


第27回
「残照の光の海を二人行く」都はるみ
どういうわけか女性演歌歌手で歌以外の部分、すなわち結婚や家庭生活といったところで、すごくしあわせそうだなと感じる歌手はきわめて少ないように思う。美空ひばりや島倉千代子といった大物ほどしあわせに縁遠い感じがする。そこでいま考える。都はるみはどうしているのだろう。離婚、引退、復帰、楽曲作りの共同制作者だった愛するパートナーの自死。そしていつのまにか歌わなくなった都はるみ。どこで何をしているのか。そう思いながらはるみの歌を聴く。気がついてみると何曲か決まって同じような歌ばかり聴いている。
草枕詞・吉田旺曲・徳久広司
人の世の
夢にはぐれて行きくれて
孤りつぐ酒ひりひりと
やつれた胸に傷口に
泣けよとばかりにしみわたる
吉田旺の詞にはいつも魂が揺さぶられる。何気ない言葉なのに吉田旺の手にかかると五臓六腑に染み込んでくるのだ。そして寂しいメロディなら徳久広司と私は思っている。都はるみが歌わなくなったのは2015年だからもう7年になるのだ。週刊誌などでは福島県白河市あたりのビジネスホテルで元俳優の矢崎滋と一緒に暮らしているらしいが、この際、そんなことはどうでもいい。都はるみという国民的大歌手が消えて、その人は今、本名の北村春美に戻り、人生で一番幸せな時間を過ごしているのではないかと想像する。それならばそれでいいじゃないか。もう74歳なのだからそっとしておいてあげるべきだ。それでもし愛する人と一緒にいるのならばこんなに結構なことはない。
*
都はるみには何回か会ったことがある。武道館でのコンサートにも行き、終演後、コロムビアレコードの人に誘われて打ち上げにも出たことがある。そのほかに記憶に残っているのは恵比寿だったと思うが路上で音楽プロデューサーの中村一好と一緒にいるところで出会った。それから間もなく都はるみのパートナーだった中村は自死した。都はるみは明るい歌も歌うが、私は暗い、死ぬほど悲しい歌しかはるみの歌は聴かない。はるみの歌でおそらく最もCDが売れたのは「北の宿から」(詞・阿久悠曲・小林亜星「あなた変わりはないですか日ごと寒さがつのります」)だと思うがそれほど好きではない。あまり悲しくないからだ。何度も何度も聴いているのは、こんな歌い方、ほかの歌手には絶対にできないなと思う歌である。
冬の海峡 詞・さいとう大三曲・岡千秋
今日も来ましたあなたに会いたくて
風が冷たく船もない
あなたあなたあなた
どこにいるのどこに
涙ちぎれます
雪が混じります
あぁひとり冬の海峡
圧巻は「あなたあなたあなた」と呼びかけるくだりである。楽譜を見れば、きちんと音符がならんでいるはずだが、はるみは音符通りには歌わない。とくに3つ目の「あなた」は音符とかけ離れた声を出している。素人なら、あっ、音程外した、と言われそうな歌い方だ。それがなのか、だからなのかすごく悲しい。この歌を歌うとき、はるみは全身で泣いている。聴く私も身体の奥深いところで泣いている。この歌でこんな歌い方をする歌手は都はるみ以外にはありえない。流行りの点数が出るカラオケならはるみの歌は相当に低い点数しか出ないだろう。名のある歌手たちが自分の持ち歌をカラオケで歌っても70点台しか出ないなどということはよくある。いい点数を出すことに長けている素人は当たり前のように90点台を出す。100点をたたき出す素人はめずらしくない。はるみはそうした傾向を全否定するかのようにあえて音符を無視して歌うのである。
*
若い頃から歌謡曲をたくさん聴いてきた。その中でも都はるみはそれほど好きではなかった。うなるあの歌い方が好きになれなかった。ちょうど40歳のときに新聞社の異動で米国ワシントン駐在の特派員になった。そのとき、日本が恋しくなるだろうと思って、歌のカセットテープを大量に荷物に詰めた。車の中ではいつも日本の演歌を聴いていた。そこで妙に気になる曲があった。都はるみが歌っているのは声でわかるが、歌い方が少し違うように聞こえた。歌は
千年の古都詞・吉岡治曲・弦哲也
約束もなく日が暮れて
衣笠山に一番星です
蚊柱を追うこうもりも
機織る音も変わらないですね
夏は火の車抱いたまま
冬は心に闇を凍らせて
母が唄った星の歌
あの星はあの星は
あなたにとって何ですか
あぁ時は身じろぎもせず
悠久のまま
千年の古都
この歌をアメリカで初めて聴いたときの驚きはいまも忘れられない。都はるみの歌い方が変わっている。どこにもうなりが入っていない。ときにささやくように歌う。それが千年の都、そしてはるみのふるさと京都のイメージとぴったりはまる。異国で聴く日本の歌はなぜか日本国内で聴いたときとまったく違って聴こえて来るのだ。千年の古都もなぜか涙が出て来る。この曲の歌詞は手だれの作詞家、「天城越え」の吉岡治である。吉岡はまた弦哲也とのコンビで都はるみのために小じゃれた詞の曲を書いている。
小樽運河詞・吉岡治曲・弦哲也
精進おとしの酒を飲み
別の生き方あったねと
四十路半ばの秋が逝き
セピア色した雨が降る
Yesterday を聴きながら
二人歩いた
あぁ小樽運河
この頃、都はるみは文学的な歌に傾斜を強めて行ったように思う。そこに歌人道浦母都子が登場する。
邪宗門詞・道浦母都子曲・弦哲也
残照の光の海を
二人行くふたりゆく
花のごとかる罪を抱きて
ただ一本買いしコスモス冷たくて
素直なるかな花の透明
昼深く夢に見ているしろじろと
