


第25回
残像から「ちあき」が見えますか
2年前にも書いたがもう一度ちあきなおみを書く。ちあきなおみが人前で歌わなくなってから30年が過ぎた。1992年9月11日、夫の郷鍈治が亡くなった日から、「歌手ちあきなおみ」は姿を消し、この世のどこかで瀬川三恵子として静かに暮らしているはずである。今年(2022年)9月17日には満75歳になる。
この30年間に起こったことはほとんど信じられないレベルの話である。名曲「喝采」を歌ってレコード大賞に輝いた歌手ちあきなおみが、戦後日本の生んだ大歌手美空ひばりと肩を並べる伝説の歌手にまで格上げされたのである。今回、これを執筆するにあたりちあきなおみの楽曲を30曲ほど聴き直してみた。そして思った。もしかしたら美空ひばりを超えたかもしれない、と。テレビがちあき特集の番組を放映すれば再放送でも視聴率が伸びる。CDは歌わなくなってからの方が売れる。どこでどうしているのか、という週刊誌やスポーツ紙の記事が氾濫する。現役で歌っている頃にはさほど評価されなかった曲、例えば「冬隣」や「かもめの街」などが人気を博している。
とりわけ「冬隣」は、亡くなった郷鍈治のこと歌ったのではないかと錯覚させるような歌詞だが、亡くなるずっと前の歌だ。
冬隣(詞・吉田旺曲・杉本眞人)
あなたの真似してお湯割りの
焼酎のんではむせてます
つよくもないのにやめろよと
叱りにおいでよ来れるなら
地球の夜更けは淋しいよ…
そこからわたしが見えますか
この世にわたしを置いてった
あなたを怨んで呑んでます
ちあきなおみの歌と出あい、この出あいがなければ「本物の歌を知らないまま死ぬことになっていたのでは」というほどの衝撃を受けた京都の女性H.Fさんから手紙をもらった。20代半ばというから、ちあきなおみが歌わなくなってからこの世に生を受けた人である。ちあきなおみのどこがいいのか分からない、という人ももちろんかなりいるだろう。そういう人にはお願いだから、この1曲をYouTubeで聴いてみてほしい。できれば1974年10月22日中野サンプラザのリサイタルで舞台にべったりと座り込んで歌った「ねえあんた」という曲を聴いてもらいたい。
ねえあんた(詞・松原史明曲・森田公一)
ねえあんた
なんかとってあげようか
おなかすいてるんじゃないの
飲みはじめたらいつだって
全然ものを食べないんだから
胃腸が弱い男はさ
長生きしないってそう言うよ
ねえあんた
ボタンが一つとれてるよ
外を歩いておかしいじゃない
私針も持てるんだ
こっちへおかしつけてあげるよ
ダラシが無い男はさ
出世をしないってそう言うよ
(略)
ねえあんた
今言ったことウソだろう
ゴメンてひとこと言っておくれよ
こんな処の女にも
言っちゃいけない言葉があるんだ
そんなこと言う男はさ
ここじゃ帰れって言われるよ
やっぱりあたしはドブ川暮らし
あんたを待ってちゃいけない女さ
そうなんだろう
ねえあんた…
客に惚れてしまった娼婦の歌である。米国でアニマルズ、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズらが歌った有名な「朝日のあたる家」をちあきも歌っている。ニューオーリンズの「朝日楼」と呼ばれる家で客をとる娼婦の歌だ。英語と日本語の違いはあるが、ちあきが一番、主人公の娼婦になりきっている。「ねえあんた」もそうだ。映像を見るとよくわかる。これはもう、歌謡曲とか演歌とかポップスとかのジャンル分けとは無縁の一人舞台の劇である。「私はいったい何の歌手なんだろう」とちあきなおみはつぶやいたことがあるらしい。ジャンルなど飛び越えた歌を用いて魂を揺さぶる漂泊の語り部、それがちあきなおみなのである。だから、どんなジャンルの歌も歌える。それも誰とも違う歌い方で。同じ歌でも全く違う歌に聞こえる。例えば「矢切の渡し」(詞・石本美由起曲・船村徹)。初めはちあきなおみの歌だった。見事な歌いっぷりだったが、大ヒットとまではいかなかった。その後、細川たかしが歌い、百万枚を超すヒットとなった。同じ歌でなぜこれほど差が出たか。ちょうどカラオケがブームになりかけた頃で、ちあきの歌唱に比べれば単純な歌い方の細川の方に皆飛びついたのである。
