阿部重夫 責任編集【ストイカ】

団塊世代が去り際に贈るオピニオンとファクツ

阿部 重夫

アベ シゲオ

編集者。あえてジャーナリストと僭称しないが、新聞記者が出身なのできどき自ら取材して記事を書く。調査報道によるスクープの快感が忘れられない「特ダネ」アディクト(中毒者)。新聞社では92年と94年に日本新聞協会賞を受賞したが、三つ目が幻のスクープとなってチャンスを逃した。ロンドン駐在を経て、1999年に雑誌界に転じた。

1948年東京生れ。番町、麹町、日比谷とお定まりの進学コース。漢和辞典や百科事典を頭から最後まで通読するのが趣味で、サミュエル・ジョンソン博士の「英語辞典」や山田忠雄の「新明解国語辞典」のように個人で百科辞典を書く大望を抱いたが、途中で優等生ぶりっ子に嫌気が差し、アスリートでもないのにバレーボールに明け暮れるようになった。父の意向に逆らって東大法学部を避け、在学中は紛争もあってもっぱら図書館で過ごし、ゼミはほとんど欠席して1年留年、論文提出だけで東大文学部社会学科を卒業した。

73年に日本経済新聞に入社、社会部に配属され、やがて田中金脈、ロッキード事件の取材陣に投入されて、ブンヤは体力勝負と知る。4年後に整理部に異動、紙面電子製作システム「アネックス」への移行期に遭遇し、活版印刷の最後を看取ることになった。87年に金融部に異動、キャップとして日経金融新聞の創刊とブラックマンデーの激流に翻弄された。

89年にデスク、編集委員兼任となり、マーケット以外にも手を広げて、バブル取材に奔走した。88年のリクルート未公開株事件に日経も巻き込まれたため、その雪辱戦に日経記者が最強だった時代で、政治や事件にもしばしば「越境」取材した。

下っ端の論説委員となり、一面下段の「春秋」コラム筆者陣の一角に入った。知ったかぶりと花鳥風月にあきたらず、コラムでスクープを書こうとして論説主幹にたしなめられた。ときに訳のわからない文章を書くので「アベ節」とからかわれるが、美文家ではない。

証券部を経て95年にロンドンに赴任、拙い英語で苦労したが未知の世界を知った。サダム・フセイン時代のイラク、香港返還時の中央アジア取材など、単独行の経験を積む。98年に帰国して日経を退社、ケンブリッジ大学で客員研究員となり、「イラクにおける大量破壊兵器の研究」の取材・研究のため、99年夏にイランを私費で6000キロ旅した。

99年秋から4年間、総合情報誌「選択」の編集長兼副社長を務めて辞任、2006年には月刊総合誌「FACTA」を創刊、病を得て2019年8月末に退社した。

バブル崩壊やありンパス事件、東芝不正経理のドキュメンタリーをアドホックで何冊も共著で出したが、単著は『イラク建国』(中公新書)くらい。好奇心が旺盛で、なんでも手を広げ過ぎたせいか、主著と言えるものはない。訳書では、フリップ・K・ディックの『あなたを合成します』『ブラッドマネー博士』(サンリオ文庫)、『市に虎声あらん』(平凡社)、『ジャック・イジドアの告白』(早川書房)があり、2018年にはデヴィッド・フォスター・ウォレスの『これは水です』(田畑書店)、最新は19年9月、ドイツ語から翻訳したエルンスト・ユンガーの『ガラスの蜂』(田畑書店)。

メモワールを書く気は今もない。記者は立ち止まったら腐るからである。

NEW  2019.10

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