煙れるまでに熱持つ乳房
物語りをつくるのはわたし
世界を生むのはわたし
あゝあなたを
あなたを愛して
あかねさすわたし
都はるみのデビュー当時の衝撃的なうなり節は娘を歌手にしようと懸命だった母親の特訓によるものだ。母親は浪曲漫才のタイヘイトリオのファンで、その中のリーダー格のタイヘイ夢路という女性浪曲師の歌い方をはるみに教え込んでいた。たしかにタイヘイ夢路の「浪花春秋」などを聴くとはるみ節と共通したところがある。この歌い方に強い疑問を投げかけ、もっと普通に歌ったらどうかと言った人物がいる。のちに歌手都はるみと公私両面でパートナーとなるコロムビアの若手ディレクター中村一好である。中村がはるみの担当になって最初に取り組んだのが「大阪しぐれ」であった。
大阪しぐれ詞・吉岡治曲・市川昭介
ひとりで生きてくなんて
できないと
泣いてすがればネオンがネオンがしみる
北の新地はおもいでばかり
雨もよう
夢もぬれますあゝ大阪しぐれ
この歌あたりから、いやその前の「北の宿から」あたりからはるみの歌い方がはっきりと変わった。あきらかに中村が担当になって起こった変化である。中村は東大文学部を出て、都はるみのレコード会社だからというので日本コロムビアに入社したという人物。学生運動華やかなりし頃で中村も東大安田講堂に立て籠っていたらしい。のちにはるみが千葉県成田の空港建設反対派の拠点でライブコンサートを開き20曲ほど歌ったことがあるが、おそらく中村の企画だろう。
大阪しぐれは当たった。コロムビアでは“天才肌の一好”と呼ばれていたが、いきなりこの曲でレコード大賞最優秀歌唱賞を獲った。新人賞(アンコ椿は恋の花)大賞(北の宿から)に続きレコード大賞3賞獲得したのははるみが初めてである。
*
1984年、36歳のはるみは「普通のおばさんになりたい」という名文句を残して歌手を引退した。5年後、美空ひばりが亡くなる。そこではるみはもう一度歌おうと決意し、復帰する。中村はコロムビアを辞めてはるみのための事務所の社長になる。生活もともにする「同志」だったが、突然、中村は2008年、首を吊る。なぜなのか、遺書もなくだれも分からない。郷里山口県で営まれた「家族葬」にはもちろんはるみは出られない。
それからのち都はるみは哀しみをこらえながらがんばっているな、と見ていたが、2015年11月、翌年1年間の単独コンサート中止を発表する。そしてBS朝日の五木ひろし司会のテレビ番組「人生歌がある」の都はるみ特集に出たのが最後となった。「アンコ椿は恋の花」(千昌夫)、「千年の古都」(キム・ヨンジャ)、「夫婦坂」(大月みやこ)、「涙の連絡船」(五木ひろし)、「浪花恋しぐれ」(岡千秋と都はるみ)、「大阪しぐれ」(中村美津子)とたくさんの歌手がはるみの歌を歌った。はるみが歌ったのは「邪宗門」。最後に全員で「好きになった人」を歌った。
都はるみはきっといまが一番しあわせなのではないか。普通のおばさんから38年経ったいま、74歳の「普通のおばあさん」になって道端の名も無い花を摘んだりしてしあわせをかみしめている、そう信じたい。■
Editor at largeのひとこと
小説も詩も短歌も俳句も自作しない。才能がないと思うだけでなく、たまらなく辛い。
道浦母都子の名を聞くたび、歌集『無援の抒情』の短歌よりも、「ああ、中核派の……」と形容詞がついた当時の会話を思いだす。だから、彼女が作詞した「邪宗門」を都はるみが歌ったときは、二重の意味で愕然とした。
一つはタイトルが、戦前の大本教弾圧を描いた高橋和巳の長編『邪宗門』の引用であり、歌詞も「残照の光の海」など彼女の短歌の切り張りだったことだ。同じく道浦作詞の「枯木灘 残照」も、「両手にて君が冷えたる頤を」「取り落とし床に割れたる鶏卵を」の自作歌を中上健次にはめこんだ、と聞こえる。いくら彼女が和歌山出身でも、これでいいのだろうかと思った。
そしてもう一つは、竹下登の盟友だったフィクサー、福本邦雄の歌人論「むかし女ありけり」の連載を始めるにあたって、誰を選ぶかを質すと、意外や道浦を挙げたことだった。ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いにゆく。「え?あの催涙弾」と拍子抜けして「日常の断片だけで奥行きがない」と思わず口走ってしまった。
はるみに提供した道浦の歌詞が、自作の本歌取りなのは、もともと短歌は断片だからだ。切り紙細工しやすいようにできている。それが中村一好の企画と知ったとき、ああ、ノスタルジーを散乱させている、と思った。オリジナルなど彼は求めていない。あの時代の光芒を、同世代のはるみの声に乗せたかったのだろう。
彼とは大学も学部も学年もたぶん一緒で、どこかですれ違ったかもしれない。お互いキャンパスにはろくに行かず、面識もないが、あの空気というか、文脈はわかる。何だよ、素潜りの息が苦しくなって、もう感傷の水面に浮かぶのか、そう呟いた。
それでも、都はるみの最後の歌唱は文句なく絶唱だった。「残照」の語があるのは偶然ではない。あれは時代の挽歌だった。しかし砕け散ったらそれきりでいい。もう物語をつくらずとも、世界を生まなくてもいいから。
都はるみは今、俳優の矢崎滋と東北で二人暮らしだという。彼も中村と同じ学部、学年で中退している。そこで彼女は安らぎを得たと信じよう。(A)
JASRAC許諾番号9027371001Y38029