


第26回
嘘のなさが泣ける「78歳歌手」に会えた
前にも少しだけ書いたが、78歳の演歌のシンガー・ソングライターの新田晃也に会って来た。半世紀も新聞記者をしているので、会おうと思えば大体の人には会える。この人に会おうとしてさまざまなルートで本人と連絡を取ろうとした。カラオケ大会で「どなたか新田晃也という歌手と連絡を取れる方いませんか」と聞いてみたりした。レコード会社やテレビ局の演歌担当者らにもあたってみた。名前は知っていても連絡が取れるほどの人には出会わない。
事情通の知人が「埼玉県の歌手だから川口市に住む西山ひとみという歌手なら付き合いがあるかもしれないよ」とアドバイスをくれた。偶然だが西山ひとみが歌っている「エスペーリョ鏡」という日本版ファドのような歌は私が作詞している。このルートですぐに連絡がつき、1週間のうちに2回、それもそれぞれ4、5時間も話し込むことになった。2回目は入間市の彼が懇意にしているカラオケスナックで聴衆ごく少人数の新田晃也ワンマンショーとなった。
この歌手の存在を知ったのは昨年の12月のことである。彼の歌を歌った人がいた。それで調べて歌を聴きまくった。いまはこういう歌い方をする歌手はあまりいない。張り上げない、小節をあまり入れない、どうだうまいだろう、という雰囲気がまったくない。それでいて、なのか、それだから、なのかどの歌も涙が出て来る。
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新田晃也に会うまでに彼の歌を40曲ほど何度も聴いた。まず驚いたのは「友情」という平凡な題名のついた曲である。
友情詞・曲新田晃也編曲・斉藤功
こんな名も無い三流歌手の
何がおまえを熱くする
わずか十五で故郷を離れ
唄を土産の里帰り
久し振りだと目と目で交わす
昔と変わらぬ握るその手の温かさ
何に驚いたか。冒頭の「名も無い三流歌手」である。自分でここまで言い切る。それもぼそっとした歌い方で「こんな名も無い…」と歌っている。自分で言うのもおこがましいが、私ほどたくさんの歌謡曲を聴いている人間は音楽の世界も含めてそうはいないと思う。その私が、どんなことをしても会わなくちゃ、と思うほどすばらしい歌手なのに、この人物は「自分を歌がうまいと思ったことは一度もない」とさらりと言うのである。そうなのだ。私が引き込まれたのは「裏通りが自分に似合う」と平然と言う新田晃也なのである。
新田作品で私がナンバーワンにあげるのは次の曲である。
はぐれ花詞・曲新田晃也編曲・斉藤功
風に吹かれて名も無い花が
咲いて一輪儚く揺れる
表通りに背を向けて
何を好んで裏通り
俺と似たよなはぐれ花
驚いたことがもう一つある。歌謡界では「トウリョウ」と呼ばれて知らない人はいないどころか、人望の厚い人物に小西良太郎さん(85)という音楽プロデューサーがいる。トウリョウが「頭領」なのか「棟梁」なのか分からぬが、いずれ大事な親分的存在という意味であろう。この人が自分のコラム「新歩道橋」で新田晃也の「三流歌手」をほめちぎっているのだ。「三流」に胸を張る歌手は新田だけである、と書いている。そして新田は「三流のてっぺん」に到達してなお、まだ前を向いていると書いている。まったく同じことを感じている人がいて嬉しい。
新田は私にこう言った。「自分はあまりモノも知らないし、学もないから知っていることを書こうとすると、どうしてもおふくろや故郷になってしまうんですよ」。そこなんだよ新田さん。だからあなたが書く歌にも歌い方にも嘘がまったくないんだ。その嘘のなさが聴いている人の涙を絞る。あなたの好きな「裏通り」はあなたが書いてあなたが歌うから、裏通りの悲哀を感じている人々は泣くんだ。紅白歌合戦の常連のような表通りしか知らない歌手が「裏通り」なんて歌ったって胸には少しも響かない。
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新田晃也は兄弟姉妹が13人いるという。再婚同士の父と母がそれぞれ3人ずつの連れ子でその後7人が生まれ、新田は10番目。敗戦をはさんだあの時期に東北福島の在の農家では聞かずとも生活の厳しさがわかる。「母上は相当苦労されたでしょうが、新田さんにこれほどの思いを歌に書かせるぐらいだから、立派な人だったんですね」「違います。そういう理想的な母親ではありませんでした。酒も飲めずに四六時中怒っている父親が子供を叱ってもかばったりしない母でした」という。やさしい母親像に憧れていたのかなぁ、と視線を上に向けた。
