世は歌につれ
「神田川」のやさしさが怖かった 世は歌につれ
        「神田川」を歌う南こうせつとかぐや姫(1973年、YouTubeより)

第22回

「神田川」のやさしさが怖かった

作詞家の喜多條忠が2021年11月亡くなった。74歳だった。作詞家として認められたのも、そして最期まで作詞家として生きながらえたのも「神田川」という名曲の存在ゆえであった。3歳私より若かったが、ほぼ同じころに早稲田界隈をうろついていたせいか、初対面のとき、その匂いを感じたのを記憶している。喜多條は早稲田界隈で三畳一間で同棲していた頃を思い出し、南こうせつに電話で詞を伝えた。こうせつはメモを取りながら即興でメロディをつけて歌い、電話のあと30分ほどで曲は完成したという。当時喜多條は早稲田を中退し、文化放送で放送作家をしていた。

神田川(詞・喜多條忠曲・南こうせつ)

 

貴方はもう忘れたかしら

赤い手拭マフラーにして

二人で行った横丁の風呂屋

一緒に出ようねって言ったのに

いつも私がまたされた

洗い髪が芯まで冷えて

小さな石鹸カタカタ鳴った

貴方は私の身体を抱いて

冷たいねって言ったのよ

若かったあの頃何も怖くなかった

ただ貴方のやさしさが怖かった

この歌の銭湯は西早稲田にあった安兵衛湯でその前を学生の頃何度か通ったことがある。「何も怖くなかったただ貴方のやさしさが怖かった」。愛されている女の子の心情を歌ったものとだれしもが思う。喜多條はこう語る。「デモに参加したあとへとへとになって家へ帰ると、同棲相手の女性がそんなことに関係なく料理をしている。そんな彼女の後姿を見ていると、デモに参加するより毎日手料理を作ってもらい教員免許でも取って平凡な生活を送るほうが向いているような気がした。その気持ちが自分の中で怖くなった。その彼女の“優しさ”が怖かった」。

川や河を歌った歌謡曲は数え切れないほどある。一滴の水がやがて大河となり海へとつながる。そこに人は人生を重ねるのだろう。歌謡史の中で「川」の代表曲としてあげるべき曲のひとつは五木ひろしが歌った「千曲川」(詞・山口洋子、曲・猪俣公章「水の流れに花びらをそっと浮かべて泣いたひと…」)であろう。作詞家猪俣公章が大事に抱えていた曲で、初めは「笛吹川夜曲」という題で、作詞は巨匠星野哲郎、歌うのは新人歌手の春日はるみ(現在の川中美幸)の歌唱でLPに入っていた。

テレビの勝ち抜き歌合戦で三谷謙という歌手に惚れ込んだ山口洋子はこの売れない歌手に「五木ひろし」という芸名をつけた。売れっ子の作家五木寛之のパクリの芸名である。「横浜たそがれ」で売れ始めた五木にレコード大賞をと奔走していた山口は「笛吹川夜曲」の3拍子のメロディに惚れこみ、猪俣を説得しまくり譲り受けた。そして島崎藤村「千曲川旅情の歌」を思い浮かべながら新しく詞を書いた。

いまでは長野県のもっとも有名な曲になっているが、もともとは山梨県の笛吹川の歌だったのだ。ちなみに千曲川は長野県下水内郡栄村で名前を変え、隣接する新潟県中魚沼郡津南町で「信濃川」になる。信濃川が日本一長い川なのは上流部分の千曲川のおかげなのである。五木の歌った千曲川はレコード大賞最優秀歌唱賞に輝き、1997年大晦日のNHK紅白歌合戦では翌年が長野冬季五輪ということでこの歌が大トリとなった。春日はるみの歌った「笛吹川夜曲」はいまでは聴くことができない。

川の歌となればNHKが実施した「20世紀の日本人を感動させた歌」の人気投票で1位になった美空ひばりの「川の流れのように」(詞・秋元康、曲・見岳章「知らず知らず歩いて来た細く長いこの道…」)を挙げなければならない。1989年1月発売、ひばりの生前最後に発表されたシングル作品。その年の6月、ひばりはこの世を去り、青山葬儀所で行われた葬儀で北島三郎、都はるみら歌手仲間がこの歌を歌ったことから有名になった。

結局、200万枚を超える大ヒット曲になったが、ひばり本人は大ヒットしたことを知らない。またひばり自身も病床にいたため、ほとんどこの歌を歌っていない。ひばりが歌う「川の流れのように」の映像を所有しているのはTBS、テレビ東京、フジテレビの3局だけである。ちなみに作詞の秋元康が書いたこの川は米国ニューヨークのイースト・リバーである。当時、秋元はニューヨークに住んでいた。ひばりが歌った歌の中で最も売れた歌になった。ひばりと同じ52歳で逝った石原裕次郎も最後にレコーディングした「北の旅人」(詞・山口洋子、曲・弦哲也「たどりついたら岬のはずれ赤い灯が点くぽつりとひとつ…」)もハワイでのレコーディング以外では裕次郎は一度も歌っていないし死後、爆発的に売れたことも知らない。

