世は歌につれ
清志郎にジャーナリズムは負けた 世は歌につれ
         「僕がロックですから、自分が納得することが大事」と語る45歳の忌野清志郎(NHK「ソリトン」より、1996年)

第29回

清志郎にジャーナリズムは負けた

目的もなく墓地をうろうろして墓碑銘を眺めるのが好きだ。ハリウッド郊外でまったく偶然出合ったのが大型のコインロッカーのようなマリリン・モンローの墓だった。一輪挿しの赤い薔薇の花が忘れられない。

東京郊外、高尾山近くの霊園で2画区分の大きめの墓が目にとまった。近づいて見たら、かなり癖のある書体で「忌野清志郎」とあった。以前にも清志郎と井上陽水のからみを取り上げた回で書いたことがある。大きな墓石の前にギターを弾くうさぎの鉄製の人形があり、どこかに本名が(栗原清志)と記してあった。夏の初めの頃、4回目になるが訪れてみた。5月2日の命日から日も浅かったためかまだたくさんの花が添えられていた。会えずに残念だったなと思っていたアーチストゆえ、何かに導かれて清志郎の墓石の前に立ったとしか思えない。作詞家の筆名のひとつに「清志郎」と名乗るほど私には会いたい人だった。亡くなってからその思いは募るばかりだ。

東京の西、高尾山の近くに建つユニークな忌野清志郎の墓

改めて清志郎を聴き直してみた。いろいろなことにいま気づく。いまの時代にもっとも存在してほしかったアーチストという表現が一番ふさわしいのだろう。もちろん、歌手である。でもどんなジャンルの歌手なのか。「フォークであり歌謡曲でありジャズでもありロックでもある」(坂本龍一)。カヴァー曲もたくさんある。ジョン・レノンの「イマジン」をまず聴いてみる。清志郎が日本語で歌うために書いた詞である。

イマジン詞・曲John Lennon 日本語詞・忌野清志郎

 

天国は無いただ空があるだけ

国境も無いただ地球があるだけ

みんながそう思えば簡単なことさ

 

社会主義も資本主義も

偉い人も貧しい人も

みんなが同じならば簡単なことさ

 

夢かもしれないでもその夢を見ているのは

一人だけじゃない世界中にいるのさ

 

誰かを憎んでも派閥を作っても

頭の上にはただ空があるだけ

みんながそう思うさ簡単なこと言う

 

夢かもしれないでもその夢を見てるのは

きみ一人じゃない仲間がいるのさ

 

夢かもしれないでもその夢を見てるのは

きみ一人じゃない

夢かもしれないでも一人じゃない

(僕らは薄着で笑っちゃう)

夢かもしれない(ああ笑っちゃう)

かもしれない(僕らは薄着で笑っちゃう)

(ああ笑っちゃう)

(僕らは薄着で笑っちゃう)

これを歌う前にこんなことを語りかけるライブ映像があった。

「ジョン・レノンが生きていたらねどう思うんだろうね今の状況をぜんぜん世界は平和になんないじゃないか21世紀になったら世界が平和になると思ったのにますますひどくなっている」。ジョン・レノン音楽祭でこれを歌った清志郎にヨーコ・オノはこういうメッセージを贈った。「ロックが世界を変えると言ってあなたが熱唱してくれた『イマジン』を私は決して忘れることはありません」

清志郎の曲で頭をガーンと殴られたような気がしたのは次の曲である。

軽薄なジャーナリスト

 

軽薄なジャーナリストにはなりたくない

軽薄なジャーナリストにはなりたくない

いくら落ちぶれてもなりたくない

 

軽薄なジャーナリストはTVにでて

軽薄な指示どおりに台本を読む

そしてギャラをもらって家族を養う

 

軽薄なジャーナリストはいい服を着て

何も知らない人にうそをつく

そして安全なところからただ見ているだけ

(以下略)

