EDITOR BLOG

最後からの二番目の真実

ネット愛国主義の胚9――ベンチャーの魔の沼

1月27日、東大多比良研究室の論文データ捏造疑惑は“ほぼ”ケリがついた。調査委員会は「現段階で実験結果は再現できていない」と正式に発表、会見で浜田純一副学長は「捏造同然と見える」と述べた。平尾公彦科長も「疑いは濃厚。いまいましい」、調査委員の長棟輝行教授も「遺伝子材料が(再実験の)直前につくられた可能性がある」と多比良和誠(たいら・かずなり)教授と川崎広明助手の捏造を色濃くにじませた。両人はなお「調査はフェアではない」「不正はしていない」としていて、懲戒免職などの処分が検討されている。

しかし両人を処分しても問題は終わらない。ここに潜むもっと本質的な問題は、多比良教授が事実上の創業者であるベンチャー企業「iGENE」(アイジーン)だろう。2003年3月に資本金2765万円で創業、多比良教授は取締役である。

事業目的は試薬、ライブラリー、創薬を三本柱とするバイオテクノロジー企業だが、そのホームページの紹介にもあるように多比良研究室が推進するRNA(リボ核酸)干渉(RNAi)研究を企業化しようとしたものであることは明らかだ。



RNAi技術の誕生とともに創業したiGENEは、「RNAiの可能性に挑戦」をテーマに、この革新的技 術の普及とその技術に基づく医薬品開発のお手伝いをしながら新時代の生活文化に貢献する企業となることをを目標としています。現在iGENEでは siRNA、shRNA、オリゴ、ベクター、ライブラリーなどお役に立つ商品開発を次々に行っており、また、新技術の開発とその応用に日々努力しておりま す。



だが、05年9月13日の東大調査委の発表で多比良教授の信用が地に落ちるとともに、iGENEにも問い合わせが殺到したらしい。9月28日に「9月14日付け新聞、テレビ等マスコミ報道の件につきまして」という釈明文を発表した。



この度の東京大学多比良和誠教授の論文に関する報道を受けまして、弊社にもお客様よりお問い合わせを頂いております。弊社は東京大学とは別組織でございますが、同教授は技術指導役員として弊社取締役を兼任しております関係上、顧客の皆様、関係者の方々には多大なご心配をお掛けして誠に申し訳ございません。



だが、謝るのはそこまで。データ捏造疑惑の中心人物で多比良研究室に属す川崎広明助手、鈴木勉助教授、さらに東大医学系研究科の宮岸真特任助教授(このくだりの記述が紛らわしいとのご指摘がありました。文中の「データ捏造疑惑の中心人物で多比良研究室に属す」は、川崎助手の形容句であって、以下の鈴木勉准教授(当時)、さらに東大医学系研究科の宮岸真特任准教授(同)の形容ではありません。鈴木、宮岸准教授は東京大学工学研究科多比良研究室に所属しておらず、東大調査委員会のデータ捏造疑惑の調査対象は川崎助手でした=2008年5月27日の注記)が取締役をつとめていたことには口をつぐんでいる。しかし、動かぬ証拠は東京大学が発表している。平成16年度下半期の「東京大学教員の役員等兼業の状況について」を見れば一目でわかる。

iGENEはなぜ隠すのか。釈明文では、東大調査委が実験の再現性が比較的容易なため追試およびデータ提出を求めた4論文のタイトルをわざわざ列挙し、問題とされた他の8論文も含め、すべて無関係と主張している。



(株)iGENEの開発商品につきましては、多比良研究室からの導入技術に基づくものがございますが、指摘を受けている論文に関与する商品および技術は扱っておらず、またこれら指摘を受けた主要論文以外の8報につきましても、その内容と弊社の商品および製品か技術には関係のないことも確認致しました。



しかし、データ捏造への関与が疑われている人々(このブログは、06年12月27日に多比良教授と川崎助手を懲戒免職処分とした東大の最終結論より11ヶ月近く先立つ時期に書かれているため、その後の結果を反映していません。最終結論では研究室の管理問題に言及しているが、研究室の捏造関与には触れませんでした。また同年3月3日に産業技術総合研究所の調査委員会が報告した「研究ミスコンダクトに関する調査結果報告」の要旨によれば「(4) 調査委員会でジーンファンクション研究センターの川崎氏以外の研究員について調査したところ、他の研究員は研究記録の保存や管理を適切に行っていた」と、捏造を川崎助手一人の責任としています=2008年5月27日の注記)をずらりと役員陣に並べ、うちの製品は問題論文を製品化していないので大丈夫、と言われて安堵する人はいるだろうか。製品化されなかったのはよほどの幸運としか思えない。あるいは、データが捏造だから製品化できなかった?とまぜっかえしたくもなる。しかも、多比良研究室を信用していなかったような文章が出てくるのにはあきれた。これではトカゲの尻尾切りではないのか。



加えて、製品化にあたりましては、多比良研究室からの発表論文の内容にかかわらず、すべて社内で品質チェックを行っており、今後もこの方針が変わることはありません。幸いなことに、これまで多数のお客様による評価と支持を受けて参りました。



会社の信用は多比良東大教授に依存していなかったというのだろうか。それは無理で、夢の「RNA干渉」を布教する多比良ベンチャーだからこそ起業できたのであり、iGENEのウェブサイトには「関連書籍」として多比良、宮岸、川崎氏ら役員が著者に名を連ねた「改訂RNAi実験プロトコル」を載せているではないか。「より効果的な遺伝子の発現抑制を行うための最新テクニック」というキャッチコピーがブラックユーモアに響く。

iGENEが多比良研究室の成果を製品化できないなら、それこそ企業化した意味がない。さしたるコア技術もないのに、国立大教授を役員に加えて看板にする「創薬メーカー」「バイオベンチャー」乱立の危うさの一端が、はっきり現れていると思う。

ここでも日韓データ捏造疑惑は「うり二つ」の顔をみせる。朝鮮日報05年12月20日によれば、ソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク)教授もAIDSワクチンを開発するバイオベンチャー企業の株主だった。韓国店頭市場コスタック上場のキュロコムは12月19日、自社が先月の持分100%を買収したワクチン開発業社のスマジェン(SUMAGEN)の株主のうち、一人が黄教授だったと明らかにした。

黄教授はスマジェン株(額面価格500ウォン)5000株、0.11%を持っており、キュロコムの関係者は、黄教授から保有スマジェン株の半ばを買い取ったため、黄教授が手にした現金はおよそ2300万ウォンだという。

日本医科大学講師の澤倫太郎講師から、メールをいただいた。「新年会で東大、阪大、筑波大の教授・助教授たちとデータ捏造に関する話をする機会がありました。結局は『医工連携』という言葉がキーワードになっているようです」とあった。



遺伝子工学というのは、医学というより、むしろ工学に重心をもつ学問です。遺伝子配列の解析は、4つの塩基の組み合わせによるデジタル情報解析なのは事実です。しかし、その過程で被験者が無償で生体情報を提供するという重要な個人の意志決定が含まれている。しかしなかなかこれが工学研究者にまで伝わらないジレンマを医者は感じるのです。



首肯できる。多比良教授も川崎助手も工学系研究者であり、多比良教授は産業技術総合研究所(旧工業技術院)のポストも兼任し、2つのRNA干渉ビジネスのベンチャーの実質の経営者であり、知財の扱いも極めてビジネスライクだったという。そこに医学系からは「ライフサイエンスの倫理面がなおざりにされているのではないか」という疑念が投げかけられる。貧しい山村の農家に生まれ、畜産工学から遺伝子工学のヒーローにのしあがったソウル大学の黄教授もまた、背景が共通している。彼らは「なりあがりの背伸び」というより、ビジネスの魔に憑かれてアモラル(無倫理)の底なし沼に落ちたのではないか。



熱心な読者からのご指摘を以下に載せる。貴重なご指摘に感謝する。

「ネット愛国主義の胚6」で書いた「日本の生命科学の権威に撤回メールを送ったA博士」は英国のR. Allshire博士のことで、当該論文はこれでしょう。筆頭著者が論文の撤回に同意しなかったという話も、このページに書いてあります。ちなみに2003年のサイエンス誌の論文はこれにあります。 興味深いのは、多比良研もこちらも同じRNA干渉という研究分野であることです。

もう一点、ご指摘に従い、「Blast(胚)」は「BLAST(米国国立バイオテクノロジー情報センターが運営している遺伝子・アミノ酸配列検索サービス)」と修正する。

余秋雨「文化苦旅」2――軍人、女人、文人

ソニーもネット愛国主義もタルコフスキーも、まだ書くことが残っているのに、なかなか行きつけない。寄り道ばかりして心苦しいが、もうすこし余秋雨のことを書きたい。

シンガポールのチュアン・ホー・アヴェニューにある、寂莫とした日本人墓地を訪れた余秋雨は、この墓地に「三相構造」があるのを見る。軍人の相と、女人(娼婦)の相と、文人の相である。

「軍人の相」は先の大戦で死んだ軍人軍属の墓碑で、そこは悲しいほどきっちり階級制が守られている。滅びた軍国をあの世まで持ち越そうとする不撓の意志の具現のように。大佐は大理石、少尉以上は石碑、軍曹、曹長、伍長らは木碑、それ以下の下級兵は1万人まとめて1本の碑といった具合である。

余秋雨はそれを黙然とみつめる。憎悪や怨嗟の言葉を発せられない。が、東の端にそれらを見下ろすように立つ大きな自然石の墓碑に目をとめる。日本の南方総軍総司令官だった寺内寿一元帥の墓である。降伏後に脳溢血で死んだが、彼が盧溝橋事件後に華北方面軍司令官として中国大陸で山西、陝西、甘粛、蘭州に侵攻したことを余は知っている。



ぼくは呆然と立ち尽くして、その墓にじっと視線を注いだ。さんざん探しまわってこんなところまで訪れ、これをしげしげと見た中国人はほとんどいないことを、ぼくは十分承知している。(中略)よくも君はこんな寂れたところにと思うが、ぼくのまなざしの背景には、果てしない華北平原の天空が控えている。



この碑を建てたのは、捕虜収容所で重労働を科せられていた旧日本軍の将兵たちだった。英軍の監視の目を盗んで密議を凝らし、捕虜の収容棟修理を名目に、マレーシアの激戦地ジョホールの血の染みた石を切り出し、人目を忍んで星空の下を運んで碑文を彫り、うやうやしく墓地に運びこんだのだ。「山道に、椰子林の中、低い叫び越え、傷を負った肩、筋肉に食い込んだ麻紐、よろけた足元、あたりを警戒する耳、とりわけ月光の下で罪に服することに屈しない無数の双眸……」と余はその情景を想像し、「恐れ入った」とつぶやく。



人類の精神にある、残虐できわめて恐ろしい部分をひしひしと感じるはずだ。ここに上下の序列が正しく整然と並べられた、不屈の闘魂がこもった遺骨は、いまなお何かの指令を待っているかのようである。



けれども余秋雨が感じるのは旧日本軍の執念への恐怖だけではない。元帥の墓が睥睨する先に、日本人公娼「からゆきさん」たちの墓が並んでいた。20世紀初頭から、ゴムとスズの開発でブームとなった南洋へ、国内の不況に追われて天草や島原から日本人少女たちが売られてきて、「千里をものともせず、南洋で屈辱の笑顔をふりまいた」。この墓地自体、女郎屋やゴム園などを経営した元締めが寄贈したものだ。西欧の中国侵略が、聖書のあとに阿片、そして軍艦と順を踏んで来たったように、日本のアジア進出が娼婦のあとを追って軍人が乗り込んできたことは、墓地の構成をみても明らかと余秋雨は考える。

彼は映画「サンダカン八番娼館」を見たらしい。映画では南洋で死んだ娼婦たちの墓がすべて故郷を向いていることになっているのに、このシンガポールの墓地では逆であることを発見する。娼婦たちの墓はすべて真西を向き、北を向いているものはひとつもない。



気後れなのか、そうしたくないのか、彼女たちは心を鬼にして別の方向に首をひねって横になった。もはや心にかけない、怨まない、毎日懐かしんだ方角に、眼差しひとつ向けないのだ。

故郷を一日千秋の思いで見ないどころか、このおびただしい数の彼女たちの墓碑に、本当の名前は一つとして残っていなかった。石碑に刻まれたのは「徳操信女」とか「端念信女」とか「妙鑑信女」等々、戒名ばかりだった。



悲しい哉、これがアジアに覇を唱えた大日本帝国の現実である。余秋雨はようやくそこに自国の屈辱を重ねてみることができるようになる。元帥の巨大な墓の後ろに隠れるように、古い文人の墓がひとつあるのをみつけたからだ。二葉亭四迷の墓である。

四迷はここの先住者だった。娼婦の多くや軍人よりもずっと早く、日露戦争が終わってほどない1909年にここに埋葬されたのだ。われわれが見知っている、眼鏡をかけて中国風の中折れ帽をかぶった四迷の写真を、余秋雨も見たらしい。さりげなく書いている一文から察するに、日本に縁の深い魯迅やその弟の周作人を研究した際、明治日本で言文一致体の文体を創出した四迷を知ったようだ。辛亥革命が白話文(口語文)の文体創出と並行していたことを思えば、当然の連想だったのかもしれない。

しかし余秋雨がこの墓地で四迷の墓に親しみを覚えたのは、彼を本物の文人として遇するからだ。かつて坪内逍遥が「柿の蔕」で評した「恐ろしく内省的(精神分析論の所謂内向的)で、何事に対しても緻密で、精刻で、批判的なのだが、決して容易に断定はしない、常に疑問的で、じれッたい程に慎重な態度であって、そうして其深沈な態度に一種不思議な魅力があった。(此魅力が所謂デモニック・インフルエンスというやつで…)」という人物像が、余秋雨の目にも映ったのだろう。

