


第30回
「芸能者」石川さゆりの見せる歌
4畳半ほどの狭い控え室で私は1時間以上、そこで待機させられていた。2013年11月14日、東京・青山葬儀所。そこには私のほかにもう一人、同じように待機させられている人がいた。喪服の着物の似合うその女性はずっと泣いていた。歌手の石川さゆり。島倉千代子の葬儀で石川さゆりと私はそれぞれ弔辞を読むことになっていた。しゃくり上げるのが止んだ隙に声をかけた。
「カンバン(島倉を音楽関係者はみなそう呼んでいた)がいなくなって、これからはあなたが引っ張っていかなくちゃね。しっかりするんだよ」
目を覆っていたハンカチをはずし、こちらを見つめた石川さゆりは、大きくうなずいた。小学校1年生のとき、郷里の熊本で島倉のコンサートを聴き、歌手を志望するようになった石川を島倉はほんとうの娘のように可愛がった。
それでも序列を重んじる歌の世界では「さゆりよりも先輩歌手がたくさんいるのに、どうしてさゆりが弔辞を読むのか。島倉のコロムビアの後輩には舟木一夫、都はるみらがいるのに、なぜ、テイチクのさゆりなのか」という声が私の耳にも入っていた。島倉を失った哀しみと、いわれもない中傷の双方が涙のわけだったと思う。そこに私は演歌の世界から一人飛び出しかけている孤独な歌い手の影を感じた。
*
それから5カ月後、石川は度肝を抜くような楽曲をリリースした。
暗夜の心中立て詞・曲椎名林檎
好きと云はれりや誰にでも
からだをひらくをんなだと
世間がわちきを嘲笑ふのを
知らぬわけではありんせん
だけどこの命
一思ひに投げ出した相手は唯一人だけ
噫こんな奥底を突き止めて置きながら
知らぬ存ぜぬぢや余り然で無いわいな
月に叢雲花に風酔わせておくんなんし
惚れて候
遊女か花魁か、「〜ありんす」「〜なんし」という廓言葉が出て来る。これはまぎれも無く椎名林檎の世界なのだが、石川さゆりはその世界を突き破るぐらい見事に「演じて」いるのである。椎名林檎とは何者か。彼女のパフォーマンスはジャンルで言えば何になるのか。おそらくはそのようなジャンル付けする輩を椎名は軽蔑するに違いない。60代半ばの石川より20歳ほど若いはずだが、どこかですでに巨匠の雰囲気を漂わせている。年配者には「何を歌っているのかさっぱり意味がわからん」と言われがちな音楽だが、なんと椎名林檎はNHK紅白歌合戦に9回も出場しているのだ。
妖艶と言うのか、新しいのか古いのか分からない音楽を石川さゆりは見事に演じ切る。「私は芸能者」と言い切る彼女の面目躍如である。デビュー当時、山口百恵、森昌子らの陰に隠れてぱっとしなかった石川さゆりは阿久悠、三木たかしコンビの「津軽海峡・冬景色」でスターダムにのし上がった。
この歌がいかにすごいかを、子どものころ津軽で育った私は身を以て感じている。「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと」というくだりがある。「たっぴみさき」と石川は歌い、いまでは全国的にたっぴみさきと信じられている。しかしあれは「竜飛崎、たっぴざき」なのである。生前、作詞の阿久悠に聞いたことがある。「知ってたよ。たっぴざき、だよね。でもあれは三木たかしが曲を先に書きこれに詞をつけてくれと言って来た。あのくだりはどうしてもみさきと3文字必要だったんだよ」
そして歌手石川さゆりの人生ばかりか、歌謡曲の歴史を書き換えるほどの影響力を持った「天城越え」。それから水上勉の小説を歌に仕立てた「飢餓海峡」と続く。吉岡治作詞、弦哲也作曲のこの2つの楽曲はもはや「歌」の域を超えた能や歌舞伎の世界のような「芸能」そのものである。
この2曲と「暗夜の心中立て」のときの石川さゆりは「歌手」と呼ぶよりも「芸能者」のほうがふさわしい。普通の演歌・歌謡曲であれば、歌っている歌手よりも素人のほうがうまかったりすることもあるが、石川さゆりの芸能者のレベルに素人が達することは不可能である。これこそがプロなのだと思う。このことは日本の大衆歌謡の先行きを暗示しているようにも思える。
*
戦後の日本の歌謡史を見れば、聴いて感動するのが歌謡曲だったが、カラオケの普及で聴くよりも自分が歌うことが重視されるようになった。聴いて感動する歌よりも、歌い易いカラオケ向きの歌が量産されるようになり、そのことがまた歌謡曲人気の低迷につながって行った。プロのコンサートでさえも素人が歌うコーナーを設けないとチケットが売れない時代である。プロと素人の境界線がぼやけてきた。となると、プロにしかできない石川さゆりのような「見せる歌」の時代が来るのかも知れない。
「暗夜の心中立て」のカップリング曲もまた凄い。
名うての泥棒猫詞・曲椎名林檎
泥棒猫呼ばわりか
人聞きの悪い事を
云うじゃあないか
篦棒め言い掛りよ
あの人は春猫さ
甘え上手
勝手に舞い込んで来たものを
不意に返せだなんて
陽炎や蜃気楼の様に
追えばのがすもの
