EDITOR BLOG

最後からの二番目の真実

編集期間突入3――女刺客が消える?

わっさかわっさか出稿しているうちに、私の弱点である腰が痛くなってきた。これはいかん、と銀座8丁目に出かけて、侃々諤々の議論をした。この忙しいのに、ではない。忙しいからこそ、息抜きでなく、別の空気が吸いたいのだ。

さて、相手はもと霞が関にいた人である。一致したのは、緊急入院した小池百合子環境相のことである。大丈夫なのだろうか。私の古巣の系列テレビ局で女性キャスターをつとめていた人だけに、無関心ではいられない。安倍晋三官房長官は、3日ほどで退院できる程度の軽い症状であることを強調していたが、そう楽観できないという。

ヒントは環境相の代理。すぐ復帰するなら副大臣がつとめるはずだ。今夜会った人も「それが霞が関の常識ですが…」と口を濁した。代理に任命されたのは二階経済産業相である。これは官邸が彼女の早期回復を想定できず、とりあえず近しい省の大臣に兼任してもらって、あとで正式に後任を決める前兆とも思える。

確かに彼女もすでに53歳。実は脳梗塞でもおかしくない、といううわさが流れている。中東に思い入れのある私にとって、カイロ大学出身の彼女といい、カイロにあった日本飯屋といい、異色の経歴には脱帽する。小林興起氏の選挙区に「女刺客」として乗り込み、「ポスト小泉の女宰相」かとも擬せられただけに、このまま消えてしまうのはちょっと寂しい。

それに彼女は、色香とオーラを勘違いしている多くの女性政治家の1人でもあった。どう考えても、あの野心満々がセクシーとは思えなかったが、今後どうなるかを観察するうえでも、対象を失ってしまうのは残念である。永田町はしょせん動物園なのだから、珍獣が消えては困るのだ。

編集期間突入2――クラッシュ

きょうからこのサイトのフロント・ページが衣替えした。荒木経惟氏の写真を使わせてもらった。じかにこのブログ・ページへ来たかたは一目見てほしい。

さて、P・K・ディックの幻の翻訳本を進呈しよう、とこのブログで書いたら、たった1日で注文がどっときた。申し訳ないが、じきに締め切りにせざるをえないかもしれない。販促の一助とはいえ、ひたすら感謝申し上げるほかない。

実はほかにも当時、翻訳していた本がある。が、出版社から出すにいたらなかった。思い入れが多少あるのは、ジェームズ・ジョイスの「スティーヴン・ヒーロー」とJ・G・バラードの「クラッシュ」である。前者は「若き芸術家の肖像」の土台になった作品だが、「肖像」では割愛された家族の死のくだりは貴重だと思う。まだちゃんとした訳本として出版されたことがないのが残念で、無謀にも試訳してみた。後者はペヨトル書房から訳が出て、出版は断念した。そのころ新聞記者だったから、翻訳専業になりたくなかった。版権を独占したいならどうぞ、という気持ちのほうが強かった。

「クラッシュ」は英語で読むとほとんどメタリックなポルノグラフィーで、自分の文章がこういう観念的な、つまりは劣情を刺激できないポルノについて行けるかどうか、という実験だった。今だから言えるが、ペヨトル版はそういう意味でやさし過ぎて、原文の晦渋が薄れ、傷痕と金属が融合するエロスが感じられないと思った。

「クラッシュ」の舞台はヒースロー空港周辺とロンドン近郊である。ロンドン赴任当時、現地を歩いてみた。作品よりはるかにつまらない地域で、バラードの想像力の過激さを思い知らされた。異端のD・クローネンバーグ監督が、「ピアニスト」の女優ホリー・ハンターをつかった映画「クラッシュ」も見てみたが、ミスキャストだと思う。あの役はもっと冷たい美人でないと、バラードにならない。

別のアメリカ映画で「クラッシュ」という同じタイトルの映画が公開されている。「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本家ポール・ハギスが、製作・監督・脚本を一手に引き受けていて、今年のアカデミー作品賞を受賞したという触れ込みである。でも、テーマが娯楽向けでないせいか、もったいないことに映画館はがらがらだった。