このデモニック(魔のよう)な文人像は魯迅の苦渋、いや、屈原に始まり司馬遷や陶淵明、柳宗元らに連なる苦悩の文人の系譜に近い。「二葉亭四迷は、この墓地に異次元と不協和音を与えた。軍楽と艶歌の渦中に、いきなり不調和な重い低音のだみ声が割り込んだ」と余秋雨が書くのはその意味だろう。最後の小説「平凡」を「破壊されて行く精神の可傷(いたま)しい形見」として未完に終わらせた生涯に、彼は満腔の共感を寄せている。墓地に眠る四迷の心をこう忖度するのだ。



彼には民族のプライドがあって、今世紀外国で客死した日本人は、ただ軍人と女だけではないことを、南洋人民に知らせたいに違いない。

「このわたしも、たとえ、ただ一人の文人だとしても!」



墓地を出ると、夢からさめたようにシンガポールのモダンな市街が待っている。この墓地の存在を知らない日本人観光客たち、アジア一の金持ちが闊歩している。余秋雨は喜色満面で人力車を乗りまわす彼らに訴えようとする。「是非そこ(墓地)に行ってあげてください」と。

なぜ私はそこを看過したのだろう。島崎藤村の追悼の言葉を思い出す。言文一致体の創始者は「殆ど自己を語る事すら出来なかった」。だが、言文一致体とは、ほかでもない、われわれが今使うこの文体である。言語がひとつの共同体なら、日本人誰もが「四迷語」の末裔なのだ。それゆえに、日本は「殆ど自己を語る事すら出来ない」のだろうか。

余秋雨はこの終章にいい題をつけている。「ここは実に静かなり」。

余秋雨「文化苦旅」1――くたばってしめえ

雑誌創刊を控えているので土日もない。やっと暇ができて、読みさしだった余秋雨「文化苦旅」(楊晶訳)の終章にたどりついた。

訳者は私が中国で通訳をお願いした女性で、素晴らしい日本語の達人だ。日本の要人が中国の党幹部に会うとき、よくそのかたわらで彼女の姿を見かける。北京の外国語学院を出て東大文学部に留学したことがあり、知人を通じて紹介された同じ著者・訳者の「千年一嘆」を読んだことがある。今回の本も同じ阿部出版(私の会社とは無関係)から邦訳が出たが、期待に違わなかった。いつか楊さんに「あなたの訳書の書評を書きます」と言ったが、今日ようやくその約束を果たす気になった。

悲痛が名文を生む。余秋雨もまたその中国の伝統に連なる。本物の士太夫の憂悶は、なまなかの教養では追いつかない。一見淡々とした紀行文だが、断腸とはこれを言うのだろう。脱帽したのは、この現代中国の第一級の文人が、終章で二葉亭四迷をテーマに選んだことだ。

えっ?日本ですら「平凡」など数冊の薄い岩波文庫があるばかりで、この薄幸のインテリゲンツィアは歴史の彼方に遠のいた。日本語を学んでいないはずの余秋雨は、どこで四迷の作品に親昵し、かくも深く彼を理解したのか。

四迷の墓が東京の染井墓地にあることは知っていた。丈6尺に近い自然石の中央に、本名の長谷川辰之助と刻まれ、右肩に二葉亭四迷の号が添えられている。宋代の「中鋒」の書法でそれを記したのは、旧東京外国語学校(東京外大の前身)の同窓、宮島大八だそうだ。善隣書院を経営し、日本の中国語教育の草分けの人だったそうである。

が、この墓が空っぽかもしれないことに、つい最近まで心づかなかった。四迷は1908年に朝日新聞社特派員としてロシアの首都ペテルスブルクに赴き、肺結核を悪化させて翌1909年、英国経由で日本の賀茂丸に乗船、スエズを経てインド洋上を航海中に客死したのである。「平凡」岩波文庫本の解説(中村光夫)は、その最期をこう荘厳に描く。



5月6日、コロンボについたときはすでに絶望的状態であり、それから4日後の5月10日、シンガポールに向かう途中ベンガル湾の洋上に没した。臨終は午後5時15分と伝えられているから、インド洋の陽が西に傾き、甲板に吹き始めるさわやかな涼風が、苦熱の一日の終わりを告げる夕暮れ時のことである。

窓外に蒼く広がる海上には、朱をまいたような熱帯特有の美しい夕焼け雲が輝き、その余光は狭い船室の白い壁を赤く染め、そこに瞑目して横たわる二葉亭の病み衰えた横顔もかすかに彩ったことであろう。



美しい想像だが、中村光夫がそれを見たはずはない。北緯6度、東経92度30分。そこが死亡した地点だ。地図を指でなぞって場所を探したことがある。2004年末のスマトラ沖大地震の津波が通過していった海。船の慣例である水葬ではなく、賀茂丸がシンガポールに入ってから遺骸は荼毘(だび)に付された。それからあとはどこにも書いてない。四迷の伝記はたいがいここで筆をおくから、遺骨は日本に帰ったと思っていた。

が、ペテルスブルクで書いた「一家離散」の悲惨な遺言状を思えば、やはり遺骨は日本に帰りつけなかったのだろう。染井の墓碑は遺族が建立したのではあるまい。余秋雨が書き出すのは、まさにそこからなのだ。



寓話を思わせるような、神秘で、夢か幻かと思えるように抽象的な、とある場所に行ったことがある。

シンガポールに長年住む人でさえ、そんな場所のあることを案外知らず、僕の話にびっくり仰天する。



シンガポールに住む華人の新聞社主幹で、郷土史家でもある韓山元に案内されて、余秋雨はその場所を訪れる。墓地だった。多くのシンガポールの墓地は豪勢なつくりなのに、そこは入り口が狭く、「黒色の古びた鉄柵もみすぼらしい」。なかは広大だが、訪れる人影もなく、ひっそりとしている。日本人墓地だった。

私は過去にシンガポールにたびたび立ち寄った。仕事も観光もした。だが、マーライオンの立像にラッフルズ・ホテル、現代的な高層ビルに屋台料理は堪能したが、どこまでも小奇麗なショッピングモールを歩いているみたいで、あきたらない思いをした。そんな墓地のことなど耳にしたこともない。

余秋雨も目をみはった。918基ある小さな方尖碑の一つをのぞきこむと、「納骨一万余体」とわずか6字。東南アジアを「侵略」した皇軍の遺骨がそこに埋められたのだ。そして向こうには点々と無数の小さな石柱が林立している。日本人娼婦「からゆきさん」の墓である。余秋雨ならずとも、日本人なら衝撃を受けるだろう。彼はこう書く。



人間の生命とは、ここまでびっしり並べられ、ぎっしりと圧縮されてよいものだろうか。それに加えて、これまた何という生命だろうか。かつて、アジアを揺さぶった民族が、みずからの嬌艶媚態と残虐凶暴さを、こんな異郷の地でも存分に見せびらかし、そのあげくの果てにここで悲劇のピリオドを打った。いくたの嬌笑と雄たけびが、いくたの白粉と鮮血が、ついに黙し、凝結してしまったことか。都市の一隅に凝結し、逃避に凝結して、人目からも、歴史からも遠ざかり、ただひたすら茂る蔓草や鳥のさえずりを抱き、恥と罪名を背負ったまま、ぽつんとたたずみ、人を近づけようとしない。



ここまで書かれたら負けである。墓参をしていない日本人は恥じ入るほかない。それは中国への卑下でも優越でもない。二葉亭四迷はここに眠っているのだ。



見本誌は1月末にお送りする予定でしたが、「陣中ブログ」に書いてある事情から少し遅れて2月20日刊行の予定となります。

ライブドア崩落6――もうひとつの統帥権干犯

「出る杭を打つ」となると、なぜみんなこう嬉しそうになるのだろう。そこで「正義」をふりかざすとなると、喜色満面、恥を知らない。あれほどホリエモンに媚びを売ったメディアが、稀代の悪党のごとく報じる変節には耐え難くなりませんか。「国策」捜査に違和を覚えるのは、その正当性を腑分けしていくと、最後にこのいやらしさが残るからだ。その隠れたねじれは、戦前に起きた「統帥権干犯」(とうすいけんかんぱん)と同じと思える。

電通のクリエーターだった方に吉田望という人がいて、いまは辞めて独立している。新潮新書で「会社は誰のものか」を書いた。80年代バブル崩壊時に、私も同タイトルの新聞連載企画に参加した懐かしさも手伝って、ぱらぱらと流し読みしてみた。昨年のフジテレビ対ライブドアへの言及がある。



ライブドアによるニッポン放送買収騒動で進んだのは、キャッチフレーズ的に言えば「事業の事件化」「会社の商品化」「経営者のタレント化」「産業のメディ ア化」です。経営そのものは、「見出し経営」であり「愉快犯経営」です。最期の結末が「経営者の犯人化」だった、ではしゃれになりません。(中略)

私の直感では金融とメディア資本主義の融合の上で自己投資を行うビジネスモデルは、ものすごく大きな利益相反の問題を抱えることになると思います。利益相反を起こさないためには、自己投資や自己取引を絶対に行わない、第三者を通じても行わないという高い信任能力と自制が求められます。

しかし堀江氏に対して信任を、いったい誰がどうやったら求めることが可能でしょうか。金融とメディアの融合企業が登場するとしたら、厳しい監視は当然のこととして、その経営者には無限責任を担うほどの覚悟が必要と思います。



いい予言である。吉田氏はいま49歳。東大工学部卒。広告の第一線でブランドを考えている人も、資本主義というヌエ的な存在を考えはじめたのだな、と思う。同世代の元官僚にそのブログを読んでごらんなさいと言われた。昨年9月、A級戦犯靖国合祀に正面から異を唱えた長文の記載「A級戦犯合祀は自らやめるべきである」がある(11月20日改訂)。

吉田望氏が実は「戦艦大和ノ最期」の作者、吉田満氏の子息と知って読むとき、誰しも粛然とならざるをえない。「男たちの大和」などというふやけた映画は見にいく気にもなれないが、戦後になって文語で書かれた「最期」はその格調の高さといい、何度でも読むに耐える悲痛なレクイエムである。その作者の子の渾身の立論は、リベラルだの保守だのというレッテルとは別次元から発せられている。

かいつまんでいうと、本来は「戦時に天皇のために命を捧げた戦死者」を靖国神社(旧招魂社)に祀るという条件がついていて、維新の元勲であってもこの条件を満たさない西郷隆盛や大久保利通は「英霊」から外され、戦死者でない乃木将軍や東郷元帥も靖国に祀られていない。なのに、戦死でなく刑死者(または病死者)であるA級戦犯を「昭和殉難者」として合祀したのは、東京裁判否定の軍人グループが牛耳った厚生省引揚援護局と靖国神社の「拡大解釈」によってその範囲を広げてきた結果であるというものだ。「現天皇が天皇制本来の伝統にてらし過ちを犯したと判断されるべきときには、死をもって諫言すべきだ」という思想を持つ平泉澄東大教授に心酔する松平永芳宮司のもとで、昭和天皇の意思(徳川義寛侍従長による「憂慮」の表明)をも無視して強行された合祀は、戦後に起きた第二の「統帥権干犯」であるとする論なのだ。

これは天皇を絶対視する平泉史観が、個としての天皇を否定する「機関説」を伏在させていることを示すもので、現皇太子夫妻と宮内庁の内訌にも通じている。合祀後、昭和天皇も今上陛下も靖国に参拝しないのは、靖国が逆説的に天皇制のタブーに抵触する存在だからであり、首相はじめ政治家を参拝させるのはその根本的矛盾を糊塗していると見る考え方なのだ。ここではその当否を論ずるわけではないからこれ以上詳細にわたらないが、ここまで靖国の矛盾を明示した勇気を称えよう。ちなみに、統帥権干犯とは1930年、海軍の反対を押し切ってロンドン軍縮条約に調印した浜口雄幸内閣に軍や政友会などが浴びせた非難の言葉である。その言葉がのちに、陸軍による大陸での戦線拡大に対する批判封じにも使われた。

しかし、戦後に起きた「統帥権干犯」が日本の戦後の本質なのではないか、と疑いたくなる。それがライブドアに対する「国策」捜査に端的に現れているように見えるのは私だけだろうか。戦後憲法では、主権者は国民とされ、天皇はその国民統合の象徴となった。検察の捜査も主権者たる国民を正当性の根拠とするが、この国民の合意たる「正義」が何かは無限に拡大解釈を許してしまう。司法検察は法務省に属す1機関に過ぎず、政府の意を体したものでなければならないが、政治の腐敗を正すという特殊な使命をもつために、「正義」を掲げて国民の意思を“詐称”することができるからだ。勧善懲悪的な正義感ほど危ういものはないのだ。

これを検察ファッショと決めつけるのはむしろ正しくない。総理大臣を頂点とする政府もまた「国民の付託」を無限に拡大解釈しようとするからだ。郵政民営化一本槍の総選挙で勝ったにすぎないのに、消費税から改憲、女帝等となんでも改革と名がつけば「国民の付託を受けた」と“詐称”する現政権とウリ二つである。政府は指揮権発動ができ、検察は国策捜査ができる。その限りではおたがいさまである。だが、ライブドアが一罰百戒の対象に選ばれたのなら、その根拠はどこにあるのか。

「会社が誰のものかを明確にしない不安定さゆえに、会社はここまで増長した。これはシニカルな言い方ですが、一面の真実です」と言う吉田望氏のひそみにならって、「国家が誰のものかを明確にしない不安定さゆえに、国家はここまで増長した」とまぜっかえしたくなる。しかし、ライブドア捜査がみせしめなら、誰が誰のためにこのみせしめの意思を示そうとしたのか。ざまみろと快哉を叫びながら、資本提携のライブドア株が大幅な含み損を抱えて憮然としているフジテレビの日枝久会長ではない。職務上は検事総長である。

現総長の松尾邦弘氏は、同じ東大法学部生、樺美智子が死んだ1960年安保世代だ。あれから46年、彼を「驚くほどナイーヴなリベラリズムに先祖返りしている」と評する人もいる。論語の「行くに径によらず」(小細工を弄せず)が彼の座右の銘だが、「粉飾」や「偽計」などの形式犯に問えるかどうかは「径」にすぎない。

