


第23回
宿、湯、雨が王道の“不倫”演歌
歌謡曲には「さざんかの宿」「北の宿から」「かくれ宿」など宿を舞台にしたものが少なくない。調べてみると高峰三枝子が歌った「湖畔の宿」(詞・佐藤惣之助、曲・服部良一「山の淋しい湖にひとり来たのも悲しい心…」)あたりが歴史的にもっとも古いようだ。
太平洋戦争が始まる1年前の昭和15年(1940年)である。戦意喪失につながりかねないと発売禁止になったが、特攻隊の兵士が飛び立つ前に歌ったといわれるほど人気の曲となり、いまでも歌われている名曲だ。ただ、この歌がいまの「宿」の歌と趣が違うのは、淋しい恋の歌ではあるが必ずしも不倫の歌と断定できるようなものではないということだ。当時はまだ姦通罪があった時代で、犯罪につながりかねないような恋を歌に書き込むことはできなかったのだろう。
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昭和31年、春日八郎が歌った「浮草の宿」(詞・服部鋭夫、曲・江口夜詩「汽笛が聞こえる港の酒場は流れ流れる浮草の宿…」)も必ずしも恋の歌ではない。ところが昭和39年、大下八郎が歌った「おんなの宿」(詞・星野哲郎、曲・船村徹「想い出に降る雨もある恋にぬれゆく傘もあろ…」)の大ヒットで「宿」は俄然、存在感を増していく。「たとえひと汽車おくれてもすぐに別れはくるものを」という歌詞が示すように、その後の宿の歌の軸となる「不倫」の歌なのである。
その後に吉田拓郎の「旅の宿」(詞・岡本おさみ、曲・吉田拓郎「浴衣のきみはすすきの…」)や都はるみの「北の宿から」(詞・阿久悠、曲・小林亜星「あなた変わりはないですか日ごと寒さがつのります…」)と続く。3番で「あなた死んでもいいですか」と語りかける阿久悠の詞は新しいタイプの歌謡曲として評判となった。
「宿」が不倫とがっちりと結びつくのは大川栄策の「さざんかの宿」(詞・吉岡治、曲・市川昭介「くもりガラスを手で拭いてあなた明日が見えますか…」)からである。女心を書かせたら当代一の吉岡は「愛しても愛してもあゝ他人の妻」と堂々と不倫の歌であることを宣言した。さざんかの宿は180万枚売れ、発売から40年となったいまでもたくさん歌われている。
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カラオケの楽しみは、歌うことで非日常を体験することである。男なら湯の宿、雨、着物、寄り添う女性、そういう光景に憧れても不思議ではない。さざんかの宿はそういう気持ちにさせてくれる歌で、なおかつ張り上げて気持ちよく歌える歌なのである。冬の花さざんかは、耐え忍ぶ恋に似合う花。歌詞にあるように「ふたり咲いても冬の花」なのである。
日本の歌謡曲はカラオケの隆盛によって大きく変化してきた。戦後から昭和30年代ごろまでは歌謡曲は「聴く」ものであってまだ「歌う」ものではなかった。レコード会社が強大な権力を持っていた時代で、専属の作詞家、作曲家が歌を作り、専属の歌手が歌う。このころの歌はラジオで、それからテレビで、そしてレコードで家族みんなで聴いて楽しむものだった。
それがカラオケの普及とともに変化し、歌は「歌う」ものとなっていった。家族団欒で楽しんでいた歌が、スナックやカラオケ喫茶に行ってカラオケでマイクを握るものとなった。「聴く」から「歌う」への変化は歌の内容を変えていった。非日常を楽しみ、そして歌って気持ちのいい歌を求める。レコード会社もカラオケで歌ってもらえるような歌の制作に力を入れるようになった。
カラオケ教室が繁盛し、自分の吹き込んだプロ並みのCDを持つ歌好きが全国に何万人といる。売れっ子の作詞家、作曲家はたくさんの弟子を抱え、それが貴重な収入源となる。この手のCDの楽曲はほとんどが男と女の恋の歌、もっと言えば不倫の歌が大半である。そこで不倫の舞台となる「宿」が登場するのである。
五木ひろしの「わすれ宿」(詞・中山大三郎、曲・船村徹)は43年前にアルバムに収録されていた歌だが、五木のほか瀬川瑛子、鳥羽一郎も歌っている。この歌の冒頭は象徴的である。「これでいいねと宿帳に妻とあなたは書き入れる」。さざんかの宿に次ぐ不倫の歌として、いまかなり歌われている。
