世は歌につれ
「海峡」絶品 都はるみは魂のロック 世は歌につれ
                 歌人生52年のステージで「さよなら海峡」を歌う都はるみ(YouTubeより)

第21回

「海峡」絶品 都はるみは魂のロック

しぐれ、湯の宿、波止場、夜汽車、桟橋などと並んで演歌でよく使われるのが「海峡」である。題名に「海峡」の付く歌謡曲がいくつあるか調べてみた。Joysoundによると698曲あるという(同じ歌を異なる歌手が歌っているものも含む)。いつごろから海峡をテーマにした歌が登場するようになったのか。私が調べた範囲では1964年、石原裕次郎の「黒い海峡」あたりが最初ではないかと思う。それ以前にも「港」「波止場」など海に関係するテーマが歌になっていたが、海峡は意外にもそれほど古くない。

なぜ日本の歌謡曲に突然「海峡」が増え出したのか。どうやら1977年1月1日発売の「津軽海峡・冬景色」の大ヒットからではないかと思われる。「海峡」の歌の隠れたテーマは「別れ」である。約700曲の歌の大半が「別れ」の哀しさを歌っている。そしておそらく半数以上は津軽海峡など北の海峡で、雪が降りしきり海は荒れているのである。日本には北の択捉えとろふ海峡、宗谷海峡から南の大島海峡、宮古海峡まで主なもので25の海峡がある。海峡とは陸地と陸地に挟まれた海のこと。水道とか瀬戸と重なっているものもある。石川さゆりの歌った「津軽海峡・冬景色」は作曲家の三木たかしが先に曲を書いた。いわゆる「曲先」である。そしてこの曲を作詞家の阿久悠に渡し「最後は『津軽海峡・冬景色』で終わるように詞を書いてくれ」と頼んだ。

この曲で石川さゆりはアイドル歌手から本格的演歌歌手に変身したと言われている。歌碑のある竜飛崎へ行ったことがあるが、「たっぴざき」が本当で、曲に合わせるために「たっぴみさき」と歌ったのでいまでは地元以外は「みさき」で通っているようだ。

青森の暗いイメージを強調しているようで、と当初、地元の反応は好ましいものではなかった。恋を失った女が上野から夜行列車に乗り、青森駅で青函連絡船に乗り換える。当時、北海道へ渡る人、北海道から本州へ来る人にとって、このルートは定番だった。若い世代には「息で曇る窓のガラスふいてみたけどはるかにかすみ見えるだけ」などという歌詞の意味がわからないのではないか。

乱立気味の「海峡」ものの中でどんと存在感を示しているのは、吉幾三作詞・作曲で自分で歌う「海峡」ではないか。

1〜3番まで歌い出しが「わたし昔からそうでした」で入る。1番は「北へ行こう」2番は「北で死のう」3番は「一度海峡見たかった」と続く。津軽出身の吉幾三が歌う津軽海峡の歌である。「も一度やり直せるなら」戻ろうと思うけど「もう遅いもう遅い涙の海峡」と救いがないほどのエレジーである。

都はるみの海峡ものは一級品である。1965年10月、17歳で「涙の連絡船」(詞・関沢新一、曲・市川昭介)という名曲を歌いこなしたが、このころはまだ歌謡曲に海峡は登場していなかった。都はるみの海峡3部作は「おんなの海峡」(別れることは死ぬよりも詞・石本美由起、曲・猪俣公章)、「さよなら海峡」(死ぬなんてわたしバカですか詞・吉岡治、曲・市川昭介)、「冬の海峡」(今日も来ましたあなたに会いたくて詞・さいとう大三、曲・岡千秋)である。この3曲を歌うときの都はるみは他の曲とはまったく違う歌い方をしている。感情移入が深く、あえてわざと音符通りに歌わないところがある。これはもう魂の暴れまわるロックというしかない。韓国のチョー・ヨンピルがいまや世界的なロック歌手であるように、演歌とロックは同じ土壌から生まれていると思う。例えば冬の海峡の中で「あなたあなたあなた」と呼ぶところがあるがここで敢えて音を外して歌うのだ。メロディに載せて呼ぶよりも悲しみが伝わってくる。

「海峡」700曲すべてを聴き直すことはできなかったが、100曲ほどは聴いてみた。暗く、哀しく、それでいて心にずしんと響く名曲が多い。私なりに名曲だなと思われる海峡の歌をランキングしてみた。美空ひばりには「哀愁波止場」、「ひばりの佐渡情話」、「哀愁出船」など海の歌が多いが、まだ「海峡」ものが出回る前なので海峡を題名にした歌はない。

10位「対馬海峡」(空よ海よ風よ雲よ歌・対馬一誠、詞・下地亜記子、曲・沢しげと)大きなカラオケ大会ではこの歌を歌う人が必ずと言っていいほどいる。歌いやすく、歌って気持ちのいい歌なのだろう。