「会社は誰のものか」と「国家は誰のものか」の不透明があわせ鏡になっているこの不幸な戦後の現状こそ、問われるべき「大道」ではないか。

ライブドア崩落5――国策捜査

ライブドア事件で、証券取引等監視委員会(SEC)の無能論が盛んだ。東京地検特捜部がSECの告発を抜きに、じかに摘発に乗り出したからだ。自民党内ではSECを「役立たずのカカシ」とみなす意見が出て、与謝野金融相も1月24日、SECの人員増と機能強化に言及した。

そうだろうか。そばで見たから言うが、特捜の内偵力なんて限られている。投資事業組合を使った隠れ蓑のスキームは、ライブドア内のディープスロート(情報提供者)とSECの協力がなければ見破れなかったと思う。SECが検察の植民地と化し、手柄を召し上げられているのではないか。

本来、証券監視委は事件になる前に「前さばき」で、こういう怪しい事案が出たら、会社幹部を呼んで警告し、暴走を食い止めねばならない。それが特捜出向のスタッフが来るようになって、特捜の得点にならない前さばきが疎かになり、事件化のための下請け化してしまったのではないか。一見、無能に見えても、実は捜査と行政のはざまに問題はあり、一方的な無能呼ばわりには歯軋りしているだろう。

で、それを含めてこのいささか歪んだライブドア捜査が、「国策捜査」と呼べると思った。すると、尊敬するある記者から電話がかかってきて、「国策捜査」と書いた真意を聞きたいという。

国策とは、捜査に国家権力の意志が露骨に発動されているということである。ライブドアの弁護をするつもりはないが、株高を利用してBS/PL(貸借対照表/損益計算書)をお化粧することといい、投資事業組合を隠れ蓑(それ自体としてはそう複雑でない)にした数字の操作といい、手を染めている企業は少なくない。規制緩和のおかげである。ホリエモンが違法性を意識してようがいまいが、そのグレーゾーンはライブドアしか見つけていない特別の抜け道だったとは思えない。

それでもライブドアを狙い撃ちにしたのはなぜか。法の平等を守るなら、同じような企業はいくらもあり、彼らは首をすくめてライブドアの行方を見守っているに違いない。が、検察のいう「一罰百戒」の「一」にどこを選ぶかは、検察のサジ加減ひとつだ。いやな言葉だが、「訴訟経済」ともいう。違法案件全てを特捜で捜査し起訴していたら検事の手が回らないし、国家的にも無駄が多いという論理である。一点だけ撃ってすべてに行き渡れば、これほど経済的なことはない。

しかし、いくら買収また買収で規模を膨らませてきた虚業に近いとはいえ、一時は時価総額8000億円を超え、株主23万人、グループ社員2000人以上の東証マザーズ上場企業である。上場廃止に追い込む容疑にしては、証取法の「風説の流布」と「偽計」は弱い。「粉飾決算」がついたとしても、ガサいれからわずか1週間で堀江社長ら3取締役を逮捕、「生きている企業」にいきなり死刑宣告する理由になるのだろうか。

その疑問点から「国策」と呼んだのだ。たまたま、90年代に経営破たんした長期信用銀行のOBと食事をしたが、東京地検特捜部が頭取ら幹部を逮捕するには、まず辞任させて後任が決まってから、とそれなりに企業存続に配慮したものだ。当時の地検は「いきなり社長や頭取を捕まえたら、生きている企業が立ち倒れしかねない。それは検察の望むところではない」と説明した。

それが今回は違った。のっけからホリエモンを撃沈させる直線的な手法は、ライブドアの株主も社員も考慮の外にある。虚業に「投資」した自己責任、ヒルズ族の幻影に目がくらんで就職した愚を思い知れ、といわんばかり。検察首脳にとっては「私益」にすぎず、資本市場の根幹を揺るがすルール破りを正す「公益」の前では、何ほどのことでもないらしい。が、路頭に迷う側からは、この「国策」に釈然としないに違いない。

くだんの記者は言う。「売り注文が殺到して東証が取引を全面停止したのは検察の想定外だったかもしれないが、せっかく回復しかけた株式相場を壊すだの、デイトレーダーを含めて広がった市場のすそ野が萎縮するだの、特捜はまったく考えていないでしょう。それが統治者の論理です。結局、問題は統治権力に判断する(あるいは無視する)権限が与えられているか、の統治権力論に帰する」と。

「しかし」と私は反論した。ヒューザーの証人喚問ばかりに目を奪われていた首相官邸は事前に報告を受けていなかったという。飯島秘書官には寝耳に水だったそうだ。総選挙で「刺客」としてホリエモンを応援したダメージばかりではない。官邸に知らせないのは「検察がバッジを狙っているから」で、官邸から漏れないようにしたのではないのだろうか。バッジとはもちろん議員バッジである。政界からはブーイングが出かねないが、小泉政権の末期を見越した「国策捜査」には意味がある。

もうひとつ、斧で切り倒すようにライブドアを根こそぎにしたのは、すでにアングラに汚染されていて、国家には看過しがたくなっていたとも考えられる。ライブドアが12月に買収した不動産会社は、昨年6月に社長が覚せい剤所持で逮捕される不祥事を起こしてキナ臭い。フジテレビとのニッポン放送株買収戦が終わったころ、潤沢になった資金を芸能プロダクション買収にあてようとしたこともあったという。気が大きくなった彼らが、アングラに食いつかれる隙はいくらでもあった。

いや、ヒルズ族の前身、(渋谷)ビット・バレーのベンチャー経営者の中には、ダイヤルQ2など風俗産業を出発点にしている人もあり、当初からアングラの影がちらつく。ライブドアに限らず、渋谷や青山で大手を振って歩いていた「若造たち」の錬金術も、かねてから広域暴力団が絡むとのうわさが流れている。その腐敗にメスを入れるところまで検察の捜査が及ぶなら、この「国策」捜査の公益性はあると言っていい。

だが、そこまで捜査は視野に入れているのか。検察は立件に自信満々らしい。しかし、それが「粉飾」程度でとどまり、ディープスロートがライブドアの実権を握って、潤沢なキャッシュフローをわがものにする手助けで終わるなら、この「国策」捜査は歪んでいると言わざるをえない。

ライブドア崩落4――本質的でないこと

23日夜は銀座の焼き鳥屋で飲んでいました。「ホリエモン逮捕」の報はそこで聞きました。で、早めに切り上げてテレビのチャンネルを回してみました。

ひでえ!たまたま映った画面で見たのが、「報道ステーション」の特別番組。延々と小菅に入るワゴンカーを追うって、オウムの麻原じゃあるまいし、あまりにも芸がない。そして、ホリエモンの携帯に電話する女性記者のアホさかげん。うん、うんと頷くばかりで何の突っ込みもできない。「東京地検が偽計とか言っているようですが、どうでしょうか」とアホな質問に、ホリエモンが怒りだすのは当然だと思う。

「こちら、フジテレビ本社前」だけ、鬼の首を取ったようなネーちゃん記者が出てくるのにはあきれました。

うんざりしてチャンネルを変えたら、日本テレビもあららでした。ヒゲづらの男の記者が、これまた、したり顔でホリエモンの携帯に電話している。「あなたのためだから」とかなんとか、おためごかしばかり。自分だけインサイダーの顔をして、その下卑た卑しさが顔に露骨に現れる。おうおう、エラソーじゃねえか、と言いたいですね。

テレビには「ツラ撮り」がある。業界の隠語だが、逮捕されそうな人間を、事前に待ち伏せして遠くから盗み撮りする、あの手法である。待ち伏せの努力は認めるが、しょせんは窃視と同じで、うすら寂しい世界です。携帯の番号を知っていて、そこに「あなたの味方よ」というネコなで声で電話するのは、この「ツラ撮り」と変わらない。

それに律儀につきあうホリエモンは、確かにカワイソーではある。あなたの周辺に群れる連中はかなりお粗末、人間にめぐまれなかったのですね。しかし今から申し上げる。この国策捜査はかなり無理がある。「あわせ技、有罪」は、もしかすると裁判で立証困難になる。それを指摘できないで、「あなたのためだから」はないでしょう。

テレビ・ジャーナリズム、恥を知るべし。

ライブドア崩落3――「沖縄の死」の不可解

日曜早朝だというのに、医者の資格を持つ知人から電話がかかってきた。「あの死に方、おかしいと思いません?」。1月18日、沖縄の那覇市のホテルで死んだ野口英昭エイチ・エス証券副社長(38)のことである。

沖縄県警の発表によると、野口副社長は18日午前11時20分ごろ、那覇市内のカプセルホテルに1人でチェックインした。それから約3時間後の午後2時35分、室内の非常ブザーが鳴ったため ホテル従業員が合鍵で入ったら、ベッドの上であおむけに倒れていたという。手首などに切り傷があり、刃渡り10センチほどの小型包丁が落ちていた。 病院に運ばれたが、午後3時45分に死亡確認、死因は失血死である。

ホテルの写真を見たが、耐震設計データ捏造のビジネスホテルよりもさらにみすぼらしいペンシルビルである。死に場所にミエもへったくれもないというものの、それにしても直感的に異様と思える。しかも、その後の報道によれば、前日行われた1月17日のライブドア強制捜索時には野口副社長の自宅やエイチ・エス証券のオフィスも家宅捜索を受け、野口氏本人も立ち会ったという。その翌日、何用あって沖縄に飛んできたのか。そして逃亡犯になるならいざしらず、死を選ぶのになぜこのホテルだったのか。

それだけではない。報道によれば、傷口が5カ所、喉の左右の頚動脈と、左右の手首、そして腹部だそうである。どの傷口が致命傷になったかは判然としない。電話をかけてきた知人が指摘するように、それが自殺だなんて「法医学的にはありえない」。

ためらい傷をいくつも残すことはありえても、それは左手首なら数ヵ所とひとつに集中する。左手首を切って次に包丁を持ち替えて右を切って、さらに首という順で死のうと人は思わないのだ。いわんや、左の頚動脈を切ったら、血圧が低下して右の頚動脈まで切る力がなくなる。そのうえで腹部を刺す?これは不自然である。

非常ベルは自分で押したと警察は見ている。とすれば、従業員が駆けつけたとき、野口氏は虫の息か、とにかくまだ死んでいなかった可能性がある。遺書はなかったという。それでも、現場に荒らされた様子がなく、家族に自殺をほのめかす言動もあったことから、県警は自殺と判断した。他殺の可能性には言及していない。なぜなのだろう。

野口副社長は証券会社勤務を経て、2000年にライブドアの前身「オン・ザ・エッヂ」に入社し、同社の東証マザーズ上場に携わった。その後、ライブドアグループの投資会社キャピタリスタ(現ライブドアファイナンス)の社長に就任し、堀江貴文ライブドア社長(33)や宮内亮治取締役(38)にその能力は高く評価され、一部新聞では「側近」と報じられた。

一理ある。02年6月に野口氏は旅行代理店HIS傘下のエイチ・エス証券に転じたが、それ以降もライブドアが手掛ける企業の合併・買収(M&A)で宮内取締役らと連絡を取り合っていたというからだ。ライブドアが消費者金融会社などの買収に使った投資事業組合は、エイチ・エス証券子会社「日本M&Aマネジメント」(JMAM)が運営しており、ライブドア側の指示で契約書の作成などを行わせていたという。

エイチ・エス証券は19日、野口副社長の死亡を確認するとともに、「JMAMサルベージ1号投資事業組合は有限会社キューズネットおよび株式会社ロイヤル信販への投資を目的として2004年5月に設立されており、その後、2004年10月に両者の持分を株式会社ライブドアに譲渡した」ことを確認する発表(「日本M&Aマネジメント株式会社」の運営する投資事業組合ならびに弊社代表取締役副社長 野口英昭 に関するお知らせ)を行った。

会見に臨んだ澤田秀雄エイチ・エス証券社長(HIS会長)は涙を浮かべ、その写真が英経済紙フィナンシャル・タイムズ(アジア版)の第一面をデカデカと飾ったが、あくまでも「投資組合の取引は適法に行われた」と強調した。しかし不自然な死亡状況が、野口氏の果たしていた役割について疑念をかきたてる。東京地検の伊藤鉄男次席検事は「誠に悲しいできごとで、ご冥福をお祈りします。東京地検で取り調べたり、呼び出したりしていた事実はありません」との談話を出したが、これまでよくあったように通り一遍である。

思いだすことがある。88年8月、一人の男が行方不明になった。大阪の仕手集団「コスモポリタン」の池田保次社長である。日本ドリーム観光、雅叙園観光、タクマなどの株買い占めで勇名を馳せた。東海興業株の33%が青木建設に渡った一件でもコスモポリタンが介在し、そのスポンサーの一人が三澤千代治ミサワホーム前社長であることがかいま見えたことがあった。

が、ブラックマンデー後に資金難がウワサされるようになり、コスモポリタンの子会社が倒産してから、周辺がきな臭くなってくる。仕手の原資にアングラマネーを入れていたと見られ、大損をさせて脅されていると言われだした。池田氏は新大阪駅から新幹線で「東京方面に向かった」まま姿をくらます。夜逃げか、殺されたのか。その後も何度か、彼を見かけたという情報は流れるが、真偽が確認されないまま今日にいたっている。

仕手を追っていた記者のあいだ(私を含めて)では、「きっと簀(す)巻きにされて、東京湾でコンクリート詰め。クワバラ、クワバラ」と半ば冗談で笑い飛ばしていたが、最近、池田氏の身近にいた人の話をじかに聞いたら、「当時は怖いから、東京方面に向かったことにしといたんや。ほんとうは反対のホームから新神戸方面へ向かった」んだそうだ。おお、菱の代紋だったのか。池田氏は神戸の海の底に沈んでいらっしゃるのか。

消えた池田氏と死んだ野口氏が重なって見える。ライブドアがアングラマネーとどうかかわったかを突き止めるキーパーソンを、沖縄で失ったのかもしれない。

東京が大雪に見舞われた1月21日、増上寺光摂殿で野口氏の通夜が営まれた。エイチ・エス証券関係者や野口氏の知人ら約760人が参列した。音もなくふり積もった雪は、故人が残した沈黙の重さを象徴していた。