石川はいろいろな人物の影響を受けている、というよりは自らその年配者の懐に飛び込んで何かをつかみ取って自分のものにしようとしている。俳優で日本の大衆芸能に詳しい小沢昭一、作家の水上勉、筑紫哲也、阿久悠、三木たかし、吉岡治、弦哲也、そして各地の地唄のプロたち。声を出すことにはすべて関心があるようで落語の立川志の輔に弟子入りし、石川亭さゆの輔の名前をもらい明治座で「芝浜」を歌芝居にしたこともある。
そして2022年春、デビュー50周年記念曲として「残雪」を世に問うた。
残雪詞・曲加藤登紀子
夜明け直近の北の空は
渡る鳥さえ凍りつく渡る鳥さえ凍りつく
遠くに見える山並みに
かすかに白く残雪光るかすかに白く残雪光る
忘れるな故郷を帰ってくるな二度と
忘れるな故郷を帰ってくるな二度と
出て行くあなたに何ひとつ
見送る母の言葉さえない見送る母の言葉さえない
この日までの温もりと
小さな思い出ただ浮かぶ小さな思い出ただ浮かぶ
忘れない故郷を帰らない二度と
忘れない故郷を帰れない二度と
加藤登紀子の旦那だった藤本敏夫と付き合いがあった関係で加藤とも顔見知りではある。還暦のパーティを加藤のロシア料理の店で行った時、加藤と小椋佳が朝まで歌いまくっていた思い出がある。80手前の加藤が故郷を「帰れない」と決めつける。「帰ってくるな」と言い切る。ふるさとは「帰ってこいよ」というのが歌の世界の常識だったが、そうなんだ、帰るところじゃないのが故郷なんだと気づかされるのである。
津軽海峡・冬景色でスターになった石川さゆりを演歌の世界の定位置に坐らせたのは「天城越え」だった。吉岡治の詞の深い意味さえなかなか理解できない年頃にこの歌と向き合った。吉岡と作曲の弦哲也が天城まで出向いて想を練った曲だった。「売れるとはまったく思っていなかった」と弦は私に語ったことがある。「隠しきれない移り香がいつしかあなたにしみついた…」。冒頭から「誰かに盗られるくらいならあなたを殺していいですか」という詞の衝撃が、この曲を戦後歌謡史に書き込まざるを得ないものにした。石川は天城越えと津軽海峡・冬景色を交互にNHK紅白歌合戦で歌っている。順番で言うと2022年は天城越えである。
*
そして同じ吉岡、弦コンビによる「飢餓海峡」。水上勉の小説も内田吐夢監督、三国連太郎、左幸子の映画もすばらしかったが、石川さゆりの歌も決してそれに引けを取らない。
飢餓海峡詞・吉岡治曲・弦哲也
ちり紙につつんだ足の爪
後生大事に持ってます
あんたに逢いたくなったなら
頰っぺにチクチク刺してみる
愛して愛して身を束ね
たとえ地獄のはてまでも連れてって
あゝこの舟は木の葉舟
漕いでも漕いでもたどる岸ない
飢餓海峡
青函連絡船の台風による転覆事故、強盗犯だった男と娼婦八重の出逢い。男は大金を八重に渡し、その金で救われた八重は男を恩人と思う。男の足の爪をチリ紙に包んで持ち歩く。この部分は小説にはないが、映画では重要な場面だ。吉岡の詞はそこから入る。この歌を歌う時の石川さゆりはもはや歌手ではなく「芸能者」である。かなり長い台詞が入るが、熊本生まれ横浜育ちの石川が、完璧な津軽弁をこなしている。還暦を過ぎての飽くなき探究心にただ驚くばかりである。■
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Editor at largeのひとこと
椎名林檎を書こう。「飢餓海峡」は本コラム第21回の「『海峡』絶品」ですでに書いたから。しかし林檎のゴシップは(特典グッズがヘルプマークに酷似していると、アルバムが発売延期になったことも含め)どうでもいい。
とにかく凄いと思った。シンガーソングライターとして。1998年のシングル「歌舞伎町の女王」。デビューから2作目で、「不衛生大小便禁ず」と書かれた花園神社のコンクリ塀の前で、不機嫌そうにギターをかき鳴らして歌っている。彼女はすでに完成されていた。
ちりばめた固有名詞が地霊のようで、九十九里浜、JR新宿東口。それだけでストーリーができてしまう。ギターの隠語だらけの「丸の内サディスティック」も、いまではみんなが真似するコード進行で、駿河台の楽器街をさまよう無名の歌手の身悶えが目に浮かぶ。
宇多田ヒカルとコラボした「浪漫と算盤」もいいが、「ワンピース」の主題歌が世界的にヒットし、最近顔バレしたAdo も、林檎の歌に何度かチャレンジしている。直近では「行方知れず」を歌っているが、以前の「罪と罰」がいい。頬刺す朝の山手通り。徹夜明けで索漠たる環状6号線を車で走った人なら、まざまざと情景がよみがえる。林檎の詞が人を摑むのはまさにそこだ。
東京は愛せど何もない。御茶ノ水、後楽園、池袋、銀座……わがオフィスもその一隅だから、十年一日がよくわかる。それでも、地名が人魂のように街の暗がりに揺らめく。津軽や天城など地名を冠した演歌と変わらない。ジャズのメドレーを歌いこなす石川さゆりが、あえて歌いたい、いや、ねじ伏せたいと林檎に挑んだのは無理もないことに思えた。(A)
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