歌謡曲で出てくる宿に泊まる二人組は決して若くはない。そしてほとんどが温泉宿で、湯の香が漂う。どういう理由か雨が降っている。雪のこともある。いずれ抜けるような青空の宿の歌はない。もしくは虫の鳴く音がする。そして「宿」という文字は曲名にはなくても、明らかに宿を舞台にした歌はもう数え切れないほどある。
たとえば、これも大川栄策が歌っている元は韓国の歌だが、「夢もどき」(詞・志条院公義/初信之介曲・張旭朝「愛してないのに優しさだけで抱いたのでしょうとうつむくお前…」)は「湯の香に咲いた紅い実ひとつ」とさざんかの宿の続編のようだ。
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「宿」の歌を探し聴きまくっていたら、78歳の現役歌手が歌う味わい深い歌に出合った。演歌のシンガー・ソングライター新田晃也が歌う「雨の宿」である。
雨の宿(詞・曲新田晃也)
ひと夜限りのいで湯の恋は
咲いて儚い一夜花
つぎの逢瀬を交わせぬままに
すがる背中が愛おしい
おんな心に降り注ぐ
むせび泣くよなア〜雨の宿
村夫子然とした顔つきでギターの弾き語り。若い歌手では絶対に出せない渋い演歌である。ぜひYouTubeで聴いてみてほしい。そして、数えきれないほどたくさんある「宿」の歌で私が1曲あげるとしたらこの曲である。
舟宿にて(詞・山田孝雄、曲・三島大輔)
かもめになれたらいいだろな
飛んでいけるわあの海へ
ねずみ色した晩秋の
旅路の街に雪が舞う
舟宿のストーブに張りついて
のんだにごり酒
酔うほど恋しくて廻す電話に
やさしく絡む海鳴りが
女の口から言えないわ
抱いていいわと言えないわ
恋は傷跡残しても
涙がそっと消えてゆく
舟宿の番傘をかたむける港船が着く
あなたを探したら雪のすだれに
あの日の顔が見えますか
舟宿に逢いに来るかもめには
後で伝えてね
かもめになれなくて帰りましたと
お目目の赤いすずめより
この歌はもともと奈月昇子という歌手が歌う予定だったが、歌手をやめてしまったため、TBSの「演歌・唱太郎の人情事件日誌」というドラマで、浅田美代子扮する売れない演歌歌手の持ち歌ということで劇中歌となった。その後、青木美保が歌い人気を博した。喜寿をすぎると艶っぽい話などまったく無縁となるが、しっぽりと一人でもいいから温泉宿で命の洗濯ぐらいはしてみたいものだと思う。■
Editor at largeのひとこと
喜寿を超えて78歳のシンガー・ソングライターにはちょっと驚いた。懐メロの大御所がまだご壮健というならいざしらず、歌謡「御三家」の橋幸夫(78)は80歳で引退すると表明したし、舟木一夫(77)よりも若い西郷輝彦(75)にいたっては2月に物故した。なのに、新田晃也は詞も曲も書き、YouTubeを見ると、自らギターを弾いて歌っている。一人4役、しかも新曲でチャレンジしているのだ。
それが証拠に、彼が作曲して歌った「もの忘れ」は、なんと認知症の演歌である。詞は石原信一とあるから人に任せたようだが、「近ごろめっきりもの忘れどうしてこの場所俺はいる」と一見トボけた出だしが、いつしか背筋が寒くなる。失われていく自己を、かろうじて昔の記憶がつなぎとめている。ぼんやりと霞んでいく人影は生死も定かでない。「元気でいるか変わりはないか」。その呼びかけも虚空に消えていく。
他人事ではない。自分を振り返ると、そこまで生きられるか、いや、ボケずにいられるか、と自問せざるをえない。老優アンソニー・ホプキンスが昨年、アカデミー主演男優賞を取った映画『ファーザー』のように、記憶喪失とともに自己が失われていくホラーが身につまされる。脚本を書き、監督した劇作家フローリアン・ゼレールの着眼にはほとほと感心したが、今度はその演歌版が出てくる時代になった。
これが高齢化社会の行きつく先か。職場の軋轢も、たまゆらの恋も、家族の世代交代も、すべてが遠く「あかねの空」に消えていく。つまりはそれが末期の風景なのだ。時間逆行の難解な映画『TENET』や『メメント』を撮ったクリストファー・ノーラン監督の才気も、ここでは当たり前の日常になってしまう。記憶はぶつ切れ、自分が誰か、ここはどこか、と絶えず問わなければならない最先端の地獄が待っている。
Memento Mori(死を忘れるな)。(阿部重夫)