ソニーの「沈黙」18――携帯オーディオ開発出直し

コニカミノルタからデジタル一眼レフカメラ事業部門を買収するという派手なニュースの陰に隠れてだが、ソニーが1月20日、ウォークマンAシリーズの音楽配信ソフトなどでトラブル続きだった開発組織「コネクトカンパニー」の機構改革と人事を発表した。このブログで昨年来指摘してきた携帯オーディオの開発立ち遅れを認め、体制立て直しに踏み切ったと見たい。ソニーにも「聞く耳」はあったと考えよう。

コネクトカンパニーは、ウォークマン復活を狙って日米にまたがる特命部門として04年11月に設立され、05年11月にAシリーズを発売したが、ソフトの欠陥(バグ)が相次いでライバル「iPod」追撃を果たせていない。

ソニーは今回の機構改革で同部門の名称を「コネクト事業部門」に変更、従来型音響機器の担当執行役であるデジタルイメージング事業本部長の中川裕EVP(エグゼクティブ・バイス・プレジデント)の傘下に置き、コネクト事業部門長は吉岡浩オーディオ事業本部長が兼任することになった。

これまでは、日本で主に機器周辺を、米国側でインターネットによる楽曲配信ソフトなどの開発を進めてきたが、開発責任者を解任し、昨年末にライバルのアップルから引き抜いたソフト技術者を起用するという。日米に1人ずついた責任者(日本側は辻野晃一郎コ・プレジデント)を替え、部門長1人体制にしたのは、要するに一からの出直しである。

中国浙江省で起きたデジカメ「サイバーショット」6機種の販売停止問題で販売再開のめどが立たない現在、デジタル一眼レフ「α」の継承について語るのはふさわしくあるまい。ソニーに差し上げた2回目の質問状(1月11日送信)に対する回答が届いたので、それをまず報告しよう。季節のあいさつなど定型部分を除く私の質問状の前文は、以下の通りである。



昨年はウォークマンAシリーズおよび、ソニーBMGのコピー制限ソフトについての質問状にご回答いただき、ありがとうございました。取材の申し入れに対し「係争中の案件」を理由にご辞退されましたが、ご承知のように昨年暮れに集団訴訟の代理人弁護士とのあいだで、和解案が成ったと報じられ、原告側弁護団のウェブサイトでは和解案の全文が公開されました。新たな事態となりましたので、法務担当者には和解案の解釈など、経営幹部には今後のソニーのDRM(デジタル著作権管理)をどうするか、またサウジの富豪アル・ワリード王子のソニー株購入検討の報道などについてお尋ねしたいと思います。よろしくご一考いただけますようお願い申し上げます。



これに対し、ソニー広報センターの回答の前文はこうだった。



前略、先日はソニーBMG者のコピー防止CD搭載のXCPソフトウェアに関する問題等につき、質問をお寄せいただき有り難うございました。いただいたご質問項目に対する回答を用意いたしましたので、以下の通りお届け申し上げます。ご査収ください。

【1】和解案について

まず冒頭、念のために一点明確にさせていただきたく存じます。ご質問にあるBMG販売コピー防止CDに関する訴訟はソニーBMG(ソニー(株)と独ベルテルスマン社の50:50の合弁会社)、コピー防止ソフトウェアの開発メーカーであるFirst4Internt社および米国のSunn Comm International社を被告としてニューヨーク州の連邦地裁に提訴されたクラスアクションです。

そしてこのたび、当該案件に関しては法廷審議開始以前に、当事者間における和解案が成立し、今後、NY州の連邦地裁の承認を得て後日、和解が正式に成立致します。

本訴訟への対応は一貫して直接の訴訟当事者であるソニーBMGの法務部門が対応しており、いただいたご質問もソニーBMGの法務部門に回付し、回答を得ました。以下の回答は当事者であるソニーBMGとしての正式回答であるとご理解ください。



私の質問状には、ソニー本体の経営幹部、または法務部門担当者にじかに会って質したいと希望したのだが、今回も実現しなかった。個別の質問のなかには、ソニー本体の知的財産権保護とアメリカでの訴訟はソニーBMGが対応していて、ソニー本体とは一線を画している。

しかし、20日発表のコネクトカンパニー機構改革でも明らかなように、ウォークマンAシリーズのつまずきの一因は、開発部門がハードとソフトで日米に分割され、ソフトをアメリカ任せにしていたという点にあった。携帯オーディオで起きたトラブルと、音楽CDのコピー制限ソフトのトラブルが、表裏一体だったことの証明ではないか。

その点で、いまだにソニー本体の経営幹部がインタビューに応じず、合弁会社であるソニーBMGにのみ説明責任を委ねているのは納得がいかない。すくなくとも私が通奏低音として訴えつづけているデジタル著作権管理の戦略は、ソニー・グループにとって「シームレス」に立てるべきではないだろうか。そこがiPodに追いつけない弱点だという自覚を機構改革でソニーが示したのだとすれば、経営陣も逃げ隠れする必要はなくなったと考えますが、いかが。

とにかく、次回から個別項目のQ&Aに移ろう。

ライブドア崩落2――いつかきたPKO

本日はいろいろあって(ソニーの方々ともお会いしましたが)、ライブドア関連でアングラとの接点を取材中。残念ながらブログは休みたいのだけれど、ちょっと一言。

19日の日経平均株価は前日比355円高。反発したと見るのは時期尚早だと思う。10年以上前の流行語大賞で「PKO」というのがあった。本来は湾岸戦争後の平和維持活動(Peace Keeping Operation)の略称だったが、ある日、知恵モノがとんだ駄洒落を思いついた。価格維持策(Price Keeping Operation)になったのだ。実際は底なしになりかけた株価を支えるために、簡保資金などをこっそり動員して売りに対し買いむかわせることを言った。1990年代はそれが癖になってしまった。

そして今回。せっかく脱したと思った90年代の癖がまた出てきたと思える。355円高の根拠がない。東証のシステムダウンで、日柄整理がまだできていない。信用取引のゆり戻しが個人投資家を青ざめさせたけれど、「ライブドア・ショック」と言うのはまだいいが、「ライブドア恐慌」なんか起きては困るのだろう。兜町の利害当事者およびご当局を含めて、なんとか一斉に下支えを図ったと思う。

たとえば、ネット証券のマネックス証券が、ライブドアとその関連5社の信用取引担保掛け目をゼロにしたことが轟々たる批判を浴びている。おかげで他のネット証券が追随しにくい。でも、それはライブドア株下落のリスクを、これらネット証券にかぶせていることになる。株価全体が下げ止まってもライブドア株は続落しているから、重圧は重くなるばかり、いずれ耐えられなくなるに違いない。

さながら「子供みこし」のように、みんなかついでいるふりをしていても、たいがいはぶら下がっているだけ。この不自然な相場は、個人株主のすそ野拡大を合言葉に信用取引が近年「規制緩和」されつづけてきたことから生まれた。かつてのように保護預かり資産2000万円を持たない小口投資家でも、ろくな信用照会もなしに簡単に信用取引が可能になっている。

しかしネット証券は、信用取引の追い証に耐えられず、懐をこげつかせた小口投資家からカネを回収する手立てを持っていない。相場が下がれば、ネット証券は不良債務者を多く抱えたサラ金業者と似た状況に陥るわけで、あぶなくて見ていられない。

90年代のPKOはことごとく失敗だった。それを思えば、この持ち直しもじきメッキがはげる気がする。インド洋沖の大地震と同じように、津波の第二、第三波はこれから、ということである。ちょっと値が戻ったということで安心は禁物。ほっと胸をなでおろした瞬間、自らの墓穴を掘っているのだろうと思う。

ライブドア崩落――「あっは」と「ぷふぃ」

語学というものは結局、記憶力がよく、労をいとわない若い時代に覚えたものしか残らない。最近、つくづくそう思う。あれこれ手をだしてはみたものの、英語を除けば第二外国語でとったドイツ語に、私はいちばん親近感を覚える。

で、故埴谷雄高ではないが、ドイツ語の感嘆詞「あっは」(Ach!)と「ぷふぃ」(Pfui!)の世界に、いまだに生きているような気がする。ちなみに、正確に日本語では翻訳できないが、「あっは」とは「わっは」でも「ありゃりゃ」でも「わお」でもいい。18日午後2時40分に東京証券取引所が、システムのパンクを避けるため、初めて全取引停止に踏み切ったことは、まさに「わっは」に属すと思う。

やはりマネックス証券が、ライブドアおよび同社と関連のあるライブドアマーケティング、ライブ ドアオート、ターボリナックス、ダイナシティの計5銘柄の代用有価証券掛け目をゼロに引き下げると発表、17日の引け後の評価から適用したことが大きい。つまり、 これら5銘柄を担保に信用取引をしている投資家は、18日以降は担保価値に見合う現金を差し入れるか、建玉の整理を迫られることになるからだ。

いたいけなデイ・トレーダーたちが狼狽売りに出るのは無理もない。その売り注文が殺到して、売買停止になったのだ。

もうひとつの「ぷふぃ」は「ふふん」とか「ふーん」とか「あ、そ」くらいだろうか。18日にそういう感嘆詞を投げられるのは、自民党政調会長の中川秀直のサイト「トゥデイズアイ」だろう。わが古巣(日本経済新聞)の先輩だけに、笑えることが二つある。

ひとつは結構長文なのに、“仇敵”朝日新聞の解説記事「ライブドア問題改革イメージ悪影響も」を長々と引用して、ほとんどコピーになっていることだ。この秀直ブログはいつから、グーグルみたいな「他人のフンドシ」路線になったのか、と思う。

もうひとつは、朝日解説記事への反論が、いかにも新聞記者的な支離滅裂、ああいえばこうも言える式であることだ。竹中平蔵総務相と組んで「小泉の影武者」を自任し、消費税から日銀の金融政策にまであれこれ注文をつけて、「ポスト小泉」に安倍晋三官房長官をかつごうとしているだけに、早めに火消ししたいという気持ちはわからないではないが、以下の文章、何かが決定的に欠けていると思えませんか。



この解説記事に、異論があるのは「ライブドア問題」が「改革イメージに悪影響」を及ぼすことはなく、民主党の反抗への一歩にはならないということである。理由は、堀江氏のような「勝ち組」であっても「自由競争」のルールを逸脱すれば、即、「負け組」になるという厳しい事実を民意に知らしめたことである。耐震偽装問題においても、「規制緩和」には当然護るべきルールがあり、それを逸脱することは許されず、そのチェック体制が不備であり、その盲点を悪用されたことが問題なのである。決して、自由競争、市場原理、規制緩和自体が悪ではなく、一定のルールを守らず逸脱することが悪なのである。



ルール逸脱?あなたにだけは言われたくない。官房長官時代のスキャンダルがあっても、「負け組」になるまいと踏ん張ってきたのは誰でしたっけ。実力者の貴殿が森側近から小泉側近に鞍替えしても、閣僚になれないのはなぜでしょうか。

日経時代、政治部デスクだった貴殿が、自由競争や市場原理を唱導したとは、寡聞にして知らない。まさに「ぷふぃ」である。

自由競争、市場原理、規制緩和の名のもとに、ルールを骨抜きにしてきたことを問われているのだ。誰も小泉政権がミルトン・フリードマンのシカゴ学派の正統な継承者だとは思っていない。勉強もしていないくせに聞いた風な口をきいちゃいけない。いま問われているのは、「盲点を悪用された」なんて受け身ではないのだ。

アネハ問題でもライブドア問題でも、「盲点を悪用した」のは森派=小泉政権自身ではなかったのか。自身のことを棚上げにしているのがその証拠である。ルール違反したら負け組?トカゲの尻尾切りがみえみえである。敵は前原民主党ではない。「安倍おろし」が始まった自民党内の抗争である。これは「あっは」ではなく「ぷふぃ」の世界なのだ。

ライブドア捜索――偶像破壊の季節

ライブドアに東京地検特捜部の強制捜索が入った。“テレビ芸者”のようなコメントや、それみたことか式の議論は趣味じゃないから、尻馬に乗るようなことは書きたくない。

潮目は変わった。直感的にそう思う。ちょうどシェークスピアの「マクベス」第二幕で、王を暗殺したマクベスとその夫人の耳に、突然、扉をたたく音が聞えるように。



「どこから響いてくる、あの音は。どうしたのだ、おれは。一つ一つの音にどきりとする。何という手だ、これは。ああ!両の目が飛び出しそうだ。みなぎりわたるこの大海原の海の水ならこの血をきれいに洗ってくれるか。いいや、この手のほうが逆に、うねりにうねる大海の水を朱に染めて、あの青さを赤一色に変えてしまうだろう」



その音は幻聴ではないのだ。

ライブドアのポータル(玄関)サイトにある「話題のブログ」は、いまだに平然と「堀江貴文」をのせている。17日のエントリーはさすがに「いろいろご心配&お騒がせしています」とあって、「今後の業務は通常通り行います。地検の調査に関しては全面的に協力していこうとおもいます。今後ともよろしくおねがいします」と殊勝だが、同日行われた堀江本人のわずか6分間の会見と同じくほとんど空疎である。

しかし「強制捜索は想定外ですか」という記者の質問はひどい。流行語大賞を意識して「想定外」と言わせようとしたのだろうが、阿諛としか言いようがない。受け狙いのこの記者には吐き気がする。

聞いた話。強制捜索2日前の1月15日土曜、新橋界隈で「ヒルズ族」社長たちの麻雀大会が開かれて、いまをときめくIT系企業の社長や芸能人に混じって、ホリエモンも出席者に名を連ねていたという。が、彼は当日ドタキャンしたらしい。すでにライブドア関係者との連絡がとりにくくなっていて、異変が起きたと思わせる兆候があった。先週末には想定していたのである。

それにしても、ホリエモン・ブログに寄せられた350本以上のコメントをのぞいてあきれた。「ホリエモンがんばって!」の連呼である。なかには「反権力」のヒーローにまつりあげようとする人もいる。慣性の法則というのか、幻想というものがいかに強固かを知らしめるいい例だ。