15歳で集団就職で上京。パン屋で働いたあとジャズ喫茶のボーイなどを経て歌手バーブ佐竹の付き人のような運転手のような仕事につく。「それで歌い方が似ているんだ」「似てませんよッ」。語るように低い声で歌う、たしかにバーブ佐竹に似ている。バーブ佐竹が歌った「昨日・今日・明日」(詞・もず唱平曲・沖田宗丸)を歌ってもらったが、実に胸に響く歌だった。その後、作詞家阿久悠と一緒になって、阿久が作詞した全国の港の歌を新田が「上村次郎」の名で歌ったりしている。その後はシンガー・ソングライターで、熱心なファンに支えられながらいまも現役で新曲を出し続けている。79歳になる来年のことも考えているようだ。
新田の歌について私の印象を言ってみた。「どこにも力が入っていなくて、ちょっと聴いただけではあまりうまいと感じられない。でもなんか気持ちが伝わって来て、涙でぐしゃぐしゃになる。この歌い方、だれかに似ているよな、と考えてみたんだけど、石原裕次郎だと思った。裕次郎がうまいという人はあまりいないけど、ほんとはすごく歌がうまいんだって裕次郎のいたテイチクの人が言ってた」。すると彼は「俺はね、裕次郎が大好きなんだ。そう言ってもらえて嬉しいな」。好きな歌手に似てくるのは素人もプロも同じなんだと思う。
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新田にとって歌手生活をさらに充実させたのは作詞家石原信一(現日本作詩家協会会長)との出会いだろう。前述の小西さんが引き合わせたという。福島県会津若松市出身の石原と梁川町(現伊達市)出身の新田。森昌子の「越冬つばめ」などで有名な石原だが、新田との出会いで石原の作風が変化したのではないかと見ている。職業作詞家は注文があればどんな詞でも書く。「みだれ髪」の星野哲郎が「黄色いさくらんぼ」を書いているように。
振り向けばおまえ詞・石原信一曲・新田晃也編曲・川村栄二
恋というほど洒落てなく
愛というにはてれくさく
窓の西日に振り向けば
振り向けば振り向けばおまえ…
ふるさと見せてやりたいと
約束いまも果たさずに
胸でつぶやくラブレター
石原、新田のコンビで次々と名曲が生まれた。「こころの夜汽車」「恋遥か」「寒がり」「もの忘れ」。石原との出会いで新田が変わった以上に、私は作詞家石原信一が変化したように思う。生意気なことを申し上げれば、石原の詞に嘘がなく、これまでの作品の何倍も涙をちぎって行くのだ。
秀逸なのはこの曲である。
母のサクラ詞・石原信一曲・新田晃也編曲・川村栄二
何度サクラを見られるだろう
想い浮かべる遠い春
母とふたりの静かな花見
ぽつんと咲いた名もないサクラ
人でにぎわう場所よりも
ここがいいのと微笑ってた
ひとひら咲いては気づかれもせず
ひとひら散っては振り向かれもせず
きれいだよきれいです
母の母の…サクラ
望郷、おふくろ、裏通り、新田晃也78歳である。■
Editor at largeのひとこと
老いて歌える歌がある。倍賞千恵子は81歳になった。昭和16年(1941年)6月29日生まれで、『寅さん』シリーズのはまり役、サクラの顔もさすがにチリメン皺に覆われた。その彼女が最近の映画で「林檎の木の下で」を二度歌っている。最初はカラオケでわざと下手に、二度目は切れ切れのかすれ声で。
75歳以上の老人が生死を選択するという暗い近未来の映画『PLAN 75』(早川千絵監督)を観てみた。倍賞の演じる78歳で一人暮らしの老女が職を失い、死を選ぶまでを、世話をする若者たちの葛藤とともに撮った息詰まるような作品である。監督はカンヌ映画祭で新人監督賞にあたるカメラドール特別表彰を受けた。が、救いのなさにいたたまれず、席を立つ高齢の観客もいたらしい。
「林檎の木の下で」は1905年にアメリカで生まれた歌で、作曲はE・V・オースティン、英語の原詞はこうだった。
In the shade of the old apple tree
Where the love in your eyes I could see
それを1937年に柏木みのるが訳した日本語詞は、旋律が明るい割に、意外と物悲しい。今も耳に残っているのはディック・ミネらが歌い、1970年代の音楽劇『上海バンスキング』で吉田日出子が歌っていたからだろう。
林檎の木の下で
明日また逢いましょう
黄昏赤い夕陽
西に沈む頃に
おう、サクラ、それを言っちゃあ、おしめえよ、と亡き寅さんの声が聞こえそうだ。わざと音程を外しても、倍賞の声は凛としていた。声がいい。SKD出身、夫も作曲家だから、たぶん朗々と歌えるに違いない。あれはきっと演技なのだ。
そう思うと、耳に「下町の太陽」が流れだす。わが亡母も台所で「ローレライ」を口ずさんでいた。新田晃也のように、人は老いても、歌は老いない。(阿部重夫)
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