ジャーナリストの端くれとして、これは私のことではないか、と自分で思う。いい服を着てもいないし、台本を読んだり、うそをついているという自覚は無いが、「安全なところからただ見ているだけ」はまったくその通りだ。清志郎さん、ごめんなさい。この通りでした。

RCサクセション時代の清志郎の歌にこういうのがある。

多摩蘭坂

 

夜に腰かけてた中途半端な夢は

電話のベルで醒まされた

無口になったぼくはふさわしく暮してる

言い忘れたことあるけれど

 

多摩蘭坂を登り切る手前の坂の

途中の家を借りて住んでる

 

だけどどうも苦手さこんな夜は

 

お月さまのぞいてる君の口に似てる

キスしておくれよ窓から

(以下略)

清志郎は私の6歳半年少である。でもほぼ同じ世代だと感じている。たまらん坂という名の坂は国立市と国分寺市の境界線にある結構急な坂である。この近くで清志郎は育ち、都立日野高校へ通った。中学から高校にかけ私は国立市に住み、新聞配達でこの急な坂道を自転車を押して毎日登った。近くに芸能プロの王者だった渡辺プロの寄宿舎がありタレントがたくさん出入りしていた。私も日野のとなりの立川市の都立高校に通った。当時、だれが言ったか、都立高校カルチュアのようなものがあった。ほぼ同じ世代として清志郎にそれを感じることがある。小市民的家庭の子女が多く、親が有名人だったり、すごい金持ちだったりという話はほとんど聞かない。典型的都立高生はいくらか反体制というか政治に関心があり、当時のことゆえ、好きな女の子がいても気持ちを伝えられない。進学の勉強はテキトーでもアートとかスポーツとか特別な分野に入り込むと大変な才能を発揮する生徒がいたりする。

清志郎は絵を描く。彼の絵はいまでも市場で取引の対象になっている。そして詩を書く、というよりは言葉というものに天才的な取り組み方をする。性格はシャイで「どう話しかけていいのかこちらがためらうほど」(坂本龍一)だというが、ステージで、あるいは言葉を連ねる詩の中で、清志郎は過激に、そして冗漫にさえなる。

古舘伊知郎司会の有名なTV歌番組で起きた有名なあの事件。「タイマーズ」という名前でヘルメットをかぶった労務者風の出で立ちで登場したグループが、リハーサルにはなかった激しい言葉であるラジオ局批判を歌う。清志郎の歌を放送禁止にしたことに怒っていたのだ。その中で決して放送してはならぬ4文字の放送禁止用語があり、清志郎はそれを叫び続けた。生放送なので止めようがない。古舘は「ただいま放送禁止用語が連発されてしまいました。お詫びして訂正します」と叫んだが、のちに「どこがその用語なのかも言えず、あわてた」と述懐している。いま聴くと、どうしてこれが重大事件にされてしまったのかと不思議に感じるぐらい、リズムに乗っている。

清志郎は放送禁止など問題を起こし続ける。次のこれもまた放送できない歌である。

サマータイム・ブルース

暑い夏がそこまで来てる

みんなが海へくり出していく

人気のない所で泳いだら

原子力発電所が建っていた

さっぱりわかんねえ何のため?

狭い日本のサマータイム・ブルース

 

熱い炎が先っちょまで出てる

東海地震もそこまで来てる

だけどもまだまだ増えていく

原子力発電所が建っていく

さっぱりわかんねえ誰のため?