対象を突き放すには経験値が必要だ。経験から何が起きたかをとっさに感じる人だけが生き残れる。1990年代バブル崩壊と、2000年ITバブル崩壊の二度のガラを目のあたりにした経験からいうと、これは3度目のネットバブルの崩壊になるかもしれない。いま誌面があったら、とは思うが、いよいよ出番がきたと思えばいい。手前ミソだが、「FACTA」4月創刊というのは、案外タイムリーかもしれない。

いたいけなデイ・トレーダーたちに告ぐ。このネットバブルは壊れる。それを幻聴と思いこんでホリエモン賛歌を歌っている連中は、彼が逮捕されたら泣きを見るだろう。本命は海外に逃避させた資産の摘発で、イモヅル式にネット長者の「仕手筋」を一網打尽にするという説もある。焦点は「香港」と「京都」である。

昨年のフジテレビ騒動のころ、検察や証券監視委員会内部からは「いまは(ニッポン放送株争奪戦のさなかで)時期が悪いからやらないが、(ホリエモンの)錬金術は放っておきません。必ずやります」という声が聞こえた。当局が一罰百戒のタイミングを狙っていたことは確かだろう。私募CB(転換社債)からMSCB(転換価格下方修正条項付き転換社債)、そして株式1万分割などなど……何でもありの資金調達や株価釣りあげが、株式市場をなめたような投資家や企業を増長させてきたことは明らかだった。

恥ずべきは、日経平均株価の回復をはやしたて、市場のゆがみに目をつぶってきたうえ、小泉自民党圧勝後は「2005年体制」などと舞い上がって世迷言を吐いていた経済評論家たちや、彼らをもてはやす新聞、テレビなどのマスメディアだろう。「市場の解」が聞いてあきれる。

モーセの「十戒」は「偶像をつくってはならない」が第二の戒である。アイコノクラズム(偶像破壊)の季節がきた。土地や株の仕手戦の追跡は取材冥利に尽きる。武者ぶるいがするから、仕手および仕手周辺のみなさん、首を洗って待っててください。

ネット愛国主義の胚8――「タイラーズ」の正体

東大大学院工学系の論文データ捏造疑惑は、1月14日の土曜、NHKのニュース番組でも報道された。新味はなかった。神保町の中華料理屋でぼんやりテレビ画面をみつめていたら、見覚えのある本郷の工学部5号館が出てきたから、ははんと思った。

しかし彼らは針のムシロだろう。化学生物学でも多比良和誠(たいら・かずなり)教授の研究室は花形で、ポストドクターの研究生にとって狭き門だったらしい。それが在籍しただけで将来は疑いの目で見られ、経歴にも傷がつきそうだとあっては、研究室内が重苦しい空気に包まれるのも無理はない。しかし前回の川崎広明助手の写真もそうだが、あくまでも平静を装わなくてはならないのだから、さぞかし辛いだろう。

05年9月15日に札幌へ飛んだ多比良教授も、さだめし同じ心境だったにちがいない。東大調査委の中間報告でかぎりなくクロに近いという審判が出た3日後、札幌で開かれる日本癌学会学術総会で教育講演をすることになっていたからだ。教授の出番は16日午前8時から、ロイトン札幌2階エンプレスホールのD会場で「細胞の運命を決める小さなRNAの発見」とだしして45分間の講演を行う予定だった。

どうするか。教授は中止しなかった。議論はあったらしいが、ここでやめたら捏造を認めることになると強行突破しようとしたらしい。日経バイオテクによると、「同じ手法を用いた外部の共同研究先でも結果は出ており、ジーン・ディスカバリー技術そのものを否定する批判は当たっていない」という見解を示したというから13日のコメントと同じトーンだった。だが、天網恢恢である。一挙手一投足をどこでだれが見ているかわからない。ネット掲示板「2ちゃんねる」には、ちゃんと聴講者の一人が書き込んでいる。



(転写因子と誤認した)Hes-Ⅰの実験の話は、スライドの中に図はあったものの、「ノートが無かったので……」という言い訳のみでした。他の実験については、「この実験は、他施設で行ったものです」を連発していました。



やはり弁解は避けがたかったのだ。多比良教授は、近年「ガン治療の福音」「ノーベル賞級の発見」ともてはやされるようになった「RNA(リボ核酸)干渉」研究の第一人者とされていた。華やかなDNA研究の陰に隠れていたRNAに、実は互いに邪魔しあって遺伝子発現を抑制する強力な仕組みが備わっているというもので、これを利用してガンなど病気の原因となる遺伝子を封じることができれば医療は一変する。

何が革命的かというと、正常細胞内ではDNA→メッセンジャーRNA→たんぱく質という流れ(セントラル・ドグマ)で遺伝子情報が伝わるが、これまで遺伝子の発現を防ぐにはDNAで遮断する煩雑な方法(アンチセンス法)しかなかった。しかし二本鎖RNA(smRNA、small modulatory RNA)と相補的な塩基配列を持ったメッセンジャーRNAが分解される現象を利用して、人工的な二本鎖RNAで任意の遺伝子の発現を抑制することができるという。塩基配列さえ予め知ることができれば、アンチセンス法よりずっと容易な発現抑制が可能になる。

2003年に「RNA干渉」特集を組んだ日経サイエンス11月号に、多比良教授は署名記事を寄稿しているが、そこではRNA干渉の福音を伝道する高揚した思いがあふれている。



世界的に高く評価されている科学誌Scienceが昨年末「2002年の科学ニュース・トップ10」と題した特集を掲載した。日本で昨年一番話題になったのは素粒子ニュートリノの研究だろうが,国際的には「小さなRNA」が他を抑えて堂々の1位に輝いた。新聞の派手な見出しのことを英語でsplash headlineというが,同誌が紹介した「小さなRNA」の見出しは「Small RNAs Make Big Splash」だった。

小さなRNAの研究で特筆すべきは,多数のマイクロRNAが従来「ジャンクDNA」などと呼ばれてきたタンパク質の設計図が載っていない領域から作られることだ。つまり、役立たずのジャンク(がらくた)と思われていた領域に、細胞の運命を決める重要なマイクロRNA配列が描かれていたのだ。ジャンク DNAという言葉が教科書から消える日も近いだろう。

マサチューセッツ工科大学のバーテル(David P. Bartel)はヒトには200~255個のマイクロRNA遺伝子があると予測しているが、それらのマイクロRNAがどの遺伝子をターゲット にしているのかを突き止めるのは非常に難しい。しかし、私たちのグループでは世界で初めて哺乳類細胞での標的遺伝子を報告したのを皮切りに,90個以上の 標的遺伝子を見つけだすことに成功している。

さらには1つのマイクロRNAが複数の遺伝子の発現を抑えていることも明らかにした。



「ジャンク」と日陰者扱いされてきたRNAに光があたった喜びが溢れているかに見えるが、英語の小知識をひけらかすスノビズムがちらつく。だが、ネット掲示板はそのささやかな虚栄心をも見逃さない。きのうまでの日陰者はあんただろ、と。



やっぱロンダってのが原因なんだろな。
分子生物の研究の能力ってのは、まあ土方仕事みたいなものもあるから、
少々低能でもまあ成果につながるだろうけど、
根本的な学問に対する幅広い知識教養が希薄だから、(歴史とかね)
自分がやっているヤバさがわからないんだろ。
株やってるような感じで、論文になれば何でもいいと思ってんだよ。
研究室の内部生の若者は本当に気の毒だね。
こんなロンダの詐欺師のために被害を被ってさ。



「ロンダ」とは学歴や職歴のローンダリング(洗浄)のこと。地方大学やメジャーでない研究機関にいたことがありながら、その後に大学院や留学先で有名大学や研究機関の日のあたる場所に“出世”を遂げると、前歴を消してしまうことをいう。たとえば多比良教授の略歴には1977年の南イリノイ大学留学以前の技官歴などの記載がない。

それにしてもいやな隠語だ。こういう隠微な差別表現になると、ニートたちの憂さ晴らしの場であるネット掲示板の独壇場になる。「タイラーズ」のスレッドも大半が「いなかもの」や「なりあがり」への冷笑に埋められ、議論が進まない。

「タイラーズ」に書き込む人々の正体は、学位を持った研究者が行き場もなく、乏しい研究費を宣伝上手な一部の教授たちに占有されて、歯軋りしながら掲示板にぶーたれるという、なにかうそ寒い屈折した研究現場の後景なのである。そこから這いあがるために捏造に励んだとしたら、ますます救われない。

ネット愛国主義の胚7――悪事千里? 「掲示板」の告発

これだけ騒がれている論文データ捏造疑惑の中心人物が、いったいどんな顔なのか、拝見したくなるのは人情だろう。東大大学院工学系研究科の多比良和誠(たいら・かずなり)教授の研究室にいる川崎広明助手のことである。だが、おいたわしや、ご本人が写真をのせている。多比良研究室が今もホームページを開いたままにしているからだ。

疑惑を認めることになると思って、意地でも引っ込められないのだろう。研究室がいまだにメンバーの一覧とメール・アドレスを無防備にさらしているのと同じかもしれない。その写真、かなり笑える。ロンゲで茶髪の愛くるしい顔である。おやおや、今どきの東大の助手ってこんな風体か。別のポートレートもあって、こちらは北陸先端科学技術大学院大学にいたころである。ちょっと太めの面構えにも見える。

だが、英ネイチャー、米サイエンス誌を瞞着したとあれば、ソウル大学の黄教授なみの大スキャンダルである。しかし学界内部で耳打ち話は早くから出回っていたらしい。現にネット掲示板「2ちゃんねる」の告発はかなり早い。私が気づいたかぎりでは、川崎助手とおぼしき「K」に関する正確な書き込みは、東大調査委が疑惑の中間報告を発表した9月13日より4カ月近く前の5月21日。「ここ1、2年の出来事」と題していた。



KがNature Articlを創作。Hes1をHes1と間違えアメリカ中が大爆笑。パブリッシュ後一日目で電光石火の抗議メールが来る。



Kとは川崎助手のことだろう。Nature Articl(ママ、Article)とはネイチャー誌2003年6月19日号に載った多比良教授と連名の論文「HesI is a target of microRNA-23 during retinoic-acid-induced neuronal differentiation of NT2 cells」で、パブリッシュとは雑誌発売(電子版だと公開)のことである。

何が起きたかは説明を要する。この論文は、ゲノムから転写される短いRNA(リボ核酸)であるマイクロRNAが、蛋白質と複合体を形成し、塩基配列の相補正の高い標的メッセンジャーRNAと結合して転写を阻害し、遺伝子発現を抑制する作用の研究であり、「microRNA-23」が神経分化に関わる転写因子Hes IのメッセンジャーRNAを標的とし、Hes I発現を制御することが哺乳動物細胞(NT2)の神経細胞への分化誘導のメカニズムであることを明らかにした。

だが、同じ名前で2つのHesⅠ遺伝子があったのだ。一方は発生・細胞分化などで注目されている転写因子HesⅠ、ほかに代謝酵素HesⅠがあるという。川崎・多比良論文は、「あるマイクロRNA配列をもとに、Blast(胚)で適当なホモロジー(相同)サーチをかけたら、HesⅠという遺伝子がヒットしたので、てっきり有名な転写因子HesⅠだと思い込み、細胞分化をコントロールするHesⅠの発現がマイクロRNAで制御されている、というメチャクチャ綺麗なデータ満載の記事」だったらしい。

ところが、別の研究者がこのHesⅠをチェックしてみると、転写因子ではなく代謝酵素のHesⅠだった。同姓同名を間違えたというお粗末にとどまらない。そこでありもしない美談を“創作”した疑いがある。実験が再現できないからだ。東大調査委によると、「 転写因子Hes Iの発現量を評価するために使用された抗Hes I抗体(市販品)では、発表されたエライザ・アッセイ(たんぱく質量測定法の一つ)のデータが出ないのではないかと幾人かの専門家は一致してコメントしている」という。

かくてこの論文、ネイチャー誌2003年11月6日号であえなく論文撤回(リトラクション)に追いこまれる。2ちゃんねるはここでも辛辣だった。



リトラクトのコメント「遺伝子名を間違えましたが、RNAは両方の遺伝子に聞いて(ママ、利いて?)いたんです、本当です」。全米が笑った。



しばしば引用されるが、日経サイエンス2003年11月号では「20塩基のマイクロRNAが70%(14塩基)の精度で結合できる標的候補を探すとしよう。この条件だと、ゲノム全体で8000ヶ所ぐらいが候補としてリストアップされる。(略)この中から、本当の標的遺伝子を見つけるためには科学的な直感力、つまりセレンディピティー(偶然に発見する才能)とともに、細胞生物学の幅広い知識が要求される。これらの才能に長けた川崎広明(経歴略)は、200種類以上の哺乳類のマイクロRNAの中で、すでに90種類以上のマイクロRNAに対するそれぞれの標的遺伝子を見つけている。(略)これだけの標的遺伝子を同定し、確認しているのは神業に近い」と妙に褒めたたえられている。

皮肉にもこの奇跡のような「勘」への讃辞は、毎日新聞に摘発された旧石器発掘捏造の「神の手」(ゴッド・ハンド)藤村新一・東北旧石器文化研究所副所長とよく似ていて、かえっていかがわしさを感じさせる。2ちゃんねるは追い討ちをかけた。



Kの第二弾がNatureに炸裂するも、2ちゃんネラーの指摘でプライマー配列の創作に手落ちがあることが判明。

速攻エラッタ(訂正)を出し、リトラクト(撤回)回避。 他のグループがScience(サイエンス誌)に似た内容の論文を出したのでことなきを得る。でも全米がニヤニヤ。

日本人ポスドク(川崎助手)の結果が再現できないとアメリカの同僚から告発、帰国した本人は再現できるはずといいはる。



第二弾とはネイチャー誌2004年9月9日号に載った、これも川崎・多比良連名の「Induction of DNA methylation and gene silencing by short interfering RNA in human cell」だろう。相当、事情に通じた人しか書けない。こうした下地があって、東大調査委が中間報告した05年9月13日夜、「2ちゃんねる」にいくつかの看板(スレッド)が立った。「祭り」の始まりである。そのひとつ、「タイラーズ」のスレッドは皮肉の利いた幕開けの口上だった。



