた。これはFACTAの昨年12月号(11月20日発売)で外交ジャーナリストの手嶋龍一氏がコラムで「小麦と『アサドの核』と北朝鮮」と題して書き、さらに直近の4月号(3月20日発売)で載せたゴードン・トーマス氏がFACTAに寄稿したスクープ記事「『北朝鮮の核密輸』をモサド暴露」を下敷きにしている。

それを首相官邸か外務省にあてて確認したという記事にすぎない。パクリを隠して、さも一から取材したかのように書いているが、書いた記者と載せたデスクには、恥を知れと言いたい。

しかしながら朝日のこの記事は、英国の保守系高級紙デーリー・テレグラフ(4月2日)に転載され、トーマス氏の目に触れた。彼から以下のメールをいただいた。



I was delighted to see that the Japanese daily newspaper, Asahi Shimbun, has picked up our exclusive story on the raid in Syria. The details are splashed all over the UK press (as an example, Wednesday April 2nd, Daily Telegraph, page 18), as well as in the Israeli newspapers and several on the continent. Alas, none of them cite Facta as the original source for breaking the story - though they make good use of the information in that article.



テレグラフ紙は引用先を明らかにしているのに、朝日はもとの情報源を明らかにしていない。だから、トーマス氏の嘆きと怒りを招くことになった。FACTAはこの記事の掲載前に、日本でも裏づけ取材を行っている。その過程で、イスラエルが昨年12月にオルメルト首相の訪日を要請、日本側の都合で延びてようやく実現した2月27日の福田・オルメルト会談では、予定の10分を15分も超過してイスラエル側が説明したことを確認している。それを今頃、のこのこ行って「あの話、本当ですかね」と聞いて、鬼の首を取った気でいる。お粗末の限りだ。

もちろん、イスラエルはブッシュ政権の中東政策およびライス外交に不満で、日本を介してワシントンに警告を発しようとしたのだろう。そうした読みのないこの朝日の記者は、FACTAの中身がすでに永田町や霞が関で常識化していることをご存じないのだろうか。

朝日に抗議を申し入れるとともに警告を発しよう。

無断のパクリを反省しないような記者に未来はありませんよ。朝日新聞の国際的声価も落ちる。トーマス氏は大きなリスクを冒して、スクープを日本に寄稿したのだ。記事を読めば分かるように、この記事にはトーマス氏のモサド(対外情報機関)人脈が生かされている。それを気楽にパクって引用先を明示しない礼儀知らずの二流記者は、ルール違反こそもっと大きなリスクであることを一度思い知ったほうがいい。

海外報道について愛読者のご注文

創刊以来の読者から「海外にも鋭い目が欲しい」という厳しいご注文をいただいた。



「最近のFACTAを見ていて気になっている点がある。それは国内の出来事に対しては厳しい視点で真実をえぐっているのに対し、特に欧米に話が行くと途端に盲信するような傾向が見られることである」



そうご指摘のうえで、前号の「排出権取引で『泥縄』経産省の凋落」と「トヨタ脅かすGMの『環境対策車』」、さらに「泥仕合で浮かぶオバマの『死角』」の3本の記事の一部について、FACTAも世間の常識にとらわれているのではないかと批判している。

排出権(量)取引の記事について、IPCCの第四次評価報告書に異論のあることは承知していますが、まるで天動説に対し地動説を主張するガリレオのような全否定論者に弊誌は与しません。

ブッシュ政権下で政治的に否定論を主張した学者の研究も政治的で穴だらけだったからで、この読者の方が指摘するような、CO2が元凶ではなくて都会のヒートアイランド現象にすぎない、と断ずる主張に正直賛同できかねます。

弊誌が神学論争ともいうべきこうした科学論争に踏み込まないのは、欧米を妄信しているからではありません。弊誌が科学専門誌ではないからです。さらに現象学的にいえば、とりあえず「カッコにくくっている」からです。

しかし、温暖化ガス規制がIPCCの評価報告書を土台に動いていることは誰も否定できません。我々が批判したのは学界の主流がいずれかではなく、欧米の温暖化ガス規制に比べ出遅れた日本が「戦力の逐次投入」のような場当たり的な譲歩による「戦略なき戦略」のせいで、国際社会で孤立する恐れがあることです。その元凶である経産省を批判することが、国際的視点の欠落とは思っておりません。

編集長はこの記事の筆者ではありませんが、日本エネルギー経済研究所の有識者懇談会にも参加しており、エネルギー戦略と一体化した環境戦略の必要を常日ごろ痛感しています。

トヨタのハイブリッド車が環境対策の万能薬でないことは誰しも承知のことでしょう。プリウスが省エネになるかならないかを論じるのは本誌の使命ではないと考えます。

それに対抗するGM戦略車も、窮地の米自動車企業の戦略見通しを語ったビジネス記事であり、環境の救世主になるという視点から書かれたものではありません。この読者の方のご指摘は、記事の趣旨とはずれていると思います。

泥仕合オバマ対ヒラリーは、日本の死命を握る米国の大統領が誰になるかを占う意味で必要だと考えています。日米安保同盟にかかわるからです。この壮大なマラソンレースはどう取り上げても一面的になりますが、どうせ日本人は投票できない、と無視するのはいかがかと思います。

FACTAが海外にどんな目を向けているかは、今号の「胡錦涛訪日の『危ない橋』」や「『北朝鮮の核密輸』をモサド暴露」の二つの記事によってお分かりかと思います。国内はおろか海外でもこうした記事をご覧になったことがありますか。これは純然たるスクープです。

対象を絞りこみ、厳選された誰も知らないディープな情報に従って書くのがFACTAの基本で、網羅的だが薄口の誌面をめざしていないからこそ掲載できる、と弊誌は信じています。

そうした基本的スタンスをお汲み取りいただければ幸いと存じます。とはいえ、貴重なアドバイス、今後ともお寄せくださるようお願いします。個々の記事の切磋琢磨には一層励むつもりですから。