でも、畏友のフリーラーターが、「ああいう映画をつくるアメリカの底力は素晴らしい」と勧めてくれた。気の滅入るような人種差別のエピソードが続くが、いつしか巧妙に織りあわされた複数の主人公の人生の種々相に絞られていくプロットには感嘆するほかなかった。「輪舞」や「マグノリア」など、オムニバスのようでそうでない群衆劇は、脚本あるいは演出にとって醍醐味だろうが、多くは焦点が拡散して駄作になりやすい。この映画では奇跡のように絞りこまれていくラストが、微かな救いを漂わせて傑作である。

望むべくは、こういう現実を巧みにコラージュした雑誌をつくりたいと思う。編集中もあの映画のことが頭を離れそうにない。自分を励まそう。ハギスに負けるな!と。

編集期間突入1――幻のディック本を放出

そろそろ、この「ほぼ毎日」ブログが綱渡りになってきた。この土日は休み返上で、創刊準備のため出社である。社員も同じく朝から深夜まで勤務となった。まだ何かやり残しているのでは、と不安ばかりがのしかかってきて、とてもハイエクどころではない。書きたいことはヤマとあるが、ここらで現在進行形となろう。

このホームページの表紙も近く改訂し、風神雷神から写真を切り替えて、直近バージョンにするつもりだ。恥ずかしいけど、ワールドカップ並みに「創刊まであと××日」とやろうと、ウェブサイト管理者にお願いしたところである。

さて、ひとつ提案をする。このブログも多少なりとも新雑誌のセールスに貢献しなければならないから、FACTAの年間予約購読申込者の中で希望する方にだけ、今は絶版となっている私の「幻の翻訳SF」本をおわけしよう。

このブログのタイトルが「最後から二番目の真実」となっているのは、アメリカのSF作家フリップ・K・ディック(1928~1982)の作品から借用したからで、恥ずかしながら私自身も彼のSFを2冊翻訳したことがある。

1972年に発表された「あなたを合成します」(We can build you)と、1964年に発表された「ブラッドマネー博士」(Dr. Bloodmoney)である。前者の翻訳本刊行は85年、後者は87年で、いずれも今はなきサンリオSF文庫から世に出たが、サンリオ自体が出版事業から撤退したため、在庫のほんの一部が私の手元にあるほかは稀購本になってしまった。

「あなたを合成します」は2002年に創元SF文庫で平易な佐藤龍雄訳(「あなたをつくります」)が出たが、私の訳本は候文の文体模写などちょっと遊んだ部分があり、もうああいう翻訳文体を試みる人はいないだろう。「ブラッドマネー博士」にいたっては文中にサリドマイド薬害を連想させる設定が出てくるため(当時も訳語に苦労した)、新しい訳本はまず出ないだろうと思われる。

いずれも「日本の古本屋」サイトでも見つからない「幻のディック本」で、以前、古本屋で後者に3000円と原価の5倍の値がついているのを見て驚いた記憶がある。私は80年代前半までに当時入手できたディックの全作品を英語で読んだが、そのころはまだマイナーだった。しかし、「ブレードランナー」から「マイノリティ・リポート」まで、彼の作品を原作とするハリウッド映画が次々にリリースされ、一部マニアだけでなく幅広く知られるようになったのは隔世の感がある。

とにかく、上記の2作品をそれぞれ30冊ずつ無料で放出しよう。ま、若書きの翻訳で青臭い本だが、いずれも初版、手つかずの美本で、20年たっているから紙が少々黄ばんでいる。ディックがお好きな人はFACTAの購読申し込み用紙か、このサイトの「ご意見・お問い合わせ」欄に希望の本とお名前、郵送先の住所などを書き込んでください。先着順だが、翻訳本だけのご注文には応じないので、念のため。

このサイトを改訂したら、翻訳本の表紙とともに詳細をバナーで告知する。いずれは中公新書「イラク建国」や、デジタルメディア研究所のオンデマンド型出版社オンブックに出版してもらう予定の「有らざらん」も、販促の一環としてこのサイトで紹介させていただこう。