「偉大なる業績を語ろう。ラボの人でも歓迎」



「タイラーズ」スレッドは、東大工学系5号館にある多比良研究室のメンバーにも“内部告発”や弁明を促すために設けたのだろう。命名といい、ポスドク(ポストドクター)、リトラクトなどの隠語の乱舞といい、明らかにキャンパスの井戸端会議である。

東大の調査発表の3日後、9月16日に多比良教授は札幌で開かれた日本癌学会で教育講演することになっていた。そのてん末やいかに。それは次回。

ネット愛国主義の胚6――文化功労者も見捨てた

本来、この回は1月13日アップ分だったが、手違いで載らず、かつ夜は神保町と六本木で年甲斐もなく酒をはしごしたので、リカバリーできなかった。遅れた罪滅ぼしに、ドキュメンタリー風に書いてみましょうか。

大型台風が近づいて雲行きが怪しくなった関西国際空港から、2005年9月6日午前10時20分、オーストリア航空機に搭乗して柳田充弘京都大学(生命科学研究科)特任教授がウィーンへ飛び立った。ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア、イギリスの研究所でセミナーに出席する旅である。総選挙で小泉圧勝のニュースを聞いたのはこの旅中である。真核生物の細胞周期制御機構の研究で2004年に文化功労者を受賞した柳田教授が、行く先々で話題にしたのはそれだけではない。出発の2日前、A教授からもらった異様なメールのこともしきりと話題になった。

2003年にS誌に出した論文と05年にN誌に出した2つの論文について、A博士は「基本的な結論をサポートする実験の追試ができないので論文での結論をすべて撤回する」という。ただ、論文の筆頭筆者は「撤回に賛成していないので、S、N誌への撤回アナウンスメントに筆頭筆者は入っていない」と書いてあった。

前後の事情を考えると、この日本の生命科学の権威に「撤回」メールを送ったA博士は東大の多比良和誠(たいら・かずなり)教授だろう。撤回に肯じない筆頭筆者とは川崎広明助手にちがいない。データ捏造を疑われた12件の論文は、すべて川崎助手が筆頭筆者だからだ。半年に及ぶ東大工学系調査委の調査で、二度も実験データ提出の要請を受けたが応じられず、多比良教授は申し開きできないと観念して、13日の発表に先立って生命科学界の重鎮のもとへ論文「撤回」を告げたのだろう。

一見殊勝に見える。だが、この段階で多比良研究室は割れていたのではないか。多比良教授と川崎助手の間でかわされた応酬は想像できる。掲載論文に実験ノートなどの裏づけがないと知った多比良教授は、データ捏造嫌疑は撤回に応じない筆頭筆者の助手が負うべきで、共同署名したものの論文撤回を主張する自分はむしろ被害者であり、研究室主宰者(PI)の監督責任だけ負えばいい、と考えたのではないか。

N誌とは英国の科学誌ネイチャー、S誌とはアメリカのサイエンス誌のことで、理系学者のこのヒノキ舞台で発表した論文を撤回するのは学者生命を絶つにひとしい。しかしこの段階で柳田教授に伝わった話は漠然としたもので、「A博士ほどの秀才の目をかいくぐり、なおかつ厳しいはずのレビューアー(論文査読者)数人をあっさり説得してしまったのは、いったいどのような経過なのかよくわかりません」という感想を漏らしたにとどまる。柳田教授も無意識に多比良教授の「部下の不始末」論に引きずられていたかに見える。

9月13日の東大の発表は柳田教授の旅先にも届いた。さまざまな関係者と意見を交わしたが、筆頭筆者が撤回に応じていないので、議論はいつもあいまいに終わってしまう。14日、教授は持参したパソコンから自分のブログサイト「柳田充弘の休憩時間」にこう書き送った。「真実は分かりませんが、わたくしはこのグループについては、もうずいぶん昔からたぶん6、7年前からいろいろ聞いていることがありました。聞いたことを書くわけにはいきませんが、なにも驚きはありません」。うわさは前から流れていたのだ。15日、柳田教授はヒースロー空港に到着、ロンドンのパディントン駅経由で、キングズ・クロス駅から電車に乗り込んだ。行く先はケンブリッジである。

筆者には懐かしい。ハリー・ポッター旅立ちの場所--ホグワーツ魔法魔術学校行きの特急列車が出る9と3/4番線が壁に「隠れている」あの10番か11番ホームから乗り込んだのだろう。夜のケンブリッジ駅に降りて彼は驚いた。駅前のタクシーは奪い合いで、まごまごしていたら横取りされたという。「紳士の国にあるまじき」と憤慨しているが、つい苦笑してしまう。私も「ラグビーのボールの奪い合いのような」タクシー争奪戦に加わったことがある。だって、バスがなけりゃ大学まで歩いて最低30分。タクシーの台数が少ないから、はぐれたら行列で立ちんぼである。イギリス人だって体面をかなぐり捨てる。

そして18日、先のブログサイトで「ふたつの論文の撤回」と題して、柳田教授ははじめて長文の感想を載せた。撤回メールの経緯は、そこから再現したものだ。教授は「捏造は科学における犯罪」と怒りを隠さないが、14日の記載と同じく気になる箇所がある。

「2003年の論文についてはすくなくとも2人の研究者が、結論とうまくあわない実験結果をもつにいたって、ひとりはメールでおかしいではないかと質問していること、もうひとりは自分の論文のなかで2003年の論文の結論を支持できない結果があることを明記していたことでした。そうなると、2005年の続報はこのあたりをどのように踏まえたものだったのか。2005年の論文が出てからは多数の研究者が追試関係の実験をしたい旨の依頼をしたが、受け取ったものがまったく別物であることが判明してきたとのことでした」

文化功労者という学会のドンに、ここまで言われたら立つ瀬がない。しかも日本RNA学会や東大工学系研究科から疑義が呈される前に、研究室内部が割れて内部批判が出ていたのだ。それを押さえつけて続報論文をネイチャー誌に投稿したとすれば、「部下の不始末」では説明できない。PIたる多比良教授も百も承知で異論を握りつぶす無理をしてきたことになる。教授と助手は同罪と言っていい。監督責任では逃げられない。

13日に多比良教授が公表したコメントは未練がましく聞える。「多大なご迷惑をおかけした」と詫びてはいるものの、「登録された実験ノートを全員に配布し、それを管理するよう徹底いたします」と管理改善の問題にかえて、ダメージを局限しようとしている。だが、以下の釈明にあなたは納得できるだろうか。



幸いにも、ご指摘のジーンディスカバリーに関する研究につきましては、当該論文の結果に基づきまして、他の表現系を指標にしまして、複数の研究者によって良好な結果が得られております。それらの実験データに関しましては実験ノートの提出が可能です。同様に、当初ご指摘のマキシザイムに関する研究につきましても、他学の研究グループにより良好な結果が得られておりまして、それらの実験データに関しましても実験ノートの提出が可能であることを確認しております。



自力では証明不能だとしても、よその大学でいい結果が出ている研究もあるんだからさ、ここはひとつお目こぼししてよ――という泣き落としに近い。韓国ソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク)教授とあきれるほどよく似ている。黄教授の疑惑は、1月10日発表の最終報告で最悪の結論が出た。問題の幹細胞(ES細胞)はひとつも存在しなかったという。それでも「源泉技術はある」と黄教授は強弁しているのだ。

日本版の黄疑惑――多比良教授も、最後の評決が出たかに見える毎日新聞の記事(05年12月29日付)になお「実験は容易ではない。期限を年度末までにしてほしいと以前から申し入れている」と言っている。しかし周囲はとうに「ゲーム・イズ・オーバー」と見ているのだ。

彼方のタルコフスキー3――剃刀を手にした狂人のように

口直しが必要だ。ソニーも、ヒト・クローンも後味が悪い。

「トラフィック」や「エリン・ブロコビッチ」の映画監督スティーヴン・ソダーバーグが、「タイタニック」のジェームズ・キャメロンを製作者にして撮った「ソラリス」は毀誉褒貶相半ばした。いや、毀と貶のほうが多かったかもしれない。私も失望した。タルコフスキーの「惑星ソラリス」のリメークとはいえ、愛の喪失の映画としても遠く及ばない。

タルコフスキーのSF映画が公開された70年代、日本人を驚かせたのはそこに未来都市の映像として、東京オリンピックで急造した首都高速道路が映っていたからだ。奇妙なデジャヴュ(既視感)だった。いま、40年近く前の首都高速を見るとますますそうだ。妙に暗いハイウエーが右に左にカーブし、トンネルに入り、はてしない迷路のようにつづく。こういう寂しい東京をレンズの被写体にできたのは、ソフィア・コッポラか荒木経惟くらいだろうか。

ソダーバーグほどハリウッドの優れた才能でも、こういう死の影は撮れない。タルコフスキーのように「神秘」を映像化できないのだ。ソダーバーグは窮して詩を朗読させる。イギリスの詩人ディラン・トマス(1914~53)だった。詩は悪くないが、「ソラリス」で読ませる必然はない。監督の教養の底が知れるだけの、つまらない小細工である。

タルコフスキーが「鏡」で読ませた父の詩「逢瀬、知りそめしころ」は、ソダーバーグのとってつけたようなディラン・トマスとは違う。れっきとした必然があった。父が別れた母の映画だからだ。詩の若き父と母の交歓は、彼自身の神秘に直結している。その後半は天地を揺るがす奇跡の光景に変じる。

川はきらきらと脈打ち
山は煙り海は仄かに光った

水晶球を手にして
きみは玉座で眠っていた
正しき神よ!きみはぼくとなった
きみは目覚め
ありふれた語彙を変えてしまった
ことばは力強い響きに溢れ
きみは新しい意味を得て
ツァーリになった

鍋や水差しやささやかな物たちまで
この世のすべては変貌した
層をなして硬水が
ぼくたちの護り手となった時

ぼくたちは何処へ誘われていくのか
目の前には幻のように
奇跡の町々が現れ
足元には草々が伸び
鳥はともに道を行き
魚は川を遡り
眼前には空が拡がった

剃刀を手にした狂人のように
運命がぼくたちを追ってきた時

しんとして音がしない。雪のモスクワ郊外の夜は更けていく。タルコフスキーの前妻イリーナのインタビューに、映画大学時代からの友人ユーリが口を挿んだ。

ユーリ「映画大学に入学したとき、私は17歳でね。タルコフスキーは年長だったよ。あけっぴろげな人間ではなかった。周りの人からいつも距離を保って、固有の考えやイメージを頑固に守って譲らない、という印象だった。最初は打ち解けず、言葉も交わしたこともなかった」

――親友になったきっかけは?

ユーリ「何人かでグループをつくり、お互いに監督になったり、俳優として演じたりしながら、何本か試作の映画を撮ってね。やっと素直に胸襟をひらくようになった。チェーホフの『退屈な生活』とかヘミングウエーの『殺人』とかを撮っているあいだ、タルコフスキーは激情的でね、着ている衣裳から何から自分のイメージに徹底的にこだわるんだ」

イリーナ「監督の彼は俳優をとても愛していたわ。アナトーリー・ソロニーツィンのように、同じ俳優をいろいろな映画(『ルブーリョフ』『ソラリス』など)でつかうでしょう。みなアンドレイ(・タルコフスキー)に近い友人たちよ。彼らは監督のイメージを深く理解しなければならない。彼と一緒にしごとをしたいという感覚をもつことが大事なの。俳優はどんな性格の人物になりきるかに心を砕き、胸に抱いた感覚が映像に顕れるよう努力しなければならないの。毎日、何度も同じことを繰り返した。それによって多くの俳優が最高の演技を成功させられたと思うわ」

ユーリ「ああ、『僕の村は戦場だった』を見て、これは類まれな天才だと思ったな。でも、私にいちばん近い映画は『鏡』なんだ。出てくる家族はモスクワのインテリで、タルコフスキーの家族にそっくりだからね。私の母と彼の母は同じ名のマーリアで、夏の別荘にもときどき遊びに行ったから、よく知ってるんだ。『鏡』がとらえた、揺らめく木の葉や水の流れは、自然のエモーショナルなエネルギーを感じさせる」

――タルコフスキーにとって、水は特別の意味を持っているのでは?