ちあきなおみは一貫して人生の哀しみを歌ってきた。その表現力は群を抜いていた。4歳から米軍キャンプなどで歌い始めた。橋幸夫、こまどり姉妹らの前座をつとめた。「劇場」(詞・吉田旺曲・中村泰士)という歌の中に「サインを求める声は私をよけてスターのもとへ走っていくどさ回りと人に呼ばれる旅は続くの」というくだりがある。4歳の時の芸名は「白鳩みえ」、その後「メリー児玉」「五城ミエ」「南条美恵子」と変わって、フジテレビのプロデューサー千秋与四夫の苗字をもらって「ちあきなおみ」になった。当初は「名前が二つある歌手」と言うのが宣伝文句だったという。
ちあきなおみの歌づくりに関わったことのあるレコード会社の幹部は言う。リハーサルのとき、あまり気分がのっていないような歌い方をする。しかし本番の舞台、レコーディングになると全く違う歌い方、完全に主人公になりきって、聴いていても涙を堪えられなくなるのだという。ちあきなおみと映画や舞台で共演したことのある大スターたち、美空ひばり、石原裕次郎、高倉健らも、ちあきの歌をよく聴いていたという。
多くの音楽家がちあきの歌を書きたいと思い続けてきた。作曲家では中村八大、鈴木淳、中村泰士、宮川泰、船村徹、森田公一、都倉俊一、浜圭介、作詞家では永六輔、石本美由起、吉岡治、なかにし礼、吉田旺、阿久悠、荒木とよひさ、伊集院静、シンガー・ソングライターでは中島みゆき、友川かずき、河島英五ら。歌わなくなってからどんどんファンが増える歌手はちあきなおみ以外にはいない。
「歌こそ我が命」とか「歌が我が人生」と多くの歌い手は言う。しかしちあきなおみは違っていた。いつも「私の歌なんか誰も聴いていない」と言いながら歌ってきた。それが彼女の歌の深さとなり魅力にもなっていた。ちあきはどこでどうしているのだろう。もう一度、とは思うが彼女が再び人前で歌うことはもうないだろう。■
Editor at largeのひとこと
最高の「娼婦」像とは誰だろう。マグダラのマリア、『罪と罰』のソーニャ、『濹東綺譚』のお雪、落語の雪の瀬川、『飢餓海峡』の八重……ときりがない。ちあきなおみが歌う「ねえあんた」の無名の娼婦も、その長い列に連なる。
だが、ポルノのヒロインと同じく、どこまでもけなげで、無邪気で、寂しそうに男に身を投げだすなんて、そんな女がいるわけもない。ジェンダー論に与するわけではないが、すべて男の身勝手な夢想、幻である。
彼女たちの哀しさは、喪失した母性へのノスタルジアに浸って、眼前の女が見えなくなった男の投影にすぎない。いい例が永井荷風である。断腸亭日乗の昭和3年2月5日付で「生来気心弱く意地張り少く人中に出でてさまざまなる辛き目を見むよりは生涯日かげの身にてよければ情深き人をたよりて唯安らかに穏かなる日を送らむことを望む」と讃えた理想の妾、お歌は、荷風の嗜好に合わせて歯を全部抜かれた挙げ句、「早打肩」の発作を起こし、発狂寸前と診断されてしまう。
仰天した荷風は「容姿は繊細にして挙動婉順に見ゆれど内心強膽にして物に驚かず、天性穎悟敏捷にして頗権謀に富む」(昭和5年1月9日付)と恐怖を覚えて手切れ金を渡したが、内心如夜叉を恨むばかりで、女を道具か人形としか見ていなかった自分には気づかない。娼婦像は切なければ切ないほど、その断層の闇が大きくなる。
見えざる男に語りかけるちあきの一人舞台は、その救いがたい男の空洞をまざまざと浮かびあがらせる。あのちょっと目鼻立ちの派手な顔を、微かによぎる怯えと愛嬌は、この世ならざるもの、けっして手の届かぬ神々しさなのだ。
30年前に彼女は消えた。もうその残像しか見ることができない。誰しも呟きたくなる。ああ、地球の夜更けは淋しいよ、と。(A)
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