狭い日本のサマータイム・ブルース

 

寒い冬がそこまで来ている

あんたもこのごろ抜け毛が多い

それでもTVは言っている

「日本の原発は安全です」

 

さっぱりわかんねえ根拠がねぇ

これが最後のサマータイム・ブルース

(以下略)

これは福島の原発事故の10年以上前に作られた歌である。原発ほど安全で安価なそして環境を破壊しないエネルギーはないと根拠もなしに多くの国民がまだ信じていたころだ。清志郎のレコードの発売元東芝EMIは東芝の子会社で原発は東芝の大事な部分である。EMIの邦楽最高責任者が「このアルバムは素晴らしすぎて発売できません」というコピーとともに発売中止の広告を出した。いま聴けば実に正しいことを歌っている。極めつきはプレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」をもじった替え歌

何言ってんだー、ふざけんじゃねー

核などいらねー

何言ってんだー、よせよ

だませやしねぇ

何言ってんだー、やめときな

いくら理屈をこねても

ほんの少し考えりゃ俺にもわかるさ

この人を政治の世界に放り込んでみたかった。必ずや予想できないことが起きただろう。清志郎の政治的メッセージにいつも冷淡だったマスメディア、亡くなった途端に英雄視。すみません、私もその一人です。■

Editor at large のひとこと

この7月に亡くなったフォークシンガー、山本コウタローとは小中高で一緒だったけれど、「走れコウタロー」に感心したことは一度もない。「広島でピースコンサートを」と言い出し、1986年の原爆忌からコンサートを始めた。その彼を忌野清志郎が「偽善者」の歌でコテンパンにとっちめたとき、胸のすく思いがした。生ぬるい「反核」の尻軽を、ロックが一撃で仕留めたからだ。

そして89年10月13日、フジテレビの歌謡番組「ヒットスタジオR&N」に清志郎は覆面バンドTimers(タイガースのもじり)のリードボーカルとして出演。この「偽善者」の曲を当て馬にして、生放送の本番で歌を変え「FM東京、腐ったラジオ、最低のラジオ、何でもかんでも放送禁止」と痛罵した。お茶の間にいきなり4レターである。

FM東京には遺恨があった。前夏に「ラブ・ミー・テンダー」の反原発の替え歌が東芝EMIで発売中止となり、FM東京も放送禁止としたうえ、次の年もまた清志郎作詞の提供歌が系列のFM仙台で放送禁止を食った。だから、リハーサルでは番組スタッフに何も告げず、だまし討ち同然に本番で「FM東京」を連呼して度肝を抜いた。

「汚えラジオ、政治家の手先、こそこそするんじゃねえ」とクソミソだが、確かにFM東京は逓信省出身で東海大学を創立した松前重義肝いりのFM放送局だった。松前は原発推進派だから、反原発の歌を許すはずがない。だから清志郎は急所を突いていた。

しかも89年は、FM東京社長に松前の元秘書、後藤亘が就いた年である。あれから33年間、後藤はいまもFM東京に君臨し、系列の東京メトロポリタンテレビ(MX)では代表取締役会長である。すでに89歳と放送業界では最高齢だが、譲る気配はない。

その結果どうなったか。2019年3月決算で、FM東京は連結で83億円の純損失を公表した。後藤が旗を振ったデジタルラジオで失敗、累積赤字を隠して不正な株取引や粉飾を行ったからだが、放送法119条では「不実の公表」は行政処分、悪質なら免許取り消しのはず。内部告発された手口は期ズレ、金銭信託、循環取引と悪質そのものなのに、なぜか処分は軽く済んだ。

デジタルラジオ撤退を決めた会長、社長ら経営陣に詰め腹を切らせ、臭いものに蓋をした後藤自身は名誉相談役として院政を続けている。そして今年4月19日、自分はシロといわんばかりに、旧経営陣4人に4億8230万円の損害賠償請求訴訟を起こした。歪んだ電波行政と政治のなれの果て――NHKから民放まで放送界は「汚れたテレビ」「腐ったラジオ」ばかりになった。清志郎の「宗教ロック」を聴いたら、どこも耳が痛くないか。

グズグズしているうちに本人は喉頭がんで逝った。ストイカは3年前、FM東京に質問状を送ったが、回答は「第三者委員会の調査報告書以上のことは答えられません」と木で鼻をくくったよう。清志郎の仇打ちは未だ成らずである。慙愧に堪えない。=敬称略(A)

 

   

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