そう聞いたとき、「逢瀬」の詩の「川はきらきらと脈打ち/山は煙り海は仄かに光った」ということばが脳裏をかすめた。続きはまたこの次。

ネット愛国主義の胚5――「象牙の塔」に潜むアネハ

一級建築士がやすやすと耐震設計のデータ捏造ができたのは、パソコンというデータ加工自在の便利な利器があったからだ。素人には近づけない閉鎖的な学問の府でも、パソコンは同じ温床になりうる。「象牙の塔のアネハ」がいたとしたら……

日は偶然同じだった。05年12月29日。海の彼方では、ヒト胚性幹細胞(ES細胞)の論文データ捏造疑惑で火だるまになったソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク )教授に対し、大学調査委員会が「ES細胞は存在せず、データもない」という衝撃的な審判をつきつけていた。同じ日、日本で流れた小さなニュースは、隣国の大騒ぎに埋没してしまう。が、これまた東京大学で名を知られた“やり手”の遺伝子学者の学者生命が「風前の灯」になる致命的な記事だった。

毎日新聞を引用しよう。



東京大学大学院工学系研究科の多比良和誠(たいら・かずなり)教授らが発表した論文について、「裏付けるデータがない」として大学が調査していた問題で、教授側は期限までに実験結果の裏づけ資料を提出できないことが28日、分かった。これを受け同大は教授と研究グループを処分することになった。

(中略)多比良教授らがこれまでに提出したものは「論文1件について、実験の途中経過を示すメモのようなもの。再現性が確認できるものではなかった」(関係者)という。

(中略)関係者の間では「比較的容易な4件について、十分な時間を取った。これ以上の猶予は与えない」との見解が支配的だ。1月中にも「論文の再現性が認められなかった」などとする結論を出し、小宮山宏学長に報告する。



これだけでは何のことかわからない。伏線は05年9月13日、東大大学院工学系研究科(平尾公彦科長)の調査委員会が行った発表にある。ことのてんまつを、かいつまんでいうとこうである。

日本RNA学会に内外の研究者から「多比良教授の研究論文のいくつかは実験で再現できない」との疑義が寄せられ、同年3月に学会は専門家6人に教授の論文10数点を評価してもらったところ、全員が実験で再現できないこと指摘、内容についても問題ありと言われたため、4月1日に東大工学系研究科に調査を頼んだという。その結果、工学系で調査委を設置、半年かけて調べたが、「実験結果の信頼性」を確認できなかった。

奥歯にもののはさまった言い方をやめると、多比良教授の論文にデータ捏造を疑う声があちこちから挙がり、学会も重い腰をあげてヒヤリングしたら、誰もが口をそろえて「怪しい」という。学者生命を抹殺するような告発を学会はしたくないから、教授が所属する大学にゲタをあずけた。大学の調査委は、実験結果の再現性が容易な論文4つを選び、実験記録と実験試料の提出を求めたが、7月19日に提出された記録は実験の生データであることを証明するものでなかったという。平尾科長は8月22日に重ねて教授に実験ノートなどを提出するよう求めたが、9月5日に教授は「実験データや実験プロトコルなどが記載された実験ノートが存在しない」と回答してきた。

このため、工学系調査委は9月13日にその結果を発表し、教授には論文に書かれた原材料と試料を使った「速やかな再実験と結果の報告」をすることを求めた。多比良教授は産業技術総合研究所(旧工業技術院)、理化学研究所のポストも兼任しており、両研究所とも調査を開始することになった。疑わしいが即決せず、時間を与えるから「追試」を受けろ、という温情あふれる審判である。だが、12月29日の記事は、発表から3カ月近くなるというのに、“追試”に通りそうな実験結果が得られるメドが立たないというのだ。

これは深刻である。「日経バイオ」誌のサイトに再録された発表資料や、問題とされた論文12件のリスト疑問点をとくと御覧になっていただこう。*印のついた4論文が「追試」対象になったものだが、筆頭筆者は東大で多比良研究室にいる川崎広明助手である。(3)と(12)の論文が英国の科学誌の権威ネイチャー誌、他の2論文も海外の有力学術誌に掲載されている。お気づきだろうか。ネイチャー誌と米サイエンス誌に載せた画期的論文が疑われた韓国の黄教授と「うり二つ」の構図なのだ。

これに対し、多比良教授自身はどう釈明したのか。ここも黄教授と似て、当初は歯切れの悪い言い訳に終始している。「実験担当者(川崎助手だろう)はほとんどの生データをコンピュータ上に直接取り込み、整理された実験ノートとしては、記録に残しておりませんでした」というのだ。これは説得力がない。データがパソコン上だけだったら、いくらでも捏造できる。耐震設計のデータ捏造とどこが違うのか。

川崎助手は「生化学のアネハ」なのか。次回以降、じっくり追跡していこう。

ところで、日本医科大学の澤先生からご忠告いただいたので、このシリーズの4で書いた「不思議なデジャヴュ」のくだりをちょっと補足しておこう。私は「日本でも韓国と同じく省間対立が起きた」と大雑把に書いたが、正確に言えばもっと複雑だった。当初、クローン技術規制の法制化をめざした文部科学省の生命倫理安全対策室に対し、まず対案を出そうと動いたのは民主党、その「ヒトクローン問題に関するプロジェクト・チーム」(座長/内藤正光、事務局長/近藤昭一衆議院議員)だったという。

文科省案が「クローン個体産生」のみ法で規制し(罰則あり)、あとは法で定めたガイドラインでコントロールしようとしたのに対し、民主党の対案はクローン固体の産生だけでなく、胚研究も生殖医療の研究も含めた統一法をめざすものだった。結局、政府案(文科省案)が2000年11月に成立したが、ガイドライン作成は内閣府の総合科学技術会議に棚上げされ、そこで実質的な議論が進まなくなってしまう。

カヤの外だった厚生労働省が、これに乗じて生殖医療に関する法制化を狙った。「研究は文部、臨床は厚生」という霞が関流の「縄張りの不文律」があり、審議内容は「非配偶者間の生殖補助医療」に絞られた。そこで誕生したのが「厚生科学審議会生殖医療部会」。しかしここでも政治家が割って入って政争の具となってしまう。要するに日本のよじれは、省間の角逐と政官の角逐という二重構造になっていて、屈折する段階も二段階だったのだ。ただ、これまた韓国と酷似しているとも言える。

ソニーの「沈黙」17――「ピラニアの沼」を逃れて

昔、「世界残酷物語」などと題したゲテモノ映画を得意とするグアルティエロ・ヤコペッティという監督がいた。ピラニアの棲息する沼に牛が落ちて、群がる食肉魚に血だるまにされ、やがて骨と化すシーンを売り物にしていた。怖いものみたさに見に行ったが、なんだか嘘っぽいと思った記憶がある。あとで暴露されたが、やっぱりヤラセだったそうだ。予め出血させた牛を沼に追いこみ、血の匂いでピラニアを集めたというから、ドキュメンタリーを標榜しながら本末転倒である。

その映像を思いだしたのは、音楽CDの「スパイウエア」問題ですっかり悪役に変じたソニーBMGに、あれよあれよというまに集団訴訟のピラニアが群がっていたことである。

年明け早々予備的和解に達したと報じられたが、群生する訴訟のどの範囲にまで及ぶのかがよく分からなかった。しかし、専門サイト「ソニー訴訟ドットコム」をのぞいたら、やっと概要がつかめてきた。サイトの主宰者である法学生が1月7日に「ソニーBMG和解とあなたにとってそれが意味するもの」で詳しく解説している。

それによると、今回予備的和解に達したのは、イリノイ在住とニュージャージー在住の2原告が起こし、ニューヨークのカンバー&アソシエーツが代理人をつとめる集団訴訟に、全米各地で起きた少なくとも21の集団訴訟が合体したものだそうだ。図らずもここで明らかにされたのは、「スパイウエア」が暴露されてわずか2カ月、なんと21匹以上のピラニアが食らいついていたことである。

皮肉にもソニーの映画部門ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(SPE)のヒット作に「エリン・ブロコビッチ」(スティーヴン・ソダーバーグ監督、ジュリア・ロバーツ主演)という映画があったが、公害垂れ流しという格好の弱みを握られた企業から法外な賠償金をせしめる成功談として描かれていた。裏返せば、弱みをみせた企業は血を流す牛のようなもので、法曹界のピラニアがむしゃぶりついてくる。アメリカでは訴訟はまさに「一攫千金のビジネス」なのだ。

もちろん大義名分は必要だ。スパイウエア和解案の救済対象は、アメリカ国内でソニーBMGのコピー制限機能付き音楽CDを買ったり、もらったり、保有したり、使用した全消費者に及ぶことになっている。だから、この予備的和解が法廷の承認を得て正式発効すれば、すくなくともアメリカでの民事訴訟のおおかたが片付く希望が持てる。

だが、ぬか喜びはできない。これですべてが解決するわけではないのだ。「ソニー訴訟ドットコム」は、この和解案のらち外となる訴訟を4つ挙げている。2件はカナダで起きた集団訴訟で、オタワ大学法学部研究者のサイトによると、カルガリーの法律事務所が提訴したものと、ケベックで起きた別の訴訟があるそうだ。もう1件はイタリアのネットの自由擁護団体ALCEI(Associazione per la Libertà nella Comunicazione Elettronica Interattiva)が05年11月に起こしたもので、いずれも国境外だから、アメリカ法制のもとでの和解は効果が及ばない。

残る難物は州司法当局による民事訴訟である。日本の新聞でも報じられたが、テキサス州司法長官ゲイリー・アボットが反スパイウエア消費者保護法という州法違反容疑でソニーBMGを訴えているほか、フロリダ州司法長官チャーリー・クライストも捜査中(investigation opened)と発表しており、さらに「泣く子も黙る鬼検事」と恐れられているニューヨーク州司法長官エリオット・スピッツアーが、覆面捜査官をウォルマートなどCD販売の第一線に派遣して内偵を進めているというが、これらも和解案の適用外である。

これではハワード・ストリンガー会長兼CEOも、手放しで楽観はできないだろう。彼がラスベガスの家電見本市で1月5日に行った会見は、ようやくマーキュリー・ニュースに載ったAP通信電子版でみつけた。



「あきらかにおおかたの認識は、このコピー保護問題で過剰なことはすべきでないというものです」

「ビデオのビジネスが発展していくにつれ、アーティストの権利はスイッチポン世代に自動抹消されるべきものではないとの理由から、これは縄張り争いのようなものになっていくでしょう」

「とてもとても注意深く足を運ばなければならない。テクノロジーと消費者の要請、さらにわれわれが重く感じているアーティストの権利のあいだにあるソニーの隘路を綱渡りしなければならない」



ため息がでる。いくら訴訟が怖いからといっても、「ご迷惑おかけしました」の一言ぐらい言えないのだろうか。この件ではじめて聞く彼の言葉だが、評論家みたいなきれいごとに終始している。イギリス人は総じて謝ることが嫌いで、素直に「ソリー」も「アポロジャイズ」も口にせず、未練たらしく負け惜しみを並べる。どうやらストリンガー会長もそうなのか。悪いところだけ日本をまねて、この発言には「ソニー」の主語がすっぱり抜けている。



「われわれはたしかに勝利を宣することができなかった。しかしこれまでのところは、まずまずといっていいと思う(But I think so far, so good would be fair)」



そう思うなら、もう一度質問状を出そう。法的解決にめどがつきそうなら、そろそろ緘口令も解いていいはずだ。

ソニーの「沈黙」16――「臭いものにフタ」の予備的和解

1月10日は黄禹錫(ファン・ウソク)問題の最終結論をソウル大学調査委員会が発表することになっているから、「ネット愛国主義の胚5」を載せようと思っていたが、予定を変更せざるをえない。しばし、ソニーに逆戻りである。

正月明け早々、音楽CDのスパイウエア問題で動きがあったからだ。ソニーBMGが集団訴訟の和解にこぎつけた、とのフラッシュニュースが流れた。やれやれ、容赦ないね。松の内くらいゆっくりさせてもらえないものか。それほど律儀なソニー・ウォッチャーではなく、毎日、ネットをチェックしているわけじゃないんだから。

とにかく、発信源はサンフランシスコの法律事務所ジラード、ギブス&デ・バルトロメオとニューヨークの法律事務所カンバー&アソシエーツだった。ジラード・ギブスは95年設立でパートナー5人、アソシエーツ6人と規模は中堅どころ。数多くの集団訴訟を手がけていて、ソニーのウォークマンを蹴落とした携帯オーディオ「iPod」の初期モデルが「表示より電池の持続時間が短い」として起こされた消費者の集団訴訟でも原告代理人をつとめた。

和解についての発表文をネットで報じたZDNetやCNETの記事はちょっと正確さに欠ける。和解で決着したのではなく、正確には和解の一歩手前の「予備的和解」(Preliminary settlement)である。ジラード・ギブスの発表文そのものを直に翻訳しよう。



ソニーBMG・エンタテインメント社とサンコム・インターナショナル社、ファースト4インターネット社は、数百万枚のソニーBMG製音楽CDに搭載された著作権管理ソフトのセキュリティー上の欠陥を含む、全米規模の集団訴訟の和解に同意した。

ジラード・ギブスは、このニューヨーク南部地区裁判所の訴訟番号No.1:05-cv-9575-NRB、「ソニーBMG製CD技術訴訟」と呼ばれる集団訴訟において、法廷指名の原告側共同代理人として(被告側)提案の和解に達したものである。



解説を加えておこう。サンコムとは、音楽CDに組み込んだコピー制限機能ソフトMediaMaxを開発したアメリカの業者、ファースト4インターネット(F4I)は同ソフトXCPを開発した英国の業者で、いずれもユーザーのパソコンの基本ソフトを同意なしに書き換えてガードに穴をあけ、個人情報をソニーBMGに密かに流す「スパイウエア」だとしてソニーBMGとともに被告になっていたのだ。

和解案は被告三社の代理人である弁護士ジェフリー・ジェイコブソンと「仮想的な徹夜の和解交渉」(virtual round-the -clock settlement negotiation)」の末に合意したもの。地区裁判所が予備的に了解している模様で、正式に妥当と承認すれば実効性を持つ。ジラード・ギブスとカンバーが各地で起きた集団訴訟のどれだけを代表している代理人なのかはまだはっきりしないが、発表文の後半はこう書いてある。



この和解は(法的な)承認を得れば、CD使用に課す制限とこのソフトのもたらす脆弱性について適切に開示することなく、ソニーBMG、サンコム、F4Iの3社がXCPとMediaMaxを搭載したCDを設計・製造・販売する詐欺的行為を行ったという訴えを解決するだろう。

この和解提案は、XCPおよびMediaMaxを組み込んだソニーBMG製CDを買ったり、もらったり、使ったりした米国の消費者に救済措置をもたらす。この和解のもとで、XCP付きCDを持つ人は誰でも(XCPなしの)CDと交換するか、同じアルバムをMP3方式(の圧縮ファイル)でダウンロードしていい。さらにインセンティブがついていて、(a)7.5ドルの現金と一枚のアルバムを無料ダウンロードするか、(b)3枚のアルバムを無料ダウンロードしていい。

また、MediaMax 5.0付きのCDを買った人は、同じアルバムをMP3方式で無料ダウンロードし、もう一枚別のアルバムを無料ダウンロードしていい。MediaMax 3.0付きのCDを買った人は、同じアルバムをMP3方式で無料ダウンロードしていいが、インセンティブはついていない。