9位「豊予海峡」(女に去られた男がひとり歌・大月みやこ、詞・星野哲郎、曲・船村徹)豊後(大分県)と伊予(愛媛県)の間の海峡。星野・船村の巨匠コンビの名曲である。恋を失った男と女が船の上で偶然出会い、いつしか「死ぬのはやめた」と言うほどの恋に落ちる。映画のようなストーリーに引き込まれる。

8位「哀愁海峡」(瞼とじてもあなたが見える歌・扇ひろ子、詞・西沢爽、曲・遠藤実)扇ひろ子のほか、ぴんからトリオの宮史郎、青木美保バージョンも出ている。

7位「人生海峡」(涙じゃないのよ雪が舞う歌・キム・ヨンジャ、詞・吉岡治、曲・水森英夫)キム・ヨンジャの歌唱力がこの歌の魅力を引き出している。

6位「男の海峡」(風がちぎれる海峡は歌・神野美伽、詞・荒木とよひさ、曲・弦哲也)海峡が悲しい恋の終わりなのは女歌の場合。男の歌になると荒波と格闘するたくましく明るい歌になる。

5位「来島海峡」(嘘も誠も呑み込んで潮は流れる歌・鳥羽一郎、詞・星野哲郎、曲・岡千秋)愛媛県今治市と大島の間の海峡。船乗りだった星野が書き、船乗りだった鳥羽が歌う。同じ題名のまったく異なる歌を愛媛県出身のレーモンド松屋も歌っている。

4位「飢餓海峡」(ちりにつつんだ足の爪歌・石川さゆり、詞・吉岡治、曲・弦哲也)水上勉の小説も内田吐夢監督の映画もそしてこの歌もすべてヒットした。語るような歌いまわしと、張り上げるサビと、石川さゆりの絶妙の歌唱力が話題に。ただ歌としては難しすぎてカラオケなどで歌う人はそうはいないだろう。

3位「海峡」(わたし昔からそうでした歌・詞・曲・吉幾三)

前述したとおりである。吉の作品には雪国、情炎、酔歌とか二文字の題名の曲が多い。

2位「津軽海峡・冬景色」(上野発の夜行列車降りたときから歌・石川さゆり、詞・阿久悠、曲・三木たかし)ほんとうはこれを1位にすべきかも知れないが、あえて私自身の好みで1位を譲ってもらう。

1位「さよなら海峡」(歌・都はるみ)

前述のようにもはやロックの域に達したと思われるはるみの海峡演歌のうち「さよなら海峡」を代表格で入れた。3曲どれでも1位にしていいほどの迫力である。「死ぬなんてわたしバカですか」。はるみは本当に死んでしまうのではないかと思えるような表情で歌う。

青函連絡船がなくなって北海道新幹線ができても、海峡の歌はまだ生まれ続ける。電気自動車や空飛ぶ自動車のような時代になったら、恋にやぶれた人はどのようにして北へ向かうのだろうか。■

 

Editor at large のひとこと

「海峡」にはトラウマがある。まだ6歳だったが、1954年9月に起きた青函連絡船「洞爺丸」の遭難である。大型台風が列島を縦断、日本海沖を通過した時点で、台風一過と連絡船が判断を誤って出港、洞爺丸など5隻が転覆し1400人以上が死亡する大惨事となった。父に連れられて見たニュース映画で、洞爺丸の模型を水槽に浮かべて大波で横転させる実験の様子がいつまでも残像となり、その悪夢に何年も悩まされた。

長じてから恐山に立ち寄ったとき、このトラウマ克服のため、下北半島西岸の仏ヶ浦まで足を運び、曇天のもと三角波の立つ海峡を遠望した。が、脳裏に浮かぶのは内田吐夢監督の『飢餓海峡』ばかり。しかも暴風と大波をかぶって波間に没する連絡船をリアルに再現していたから、日本版タイタニックのように「海峡トラウマ」はいよいよ抜き難くなった。企画した故岡田茂氏に銀座の東映本社で会った際(当時は社長)、忘れられない映画と褒めたら「長すぎてな(当初192分)、カットが大変」と苦笑していた。

だから、田勢さんのベスト10とは違い、私の第1位は石川さゆりの「飢餓海峡」を措いてほかにない。詞は映画をよく織り込んでいて、歌いだしの「ちり紙につつんだ足の爪」とは、追ってきた娼婦の左幸子を殺した三國連太郎が、伴淳三郎と高倉健の刑事に追い詰められる決め手の証拠なのだ。

語りの入るギター伴奏版がいい。さゆりがたどたどしい青森弁で「飢えたように二人一緒に暗い海をずっと見ていたような気がするの」と語ると、恐山のイタコのように、死んだ娼婦の霊が憑いているとしか思えない。「漕いでも漕いでもたどる岸ない飢餓海峡」というサビの唸りに、今夜もまた時化の海で溺れる夢を見そうだ。(阿部重夫)