仲宗根美樹が「川は流れる」(詞・横井弘、曲・桜田誠一病葉わくらばをきょうも浮かべて街の谷川は流れる…」)で出てきたのが1961年。筆者と同い年の17歳でデビューしている。川は流れるのメロディ、歌詞、そして仲宗根美樹という個性の強烈な歌い手。もう60年も前のことだが、鮮明に記憶している。病葉わくらばという言葉は多分この歌で覚えたのだと思う。高校2年の多感な年頃だった。エキゾチックな顔をした同い年の少女が、アンニュイな歌を歌う。「戦後」からようやく抜けだそうとしていた頃の時代を象徴していたと思う。

北島三郎の「川」(詞・野村耕三、曲・池山錠「川の流れと人の世はよどみもあれば渓流たにもある…」)は男の生き方を川から学び取ろうとしている。北島演歌の「一字シリーズ」の代表曲だ。義理の重さを忘れてしまうと「立つ瀬なくして沈むだろう…黙っておとこは川になる」のである。

たくさんある川を歌った歌でむりやり1曲に絞れと言われたなら、ちあきなおみが歌った「酒場川」(詞・石本美由起、曲・船村徹「あなたの憎さといとしさがからだのなかを流れます…」)を取り上げたい。作詞の石本美由起、作曲の船村徹、そしてちあきなおみの歌唱力。当時のコロムビア・レコードが誇る最強トリオの1曲である。このレコードのB面は「矢切の渡し」であった。この歌も3人によるものだったが、矢切の渡しの方が細川たかしとの競作ということもあってビッグ・ヒットになった。

この曲でもっとも心打たれるのは3番の歌詞である。

「私と暮らしたアパートであなたは誰といるのでしょう」。女心を書かせたら石本に勝てる作詞家はそうはいない。酒場川などという川は存在しないけれど、心の傷を流したいと思う酒場のそばには川が流れているのだろう。それにしても、と思う。ちあきなおみはもう歌ってはくれないのだろうか。歌唱の技術や声のよさばかりでなく、心で歌うというところまで含めれば、ちあきなおみはナンバー1だと思う。裏声を多用できる美空ひばり、地声だけのちあきなおみ、二人を生で聴き比べることはもうできない。■

 

Editor at largeのひとこと

一般に「川育ち」といえば、はろばろとした河口か、大きく蛇行する河畔というイメージがある。だが、私のような東中野の「神田川育ち」は、川床を「釘拾い」の人がゴム長を引きずって歩いていた記憶しかない。ドブさらい(もう死語か)が錆びたクズ鉄に血眼になっていた終戦後の焼け跡時代、曇天のうすら寒い光景だった。

西早稲田はすぐ下流にあったが、ひしめく人家の狭間を縫って、どこまでもドブ川が流れていく。だから、ほぼ同世代の喜多條忠の歌詞にはあっけにとられた。無機質なコンクリート壁のあのシケた風景が、こんな切ない恋唄に化けるとは。上村一夫の漫画『同棲時代』とも重なって、この男女のはかなさが身に沁みた。

そのころの神田川はよく氾濫した。U字型溝に無理やり川幅を切り詰められ、大雨が降ると濁流が始終溢れて床下を洗った。喜多條が暮らしたあたりは、湿っぽくて家賃も安かったはずだ。氾濫はたいがい、すこし上流の「落合」、妙正寺川との合流地点で起きた。そこだけ静脈瘤のように川幅が広がり、ぶつかり合う濁流が野放しになる。それをまたU字型溝にすぼめるから、溢れだすのは血栓とおなじ理屈だった。

少年のころ、大雨のあと、轟々と逆巻く濁流を落合まで見に行った。そこだけ原始の武蔵野に返ったようで、治水の及ばない凶暴な川の素顔が見えた。所在なく眺めているだけだが、何時間見ていても飽きない。やがて心そのものが滔々と流れだす。「川」が歌になるのは、いつしか流れに魅入られて放心するせいだろうか。

落合の氾濫原はその後、工事で暗渠に分流して手なずけられた。いまは杉並に住んでいるが、丘の下にはやはりおとなしい神田川が流れている。耳の底にはまだ濁流の残響がこだましているから、この歌を聞くたび、はて、どこか見知らぬ川の歌ではないか、と嘆息する。フィクションは長持ちするが、現実はあまりにも儚い。(阿部重夫)