なんだか、寅さんの口上みたいである。「タダのおまけをつけてやっから、文句は言いっこなし」か。これに付加する和解条件の要約は以下の通りである。

(1) XCPおよびMediaMax搭載のCDの製造を中止する。
(2) XCPおよびMediaMaxによって引き起こされたセキュリティーの欠陥を修復するアップデートを利用可能にする
(3) XCPおよびMediaMaxをコンピューターから安全に除去(アンインストール)するソフトを配布する。
(4) MediaMaxおよびソニーBMG製CDに組み込まれた他のコンテンツ保護ソフトで将来セキュリティー上の欠陥が発生した場合も修復する
(5) XCPおよびMediaMaxによって、ソニーBMG製CDのユーザーの個人情報を収集しなかったし、これからも収集しないと第三者に証明させる
(6) XCPおよびMediaMaxソフトの使用許諾承認契約(EULA)のある規定を削除する
(7) 他のどんなコンテンツ保護ソフトでも、はっきりと開示し、第三者にテストさせ、除去できるようにすることを保証する。

ソニーにとって、これでめでたしめでたし、なのだろうか。詳細はジラード・ギブスが公表した長文の「和解提案」と地区裁判所に提出した「予備承認申請書」を目を皿にして読みこんでもらわなければならない。

明らかにソニーは集団訴訟の決着を急いだ。長期の法廷闘争でイメージが悪くなるのを避けたかったのだろう。懲罰的な巨額の賠償も避けられたし、スパイウエアの除去ソフト配布などはすでに約束しているから、さほどの持ち出しでもない。が、最大の問題は、轟々たる非難を浴びたスパイウエアの難点をほとんど認める全面屈服に近い和解なのに、ひとことの謝罪も陳謝もなく、法廷で決着済みとしてさっさとフタをしようとしていることだろう。

現に、ジラード・ギブスがこれだけ詳細に発表しているのに、ソニーBMGもソニー本体も6日まで何のプレスリリースも出していない。ソニーのハワード・ストリンガー会長兼CEOは5日、ラスベガスの家電見本市「コンシューマー・エレクトロニクス・ショー」で会見に臨んでえらく楽観的な業績回復予想を口にしたが、スパイウエア問題では一般論しか口にしていない。リコールとお詫びの大盤振る舞いでソニーBMGはいったいいくらの損失を抱え、音楽部門の知財戦略はどう立て直すのか。聞きたいことはいくらもあるが、事実上の「沈黙」はまだ続いている。

彼方のタルコフスキー2--雪の夜に会った前妻イリーナ

週末にヒト・クローンの話も興ざめなので、タルコフスキーに話頭を転じよう。

「Russia」と表紙に書いてある13年前の3冊の取材ノート。それを見ていると、硬直したブレジネフ時代にふさわしくない詩的な映像を撮った映画監督タルコフスキーの作品の1シーン1シーンが、走馬灯のように脳裏をよぎる。

彼はほとんど私小説に近い「私映画」も撮った。それが「鏡」(Zerkalo, 1975)で、ここでも父アルセーニの詩を朗読させたのだ。脚本はタルコフスキーが書いたもので、母のマーリヤの人生をテーマにしているが、なんと実の母も登場させている。父は母と離婚していたが、映画ではその父に自作の詩を朗読させた。11回も録音やり直しを命じられた父は「息子が天才だなんて信じられなかったが、今は信じる」と脱帽した。タルコフスキーの執着は、映像のなかで「一族再会」を果たすことだったのだろうか。

彼自身も、すでに最初の妻イリーナ(イルマ)・ラウシュと別れていた。「惑星ソラリス」でナターリャ・ボンダルチュクが演じた亡き妻ハリーの暗い表情にも、それが投影されているに違いない。「鏡」でも美しい映像のそこここに破鏡の痛みが顔を見せる。父の朗読詩も「逢瀬、知りそめしころ」という題だ。ふたたび知人の試訳を紹介しよう。まず前半。

ぼくたちは逢瀬のひと時ひと時を
主顕節のように祝った
この世にただふたりだけ
きみは鳥の翼よりも勇ましく軽やかだった
階段を、めくるめいて
一段おきに駆けおりて
濡れたライラックを手にいれた
鏡のむこう側から

夜が訪れ、ぼくに愛がもたらされた
聖所の扉が開かれ
むきだしの身体が闇に光り
緩やかにかしいでいった。
めざめのとき、「幸多かれ」とつぶやいて
ぼくは気づいたその祝福の不遜さに
きみは眠っていた
紺碧の宇宙でその瞼に触れようと
ライラックはベッドからきみのほうへと身をのりだした
紺碧にふれられた瞼は静かで
その腕は温かい

映像の魔術。ここでは父子は相似形になる。詩の逢瀬にあらわれる裸身が、いつしか父アルセーニの恋人でなく、子アンドレイの恋人に入れ替わってしまう。温かく彼を抱く腕は、母なのか、妻なのか。映画は不思議な錯覚をもたらす。

前妻イリーナは女優で、タルコフスキーの作品で若き彼女を見ることができる。ナチス侵攻下のパルチザン少年兵を描いた「僕の村は戦場だった」の主人公の母、そして中世のイコン画家の苦悩を描く「アンドレイ・ルブーリョフ」では、タタール人に連れ去られていく白痴の少女を演じた。待ち構える陵辱と虐殺の運命を知らず、白衣をなびかせて馬に乗せられていったその無垢な笑顔が、なぜか忘れられない。

イリーナに会ってみたいと思った。

彼女は国立映画大学でタルコフスキーと同期だった。離婚後はひっそりと身をひいて、その後はどんな役を演じたのか、外国人には分からない。彼女は前夫の映画で永遠の生を得た。タルコフスキーがガンで死んで6年余の1993年冬、イリーナに連絡をとったら快くインタビューに応じてくれた。会う場所はモスクワ環状線外のサナトリウム、と指定された。

取材ノートを眺めて、ありありとその光景を思いだす。しんしんと雪の降る夜、白樺の木立に抱かれるようにレンガの館が点在していた。黄昏、真っ白の敷地に車を停め、通訳と館の扉をたたく。室内は暖炉の火がちらちら揺れていた。イリーナは思っていたより小柄で、当時は60歳前後だったが、美貌は衰えていなかった。今も存命だろうか。生きていれば70歳を超えたろう。

サナトリウムの暖炉の前に、映画大学の学友2人も一緒に待っていた。ひとりはタルコフスキーと一緒にモスフィルム芸術部長ミハイル・ロンムのもとで学んだ親友ユーリ・ファイト、もうひとりは当時モスクワに学びにきていたギリシャ人女性のマーリア・ベイコウだった。そのインタビューは、故旧談からいつしか失われた青春の回顧となり、さながらチェーホフの一場面だな、と思いながら耳を傾けた。

イリーナ「映画大学の生徒はあのころ少なかったわね。監督科に進む人が多くて、私のような俳優科はわずかでした」

マーリア「ええ、私は外国人として映画大学に入学したけど、最初に出会ったのはアンドレイ(・タルコフスキー)とイリーナだったの。彼は日本だけでなくギリシャにも興味を持っていて、いろいろな話をしたわ。古代ギリシャから現代のギリシャまで。おかげでだいぶロシア語が上達したのよ。1年生から3年生まで映画制作を一緒にした。私は学生生活と同時に、ギリシャ向け放送のアナウンサーもしていて、夜遅くなると彼が出迎えてくれた。イリーナが好きになっていて、どうしても結婚したいって言ってたわ」

――大学で彼はどう評価されていたんでしょう。

マーリア「多くの教授は彼に複雑な感情を抱いていました。でも、ロンム先生は彼が天才とわかっていて、才能の成長を助けたと思うわ」

イリーナが華やかな笑みを浮かべた。いまも花がある。

この続きは稿を改めよう。連休なのでブログは日月と休み、火曜から再開します。

ネット愛国主義の胚4――日韓の不幸な「うり二つ」

お奨めした日本医大講師、澤倫太郎氏の論文ではっとさせられたのは「不思議なデジャヴュ(既視感)」のくだりである。

「人間複製」への倫理的な反発が高まって、クローン人間を実験段階から規制しようという動きが、日韓ともほぼ同時期に始まった。いずれもよじれていった経過が「うり二つ」だというのだ。反韓、反日ナショナリストには気の毒だが、紆余曲折のあげくの尻切れトンボはなぜか日韓ともよく似ていて、同じ穴のムジナと言われかねない。

規制論議のきっかけは、もちろん1996年に英国の研究所が誕生させたクローン羊「ドリー」にある。その技術がヒトに応用されるのは時間の問題とされるなかで、功名心からクローン人間の開発競争が始まる恐れが強まり、宗教界や西欧先進国政府を中心に先手を打った規制をかけようとの声が高まった。

覚えているだろうか。2002年、イタリアの不妊治療医セヴェリノ・アンティノリが「近くクローンベビーが生まれる」と発表、つづいてカルト教団ラエリアンが「クローンベビーを誕生させた」と発表して大騒ぎになったことを。真偽は別として、恐れていた事態が目前に迫ってきたのである。ローマ法王庁もザ・タイムズなど保守系紙も「ヒトラーの真似事」「ナチスの狂った計画」などと一斉に非難の声をあげた。

しかし、このイタリア人医師の評判は、もとから芳しくなかった。先には62歳の老女に妊娠させたと発表して世間をあっと言わせたり、1999年には無精子症の男性の精嚢から精子のもとになる細胞を取り出し、それをネズミの精嚢に移植して精子に育て、体外受精させて赤ん坊が生まれたと発表したりした“お騒がせ人間”である。

このときは「借り腹」でなく「レンタル精嚢」、それも相手がネズミというグロテスクな組み合わせだったが、鳥取大学のニコラオス・ソフィキティス講師が協力、日本人を含む4人の男性が成功したという。ただ「患者の秘密」をたてに身元など一切を明かさず、その実在を疑われて単なる売名行為ではないかとうわさされた。

ラエリアンのほうは、フランス人教祖がUFOの異星人と遭遇してできたというトンデモ教団である。「人類は2万5000年前にこの異星人のクローン技術によって誕生した」と主張、2000年に本部のあるスイスでクローン人間をつくると発表した。日本では教団の関連会社クローンエイド社が2003年1月までに女児2人、男児1人の計3人のクローンベビーを誕生させたというが、DNA鑑定に応じておらず、専門家は立証不能としている。

このクローンエイド社は韓国にも支部があって、こちらは2002年7月に「半年後に韓国でクローン人間が生まれる」と発表した。韓国政府はすでに科学技術部(日本の文部科学省)が有識者懇談会を設けて「生命倫理基本法骨子案」を諮問しており、同年9月には国会に法案を提出しようとしていた。ラエリアンのスポークスマンは、韓国でクローン人間が法律によって禁止されれば「代理母は出国する」と海外での出産を示唆した。

が、この法案はもめた。澤論文によると、科学技術部に対抗して保険福祉部(厚生労働省に相当)が、人間の複製禁止や幹細胞研究に限定せず、「胚の管理体制に加え、配偶子の売買禁止や、遺伝情報の取り扱いにまで及ぶ統一法」をめざして、「生命倫理安全法案」の策定をめざしたという。霞が関でもよくある官庁間の縄張り争いだけでなく、バイオテク振興政策とのジレンマが科学技術部と保険福祉部のすりあわせを困難にした。

日本で何度も骨抜きにされた環境規制や、独占禁止法強化と構図は同じである。産業振興のかけ声の前に、こうした規制はオジャマムシ扱いされる。全斗煥政権時代の1984年に制定された生命工学育成法はその後何度も改正されて現在に及んでおり、韓国のバイオ振興の息は長い。金泳三政権時代の1994年には「バイオテク2000生命工学育成基本計画」が定まり、累計16兆ウォン以上の資金を投じてきた。ナノテク、ITと並ぶ21世紀韓国の中核テクノロジーとして「バイオテク」は国策産業の使命を負わされていたのだ。

結局、科学技術部と保険福祉部の角逐は決着を見ず、内閣府にあたる国務調整室で法案を一本化して2003年末に生命倫理安全法が成立、05年から施行された。ところが、「振興」と「規制」の矛盾のもとで、黄禹錫(ファン・ウソク)教授のスキャンダルが発生したのだ。朝鮮日報などの報道によると、黄教授は1年間で900という多数の卵子をつかったと言われ、卵子売買によって調達したとしか考えられない。売買を禁じた新法が事実上空洞化していたのではないか。

「民族の英雄」の黄教授は湯水のようにカネが使えた。政府や地方自治体の「公式」的援助が658億ウォン、農協中央会や大韓航空などの企業賛助金をあわせ700億ウォンを超え、単一の研究グループとしては歴代最高のカネが投入されていた。05年10月19日には、黄教授のためと言っていい研究治療施設「世界幹細胞ハブ」がソウル大学内に設立されたばかりである。すべては国家戦略としてバイオ振興政策があったからである。

国策の過大なプレッシャーで教授がデータ捏造に走ったのだとしても、国家もまた後戻りできない地点にいた。教授を守ろうと国家情報院が「口止め料」を出したとしても、それはやはり「国家ぐるみ」だったと考えるほかない。だが、それは韓国だけの事情だろうか。澤講師が指摘する「不思議なデジャヴュ」とは、日本でも韓国と同じく省間対立が起きたことである。文部科学省生命倫理安全対策室がクローン技術規制の法制化をめざし、厚生労働省も「非配偶者間の精子・卵子を用いた生命補助医療に関する規正法案」を立案、両省とも一歩も譲らなかった。ここでもバイオ「振興」と「規制」は相容れなかったのだ。

そこまで構図が同じだとすれば、「振興」を名目に巨額の助成金をむさぼる「日本の黄禹錫」がいたっておかしくない。いや、いるのだ。黄教授の先行形態ともいうべき論文捏造が東京大学で起きているのだ。分野も同じバイオで、こちらは遺伝子制御である。

東大の調査委員会(松本洋一郎教授)は05年9月13日、東大大学院工学系研究科の多比良和誠教授とその助手が、遺伝子の働きを制御する「RNA干渉」と呼ばれる分野で英科学誌ネイチャーなどに発表した4論文は「実験データ偽造の疑いがある」と発表した。

黄疑惑を笑う日本の反韓ナショナリストにはお気の毒だが、驚くほど日韓スキャンダルは似ている。新しい格言ができそうだ。人を笑わば穴二つ――。

そのRNA干渉スキャンダルは連休明けに。